ポートレート撮影— WS2B 57期 7回目

あるいはスナップ写真と表現の自由についての話

OKUMURA Takahiro
ワークショップ2B学修記
6 min readSep 17, 2017

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ワークショップ2B 57期 (7/22–10/21) は写真家・渡部さとるさんが主宰する写真のワークショップだ。第7回のテーマは「ポートレートと光の見方」。新宿中央公園を散策しながらポートレート写真を撮影した。

写真工業発祥の地 新宿中央公園

新宿中央公園には「写真工業発祥の地」と刻まれた記念碑がある。

記念碑「写真工業発祥の地」

この記念碑は、今はもうフィルム関連事業から撤退してしまった小西六写真工業(現コニカミノルタ)の工場敷地跡に建てられたものらしい。

また東京都新宿区にある新宿中央公園の区民の森は、1902年に、乾板・印画紙の工場である「六桜社」が設けられた場所であり、記念碑として写真工業発祥の地が建てられている。
Wikipedia日本語版『コニカ』 (2017年1月21日 (土) 06:36‎ UTC) より引用

はじめは「WS2B でなぜ新宿?」と疑問に思ったが、新宿中央公園と写真の意外な接点を知って納得した。(ところでこんな表現をすると、いかにも歴史を学んでこなかった人間っぽさが際立つ。)

ポートレート写真の指示の出し方について

ポートレート写真は未経験だ。スナップ写真と違い、被写体との合意を経て(被写体にカメラを意識してもらい)、ポーズなどをあれこれ指示するプロセスが要る。

考えていることを言葉で伝えるのは難しい。

例えば向きがそうだ。撮影者と被写体が向かい合った状態で「もうちょっと右」とか言ってしまうと、どちらから見た右なのか判別しづらい。時計回りとか、より間違いのない指示の出し方を教わった。

また、手を使って「もうちょっとこっち」とか言いたくなるが、コソアド言葉や身振り手振りは、つい被写体に近寄ってしまうなど、最初に作った距離感を崩してしまいがちだと思った。

境界線、あるいはプライバシーの問題について

次の写真はポートレート撮影の様子だ。撮影者と被写体が対になっており、撮影に関する合意が伺える。このポートレート撮影は成立しているといえるだろう。

ポートレート写真撮影の様子

ところで、この写真そのもの、つまり私が撮影したものはなんだろう。

私が撮影しているのは「ポートレート写真撮影の様子」であって、「ポートレート写真」ではない。このような被写体の合意が不在の状況、日常の一瞬を切り取ってしまう行為をスナップ写真と呼ぶ。

そしてスナップ写真にはプライバシー問題がつきまとう。このことについて、RyoAnnaさんが印象的なブログ記事を書かれていた。

RyoAnnaさんはスナップ写真と盗撮の「境界線」として、

  • 顔が見えているか、見えていないか
  • 当たり障りがないか、デリケートか
  • 必然か、偶然か

といった指針を示しているが、スナップ写真に被写体側の合意は無く、あくまで撮影者の心構え程度しか意味を持たないと思う。実際、日本ではプライバシー侵害に基づく損害賠償請求が成立した判例もあるらしい。

「表現の自由」との対立

肖像権やプライバシー侵害に対する理解・解釈は国ごとに異なる。

WS2B の別の回で教わった内容だが、肖像権やプライバシーに関する有名な裁判に「ディコルシア裁判」と呼ばれるものがある。英語版Wikipedia「Nessenzweig v. DiCorcia」にもまとめられている。

Klausenberg 正統派ユダヤ教徒の Erno Nussenzweig が無断撮影され、それが戒律に反するとしてディコルシアへ裁判を起こしたが、表現の自由が尊重されてディコルシアの勝訴となった判例だ(かなりザックリ書いてしまったので語弊があるかもしれない)。

上記判例はディコルシアが著名な写真家だったことも要素にあるので、これによって誰もが無断撮影出来るわけではないが…ともあれ、写真をめぐって自由と権利が対立したこの裁判からは、写真の責任というものを考えさせられる。

ディコルシアを検索すると、まるで本人かのように Erno Nussenzweig が一番に表示されるのが皮肉的だ

今回はポートレート写真ということで、お互い合意の上での撮影だったが、スナップ写真の方が撮る機会は多い。Instagram など様々な写真メディアにおける表現者は後を絶たないが、人が写り込む度に許可を求めにいく時間は無限を要する。

日常を切り取ることはいろいろな意味で難しい。今回の野外撮影では、そんなことが頭から離れなかった。

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