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Jan 28, 2018

情報の質が上がるということは情報が偏るということだった。

情報の質が上がった理由のひとつはソーシャルメディアの発達だろう。

どうして情報の質が上がったのか。

たとえば、と国内で起きた話だと衆院選選挙が良い例になる。衆院選選挙のときに何が起きたかというとクソ政策を掲げる「政治家の晒し上げ」だ。醜聞がTwitterでさんざん拡散されていたことは記憶に新しいだろう。この出来事を情報の質に言い換えると「誤情報を流したメディアの晒し上げ」になる。つい最近の話だと日経新聞が滅茶苦茶なグラフを掲載してそれが数日の間に広がり問い合わせが殺到したという話がある。日経新聞のグラフは極端なほど馬鹿らしい例だが、多くの日経新聞を読んでいた読者はいかに日経新聞が”印象操作を意図的に行おうとしていたか”を理解し始めたのではないだろうか。同じようにニュース番組でもおかしなところがあればTwitterですぐに拡散されるほどにソーシャルメディアとは発展している。

そのような結果として情報を流す側は学んだはずだ「適当な情報を流せば流すほどに視聴者や読者からの信頼が減る」と。

私たち人間は不老不死ではない。ならば、限られた時間でどんな情報を読むかを選別しなければならないのだ。決して適当なことを適当に語るメディアなどに取られていても良いほどの無駄な時間は存在しないということをメディアを作る側は考えなければならない。付け加えるならば、ほとんどのメディアは自由に書くことが許されている。その結果として読者や視聴者が減ってPV数や視聴率が落ちれば収益に関わることを忘れてはならない。私たちはあくまでも資本主義の社会で生きているのだから。しかし、N○K(日本の公共放送を担う事業者)お前が印象情報の操作をしてどうするんだ?

とはいえ、クソアニメを楽しむことや地雷小説や漫画、身体に悪いモノを楽しむ文化を無駄、意味がないと否定するわけではない。私はむしろ娯楽関係の無駄は大好きである。時間さえあればいくらでも楽しむのに、と日々惜しむばかりである。

だが、しかしと全員が全員。有名なメディアは有名メディアらしく厳しい検閲をして情報の掲載をしてしまうようになってしまえば有名メディアに載る情報とは「正しい情報」のみとなる。一般的に正しいといわれる情報は数が少ない。その結果として情報に偏りが出てくるのだ。

ソーシャルメディアで広がりやすい話とはだいたいは統計的にでている。もちろん、そこにはお国柄や経済背景による違いもあるが現代の日本では批判・批評の記事よりも肯定的な記事の方が広まりやすい。そのため日本のメディアのほとんどは肯定系統の記事である。その理由としては国内のニュースがメインで書かれているからだろうと予測する。

逆にアメリカのような世界の大国ではメディアのニュースは世界中の出来事が掲載されていく。それは1つの州に複数の言語が混じり合っていることや複数の人種が過ごしていることや治安といった背景があるからだろう。日本とはまるで違う環境だ。そして世界中のネガティブなニュースが掲載されすぎていると警告した投資家もいる。実際は世界は良い方向に進んでいると(※1)。多数掲載され続けているという事はそれだけ広まりやすいのだろう。アメリカに住んでいるわけではないため想像だが。

とどのつまり、とまとめ。

今の日本で広まっているメディアは大勢が似たり寄ったりな反応をするモノになっている、ということ。

それはつまり知識を増やすことはできても、知恵を高めることは一定のラインで止まるということ。……その他大勢と同じレベルにいることで満足するならば別であるが。

読書家として思うのは、同じ結論を抱く作品を何度も読み続けることに価値はどれだけ存在するだろうか?それこそ視野が狭まる始まりではないだろうか、と考える。

最後に、読んでくださった方々ありがとうございます。

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コミュ障拗らせた人間不信で臆病者。The softness of the cat softens the floating world.