「奉仕の精神は素晴らしい!」確かに……だが、断る!!
「他人への奉仕が自らの幸福へ繋がる」という精神論は素晴らしい思想だと思う。 — — だが、しかし、受け入れろというのならば断る!!
僕が見てきた日本人の多くは「他人へ尽くすことが自分の幸福にもなる」という思想を持っている人が多いと思う。それを否定するつもりはミジンコ程度もないけど、受け入れる理由もまたないのだと語ります。

ことのはじまりは9月7日にテレビで放送された「「池上彰スペシャル! 池上彰×子供×ニュース 痛快ギモンに大人も納得SP」という番組
現時刻ではネットのニュースとしてまとめられてもいるので、そちらを参考に語っていきます。
この番組の大枠の流れは
①小中学生、約70人を集める。
②「なぜ、働かなければならないのか」と小学生が問いかける。
③池上彰がそれに対して答える。
そもそも、池上彰といえば?
漠然とした印象をそのまま語ると
「著名人」
「よくテレビ番組に出ている人」
「ジャーナリストを求めるような類いの有名人」
と、そんな感じです。
Wikipedia先生いわく、
「有識者」
ざっくりとまとめると経歴はなんだが、日本人の中では頭の良い人。そんな感じの印象で良いのではないだろうか。
「なぜ、働かなければならないのか?」
個人的な主観で語るよりも先に池上彰の「言葉」について分析をしようと思う。
(おそらく、あの番組をみた視聴者の多くは「池上彰でもこう答えているんだぞ!」と上から目線で思想を押し付けてきそう……)
自分が働くことで世の中の誰かが喜んでくれている、あるいは人の命を助けることができている、それが「生きがい」になるんじゃないかと思う。働いて自分は社会のために役に立っているんだ、自分はこの社会で必要とされてる人間なんだと思えること。働くってことはそういうことなんだと思います。 — — 池上彰
では、池上彰はどう答えているということになるだろうか?
私たちはどのように解釈するべきだろうか?
もちろん、池上彰は先に「私なりにお答えしようと思います。」と前置きをしているが、ここは個人的な主観のみで答えても良い場面だっただろうか?
まず、ネットのメディアよりも圧倒的に大多数の人が見るメディア媒体であるTVで語っていると言うこと。
そして、なによりも、子供達が「なぜ、働くのか?」と聞いている場面だ。ここで返すべき答えは個人的な主観よりも先人として、年上として、大人として答えるべきだと思っている。
(Twitterやなんかの自由につぶやけバッキャローーじゃねぇーんだぞ?、です。)
これは、小中学生の疑問に対しての「答えであるべきです」
「僕は○○○だと思いま〜す」みたいな趣味や娯楽とは違う答えが必要な場面だと思う。
会社に就社している身分の人ならば何度か味わったことがあると思うけど「立場には責任が伴う」モノです。別の言い方をするのならば、社長が「こうするぞ!」というのと平社員が「こうしたいです!」といった場合、どちらの方が大きいか。そんなのは誰でも分かることだと思います。それが嫌ならば、身分を偽るか、趣味や娯楽として出演していれば良い。——ならば、実際に起こり得ることとしてここでの池上彰の答えとは個人的な主観で終わるモノではなく、日本人としての有識者の1人であり、子供たちにとっての先人であり、私たちと同じ大人だということを忘れてはならないのだ。……と僕は思います。
その上で僕は池上彰の言葉を要約した上での解釈をすると
「他人への奉仕が自らの幸福に繋がる!」
こんな感じの台詞が浮かび上がってきます。
他人への奉仕が自らの幸福に繋がる?
はたして、本当にそう思うべきなのだろうか?
はたして、日本人の常識とはそうなっているのだろうか?
人間が幸福を感じる方法の1つとして「好みの同一性」というモノがあります。
たとえば、子供の頃、集団で同じゲームを買って、同じゲームで遊んだことはありませんか?
人間の脳の働きのひとつとして周囲が楽しいと感じているモノを自らも楽しいと感じられることが充実感に似た成分を出す、という話があります。
つまり、もし、日本人の大多数が他人への奉仕が自らの幸福に繋がると思っているのならば、同じように思うことで充実感を得ることができるかもしれません。
しかし、「他人への奉仕が自らの幸福に繋がる」という思想は仏教の考えのひとつです。
ラマ・スーリヤ・ダスというチベット仏教ニンマ派の教えを受けて僧となった人物が書いた書物「The Big Questions: How to Find Your Own Answers to Life’s Essential Mysteries」で
「現代の科学者や哲学者の多くは他人へ奉仕することが幸福であり、美しい生活を遂行するための秘訣である」
と答えています。
つまり、池上彰の答えは仏教徒としての言葉であり、仏教を信仰だのなんだのとしてないその他大勢の人にとっては知ったことかと返せば良い程度の意見なのです。
それでもなお、会社で立場を利用して「受け入れろ!」と押し付けてくるような上司がいたとするのならばボイスレコーダーを回しながら聞きましょう!
「それは日本国憲法第19条の思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。……というのを分かった上で私が受け入れなければならない思想ですか?」
それでもなお、受け入れろと押し付けてくるのならば法テスラや弁護士に相談してみるのが手っ取り早いかも知れません。僕は専門家ではないので、想像ですが、怒を効かせた口調で上から目線で語ってくるのならばパワハラ案件の材料になるかもしれませんので、ほくそ笑みながら聞いてあげましょう!
まぁ、本音を言うと
「自分で正しいと思い込んでいるヤツに『NO』と突き付けるのがすごく楽しいからだけど!?」
迷惑な思想を押し付けてくる人に本音を教えてあげる理由なんでこっっっっっれっっぽっっっっっっちもありませんよね!
ちなみに、働くのが嫌だ、と感じる人は「労働の道徳性は奴隷の道徳性」と語ったイギリスの政治活動家であり、論理学者であり、数学者でもあった人物の書いた“怠惰への賛歌”や「文明の発展は人類の幸福に繋がらない」(ならば、なぜ働く?)と書いてビル・ゲイツなどから絶賛を受けたという“サピエンス全史”はなどを読むと楽しめるかもしれない。
楽しむ以外にも、思想をこれでもかと押し付けてくる人に対抗する武器になるかもしれませんね。
とはいえ、私たちが自由によって拘束されていることも忘れてはなりません。
言論の自由があるからといって他人を貶める自由が認められているわけではありません。
常識やマナーという言葉が大嫌いな僕は「他人へやった行為が自分に返ってくることもあるぞ」とニーチェの深遠を覗くとき、深遠もまたこちら側を覗いているのだ、ということと、人は悪意よりも虚栄心によっていっそ悪口屋になるという皮肉屋の言葉を書き残しておきます。人にどうこうしろと押し付けるつもりはありません、ですがもし僕は悪意を向けられたならば悪意をもってして刃向かうことでしょう。
僕ならば、どう答えていたか?
僕ならば、複数の答えを用意することでしょう。
多角的に。経済学、心理学、歴史的に、——マクロな視点で語り、医者だと、製造業だと、接客業だと、——と少しずつミクロな視点で「このプロセスだと〜〜〜といった答えがあるんだ」そんな風に答えるでしょうね。自分の答え方が正しいとは思っていませんが、人によって考えが違うのは当然であることを前置きする必要はあると思います。
大原則として正しい答えはないということを上手く伝えたいですね。
人によって違う答えを持つことを、まず、肯定します。何もおかしいことはないのだと、肯定することでしょう。
そこら辺について、いずれ時間が空いたときに書き出してみたいです。——では、



