友だち、信頼、大食堂。2019年1月

Takeshi Nishiyama
創食ダイアリー
12 min readJan 27, 2019

松の内あたりまでは実家で過ごした。年末から正月にかけてのテレビが、個人的には一番好きだ。お笑い、ネタ番組をこぞってやってくるれるから。おもしろ荘がピカイチだった。パンケーキに食われ気味だったけど、ぺこぱとまんぷくユナイテッド推したい。

空けてからは大学の取材が続いた。ある案件では「友だちって何?」という特集で、関係社会学や心理学の先生に話を聞いた。着地が見えない取材というのは仕事(とくにクライアントワークス)としてとても心臓に悪いのだけれど、仕事抜きにするとこれほど面白い話はないし、予定調和の向こう側で期待値以上のものが生まれたりするので、なんというか戦いだ。あなたにとっての「友だち」ってどんなですか? 大人になった今こそ、深く考えさせられる。家族よりも恋人よりご近所さんも、もしかしたら何よりも曖昧で不確かな人間関係だから。

また別件で、京大でチンパンジーや犬などの行動分析を通して「人間とは何か?」を知るための研究に従事している先生にも取材をした。こちらのテーマは「信頼」。類人猿に見られる互恵的利他行動について話を伺いながら、「人間社会の発展のカギは間接互恵性」だとか、これからの世界で“信頼”とはどんな意味を持つのかなど、答えのない問いについてキャッチボールをさせてもらった。貴重な時間をいただいた。

取材後に京都駅近くのフードコートでチキンバスケットとビールを頼んで、編集者とこれから信じていきたいこと、できるだけ信じて生きたい旨などについて、取材自体の尺よりも少し長い間、話し込んだ。

京都から東京に戻ったその日の夜に夜行バスに乗って、岩手県大槌町に向かった。夜行で行くのは初めてで、降ろされた所は川沿いで、橋から見下ろすと遡上の途中で息絶えてしまった鮭がちらほらと見えた。ギョッとしたが、この地の風物詩というか、季節の日常であるのだろう。

半年強振りの大槌は、それほど時を経ていないにもかかわらず、目に見えて住宅が増えていた。3月には鉄道も復旧する予定だ。

大槌では現役の先生方向けに開催された、コミュニティスクール推進についての研修会に参加した。大槌は震災後の教育復興の過程で、全国でもまだ実例の少ない「義務教育学校」を導入している。原状復帰するだけでも大変なのに、再編の好機と捉えて大胆に、必要な変革を進めてきたこの町の教育に触れると、「いま必要な教育ってなんだろう」と考えるヒントをたくさんもらえる。
https://myprojects.jp/news/4554/

東京に戻る前に、花巻に一泊した。花巻温泉は3つのホテルがひとつなぎになっていて、どこかに泊まると3館分の温泉を堪能できてお得。ちなみに千秋閣には広々とした乾式サウナが付いていて、一桁台の水風呂があります。サウナー諸兄お見知りおきを。
https://www.hanamakionsen.co.jp/

翌日は花巻を散策。たまたま入ったマルカンビルの大食堂があんまりにもいい場所すぎて、いろんな感情がこみあげてきて、いろんな人に薦めたいのだけれども、あそこを表現するための言葉が追い付いていない。なんとか近いうちにnoteにでも残しておけたらと思っている。あそこにあるのは奇跡なんかじゃないということが言いたい。

信頼をテーマにした仕事では、もうひとつ、「10YC」という新興のアパレルブランドを取材した。

話を聞いた後、ここのスウェットを買った。最近よく着ているが、なんかとてもよい。ファッションに疎いので言葉にしにくいのだけれど、着ているストレスがほとんどなくて、日常にすっかり馴染んでくれる感覚。大量消費の社会から完全に脱することはなかなか難しいけど、要所要所では、作り手の顔や思想が見えるところで、明日の世界をつくるような、いい買い物をしたいと思う。お金はないし、むしろ休んでた分のツケがまだ残ってるけど、まあなんとかなるだろう(ぢっと手を見る)。不労所得は苦手である。

中旬は原稿をしながら、本を読んだ。「信頼」の取材にかこつけて『安心社会から信頼社会へ―日本型システムの行方』、写真家の友人が展示をやるので『彼らが写真を手にした切実さを』、花巻ではあらためて『宮沢賢治童話集』を。どれも、これから何度も読み返すだろうと思えるもので、ありがたい。出会うタイミングを大事にしたいと思う。必要だから読むのではなく、目が合ったから、みたいな、偶然と生理反応の混ざった瞬間を逃さないようにしたい。

“われわれがある相手を信頼して行動するということは、そうしない場合よりも自分の「身」を危険にさらすことを意味します。誤解されないように最初に断っておきますが、ここで危険にさらされる「身」とは、実際の実際の身体や生命だけではなく、財産や評判、自尊心など、あるいは愛情などといった非常に広い意味での「自己利益」を意味しています。相手を信頼して行動することで自分の「身」がまったく危険にさらされることがないのなら、それは相手を信頼していることになりません。そのような場合には、相手を信頼する必要そのものがないからです。”

(下記書籍より引用)

自分の生理については、最近、写真を撮るようになって意識が強くなった。撮ると言っても、見せるためのものではないし、スマホで雑に撮り散らかしているだけ。だけど、それが気楽で気分よく、また発見も多い。自分の無意識下で何に心動いているのか、景色に何を見出そうとしているのか、後で見返しながら考える。まだ言葉になりきっていない感情や思考が、写真を通して見えてくるかもしれない。実験のようなものだ。言葉未満と向き合っているから、写真家の言葉は熾烈だ。彼らの言葉を載せた本をめくっていると、ページによっては吹き飛ばされそうになる。

“写真はいわゆる表現ではなく、記録であるというのがぼくの主張するほとんど唯一のことであるが、ここで言う記録とは、普通記録という言葉がもついわゆる客観的なものではなく、むしろ私が世界に立ち会う、その私の生の記録であるということが前提である。ぼくは記録をぼくらが日々の生を生きてゆくその中から生まれ出てくるものだと考える。そしてまた人間が歴史のただ中で、世界のただ中で生きてゆく社会的存在である以上、私の内面の(この言葉を安易に使いたくはないのだが、今かりに)記録は、不可避的にその照り返えしによって世界の、歴史の記録たりうるのである。”

(中平卓馬『来るべき言葉のために』から、下記著書より引用)

友人の誘いで、細野晴臣さんのライブに行ってきた。正直、一回も意識的に聴いたことがなかったのだけれど、事前学習なしで行ってよかった。チークから始まって、世界を旅するようにジャンル横断、フォークにブギ、贅沢な音楽体験だった。瞬間的に売るためには、ジャンルは絞ってわかりやすく、また流行りのリズムやメロディパターンといったものも取り入れた方がいいのだろうけど、「そんなに小さくまとまるなよ」と音楽の方が言っている気がした。音楽に限った話ではないと感じた。月に数度、いい夜があれば、なんとかやり過ごせる。世界を広げてくれる友人には感謝だし、自分も友人たちの世界を広げる媒介になっていきたい。もう1年以上カラオケに行っていない気がする。あと、中野には食べ放題やってるミスドがありました。

昨年中に取材を担当した記事もいくつか公開された。

Empathが提供する音声感情解析ソフトは、声からその人のメンタルの状態を把握することができる。話を聞くと、将来的な各分野での活用の可能性はめちゃくちゃ広いと感じた。

生物は何千年何万年のスパンで環境に適応し、進化を遂げていった。そういう大きな流れの中で見れば、テクノロジーの進歩は狂気的に早く、またそれがもたらす環境の変化は、朝令暮改どころの話では済まない。「技術の進歩に、思想が追い付いていない」という台詞は、ここ数年で何度か耳にしてきた。「新規性のあるプロダクトと共に、それを上手に使うために持つべき思想も一緒に消費者に届け、普及させていく」という姿勢は、これからの時代かなり重要ではないかと感じている。

“下地:現状は企業としての地盤を安定させるために、いかにマネタイズするかという方向に注力している側面もあって、周りから「何かエグいことをやっている」みたいな見られ方をすることもあります。

「感情の解析なんてされるのは怖い」と思われる方も、少なくないでしょう。僕らの本意とするところは、そんなに物騒ではないですよ……ということは丁寧に伝えていきたいですね。”

(下記記事より引用)

お笑いは、「おかしさ≒得体のしれない物事」を「面白さ≒笑い飛ばせる日常」に変換する。それは未知ゆえの恐怖を取り除き、境界を超えていく力にもなり得る。バイアスを外す契機になる一方で、「笑いものにする/される」といったように、バイアスを生む契機にもなり得る。読み切れない諸刃で業が深い。でも、僕はこの業にやっぱり希望を抱かずにはいられない。だって笑うこと自体が希望に繋がるから。どうしようもない時こそ、どうでもいいことで笑えることが救いになると、知っている。そう言えば、小学4年生の時の夢はお笑い芸人だった。相方が引っ越してしまって次の年にはもう変わっていたけれども。

今月は移動は多く慌ただしかったけれど、比較的心穏やかに過ごせた。出張は好き、足で稼ぎ、五感で一次情報に触れる体験はいつだってかけがえがない。今後数十年使いこんでいけそうなインプットができた。長く残るアウトプットに繋げていきます。それとは別に(別に別ではないかもだけれど)、意味意義のある物事に恵まれているからこそ、無駄を無駄のまま消費したり享受したりする瞬間も尊重したい。

今年もよろしくお願いします。まだポンコツさは多く残ってますが、部分的かつ選択的に、わりと社会で機能していけそうな気がじんわりしてきました。大寒越えて、ここからゆくゆく春めきますね。

学術をかみ砕いたり、辺境に焦点を当てたり、人の物語、あるいは日常に寄り添ったりするようなお仕事、おそるおそるご相談ください。おっかなびっくり検討させていただきます。できたら京都と名古屋には毎月行きたいです。

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Takeshi Nishiyama
創食ダイアリー

旅は道連れ世は情け、恩は掛け捨て倍返し、残す仕事に身を削る、湯とり世代の創食系。ばっかじゃなかめぐろ、なにゆうてんじ