曖昧サンセット

Takeshi Nishiyama
創食ダイアリー
2 min readApr 13, 2018

夕方が好きだ。晴れの日、おやつ時を過ぎて陽射しが弱まってくると、用もないのに外に出たくなる。仕事用のデスクから離れて背伸びをし、部屋の中をぐるりと見渡して、あ、そろそろ箱ティッシュのストックが切れそうだとか、今日は別マの発売日だなとか、適当な言い訳を見つけて履き慣れたデッキシューズを突っかける。

家を出た時には、太陽が「ワテが王やで」とでも言わんばかりの存在感を放っていても、コンビニだのスーパーだのに入り、ちょちょっと漫ろに物色して店を出ると、外の世界の明度と色合いがビックリするほど変わる。加えて、春秋はさらに気温の振れ幅も大きいから、体もじゅんとする。ついさっきまでオロナミンCだった気分が、一気にホットの紅茶花伝のミルクティーに転がるくらい、それくらいガラッと移ろう。

ひとたび日が落ちてきたなと感じたら、そこから夜になるまで、あっと言う間だ。その「あっと言う間」の刻一刻を、あてもなく歩きながら肌で感じるのが心地よい。いま見えている公園の木々の色味も、あと少し経てば暗闇に溶けてわからなくなる。時間が流れていることと、流れた時間が戻らないことを、昼間から夜への移ろいが教えてくれる。それは日頃いちいち言葉にすることがないくらい当たり前で、それでいて結構大事なことなのだけれども、照らすものを等しく漂白しそうなほど眩い蛍光灯の下で過ごす時間が長くなると、案外マヒしてしまう感覚なのかもしれない。

夕方は移ろいの中で、さまざまな境界を包み込むように曖昧にしてくれる。人や物の輪郭がぼやけて、そこにいる、そこにあることだけが、ぼうっと浮かび上がってくる。太陽が照っていて、視界の中でどこに誰かいるか一目瞭然な日中より、一人でいても「ひとりじゃない」と感じられるから不思議だ。

「また明日ねー!」と、甲高い少年の声が聞こえてきた。遠巻きでも、全力で叫んでいることが明らかすぎる響きが、公園中の空気を伸びやかに震わす。彼らは帰宅して、よく食べ素早く寝付き、何のためらいもなくフルスピードで明日を迎えに行くのだろう。何と言うか、少し妬ける。

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Takeshi Nishiyama
創食ダイアリー

旅は道連れ世は情け、恩は掛け捨て倍返し、残す仕事に身を削る、湯とり世代の創食系。ばっかじゃなかめぐろ、なにゆうてんじ