【ことのはのまことの「道」】

修理固成
大和言葉の世界観
3 min readNov 14, 2018

明治天皇 御製

ひろくなり 狭くなりつゝ 神代より たえせぬものは 敷島の道

寄道祝

千早ぶる 神のひらきし 敷島の 道はさかえむ 萬代(よろづよ)までに

國民(くにたみ)の わくるちからの あらはれて 道てふみちの ひらけゆくかな

日本語の「こと」とは、
「言」であると同時に「事」である。

従って、言葉の意味とは「ことのこゝろ」

即ち言葉であると同時に事実の意味である。

それが「まこと」であり、
武士道精神の「誠」に通じる。

ゆえに「まこと」とは、
真言であり、真事であり、
誠であり、信である。

「信(まこと)」とは、

「人」の「言」葉を信じること。

人間の社会的超個人生活の
第一次的直接産物としての

言葉を媒介として、

多数個人の知識経験が相互に交換せられ
精神活動によって意見交換し綜合せられ

もっとよくしたい、もっとこうだったらいいのに、と
「生産力そのものを生産」する精神が生じる。

結果、人間の意志や閃きが形となった生産物が
様々な文化・道具・学問・機械の発明改良である。

「三人寄れば文殊の知恵」という諺は、

互いの言葉にまことあるがゆえ成り立つ。

従って、まこととは、

事実と思想と言葉との

元初一念における合致を示す。

ゆえに「ことのはのみち」といい
「まことのみち」という。

「みち」の「ミ」は、
身・実であり、即ち、物事の真実・本体

「チ」は、
血・地・路・千代のチであり、継続脈絡交通を示す。

従って、道とは、

即ち【真実の継続】である。

「いのち」とは、

息の路であり、息の内である。

全一の生命は、

自然と人間はつながり通うがゆえに生命であり、
生命(いのち)の通路(かよいぢ)こそ

自然と人生の行路ー【道】である。

「みち」は、
人の実践活動によって生成せられる。

しかも、その人とは、個人に非ず。

祖先より我等に、我等より子孫へと
相続伝統せられる。

つながり合うがゆえ

極まりなく果てなく生成し、
私有独占を許さぬが故にはじめて

「みち」である。

自然やタテ糸の連続性、ひいては

神ながらの道から外れることは許されず、
クニのミナカからズレるのは逆臣・逆賊だ。

ミナカを尊び、先祖を祀り、原点を貴ぶ

「マコトの精神」こそ
日本思想の核心である。

混迷する世界を救う素(もと)とは
縄文から引き継がれている原日本語たる

「大和言葉」にある。

戦後絶学となりいまや絶滅の危機にあるが、

日本語に言霊(念子)を取り戻し息を吹き返せば
生命の発露が英語の如く世界中にほとばしっていく。

人類の精神進化の封印を解き放つ、
意識革命の鍵が大和言葉である。

人類の原点が息づいておるのが、
日本と日本人である。

〜『学術維新 原理日本』を「綜學」から〜

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