学びとは、
分析する、覚える、努力する、合格する、成果を出すというのは
二の次、三の次。
本当にあるものは何か?
何が真実なのか?
究極の狙いとは?
彫り進んだ先に学びの真の座標軸がある。
なのに、教える人も教わる人も、
何物かがヌケているのではないか。
機械的人間は、
思考法など何かしらの方法論に住して人間を取り扱おうとするが、
人格あり、生命ある人間の心・魂・精神を取り扱うことは機械論的先生には不可能である。
詰め込み教育、思考偏重、就活予備校、出世病、非人間的教育…これらが教育を破綻させ、マコトの学び(マナヒ)を破壊している。今ほど全人教育を必要とする時代はない。
そこで大和言葉から観照すると、
学び(マナヒ)とは…
マは、真理
ナは、調和
ヒは、生命の本源的エネルギー
よって、学びの第一義は、
【真実の探究】による
【真理との一体一如】
真似び、成り切り、一体化する。
そして、一つとしてその如く躍動する。
カンナガラのマコトの、
真実を探求するのが「真」であり
それを体現するのが「善」であり、
生命を表現するのが「美」である。