【念子のヒモを編み込むのが「撚糸」】
人は死ぬと、
肉体は土に還るが、
魂はどこへ還って行くのか?
実は死んだら消滅するのではなく、
大いなる流れに帰還するだけ。
強い願いや無念、その魂、志は、
「念子」として残り続けるのだ。
しかし、そのままでは、念子は、
空間を漂っているだけの波動状態に過ぎない。
我々がそれを認識(受信)して、物質化し、
現実に事(現象)として熾(おこ)さねばならない。
だからこそ、自分が深く感じた人物から
「念子」をしっかりと取り込んでいく。
瞑想によって真空状態となることでその先にある
精神エネルギー場へとアクセスできる。
それによって、
相手が自分の中に再現される。
すなわち「念子体」だ。
師匠や先人の精神エネルギーである
「念子(理念・志・無念)」が、
自分に乗り移った憑依に近い状態が起こり、
通常では成し得ない創造力が発揮されるのだ。
師の念子(志)を受け継いだ弟子から
志士政治家としての達人が登場し、
創業者の念子(創業の理念)を継承した社長から
経営の達人が現れる。
歴史的芸術家の念子(美的感性)を吸収した者の中から、
天才的な画家や書家、ピアニストや作曲家などが生まれる。
文豪の念子(社会観や人間観)を取り入れた文筆家から、
素晴らしい著作に向かう小説家や詩人が出る。
「念子無くして達人無し」
これぞ「内なる宇宙(金剛界)」における
【神仏習合】を唱える所以だ。
生きとし生きる者は「個」
しかし、その源泉は
ひとつに集約されている。すべての生命の魂はつながっている。
自分も大地も海も、
自分の中に生きているすべての者も。