生きとし生きる者の源泉

修理固成
大和言葉の世界観
2 min readSep 3, 2018

【念子のヒモを編み込むのが「撚糸」】

人は死ぬと、
肉体は土に還るが、

魂はどこへ還って行くのか?

実は死んだら消滅するのではなく、
大いなる流れに帰還するだけ。

強い願いや無念、その魂、志は、
「念子」として残り続けるのだ。

しかし、そのままでは、念子は、
空間を漂っているだけの波動状態に過ぎない。

我々がそれを認識(受信)して、物質化し、
現実に事(現象)として熾(おこ)さねばならない。

だからこそ、自分が深く感じた人物から
「念子」をしっかりと取り込んでいく。

瞑想によって真空状態となることでその先にある
精神エネルギー場へとアクセスできる。

それによって、

相手が自分の中に再現される。

すなわち「念子体」だ。

師匠や先人の精神エネルギーである
「念子(理念・志・無念)」が、

自分に乗り移った憑依に近い状態が起こり、
通常では成し得ない創造力が発揮されるのだ。

師の念子(志)を受け継いだ弟子から
志士政治家としての達人が登場し、

創業者の念子(創業の理念)を継承した社長から
経営の達人が現れる。

歴史的芸術家の念子(美的感性)を吸収した者の中から、
天才的な画家や書家、ピアニストや作曲家などが生まれる。

文豪の念子(社会観や人間観)を取り入れた文筆家から、
素晴らしい著作に向かう小説家や詩人が出る。

「念子無くして達人無し」

これぞ「内なる宇宙(金剛界)」における
【神仏習合】を唱える所以だ。

生きとし生きる者は「個」

しかし、その源泉は
ひとつに集約されている。

すべての生命の魂はつながっている。

自分も大地も海も、
自分の中に生きているすべての者も。

従って、我々は、自らの一念や認識一つで、

死者や先達、歴史を彩った偉人たちとも
共に生きることができるのだ!

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