舎心ヶ嶽、そしてふだらく山

Shashin-ga-dake and Mt.Fudaraku

太龍寺ロープウェイの山頂駅を降りると左手に舎心ヶ嶽(しゃしんがだけ)遥拝所がある。そこから見える断崖は舎心ヶ獄と云う。別名南の舎心と呼び、距離にして680mの位置にある。

大師24歳の折に記した「三教指帰」(さんごうしいき)には 「阿国太龍嶽にのぼりよじ土州室戸崎に勤念す 谷響を惜しまず明星来影す」と記されている。19歳の時にここで虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を修した。これは一定の作法に則って真言を百日間かけて百万回唱えるというもので、これを修した行者はあらゆる経典を記憶し、理解して忘れる事がなくなるという。

舎心ヶ嶽

さて他にも「続日本絵巻大成6 弘法大師行状絵詞」には「或いは阿波の大滝の嶽にのほり虚空蔵の法を修行したまひし宝劔壇上にとひ来て菩薩の霊応をあらはし」とある。また、「高野大師行状図画」においても、「大滝嶽」の項には「阿波の国大滝の嶽にして虚空蔵法を修し給けるに大劔とひ来て菩薩の霊応あらはすといえり」とあり、「明星入口事」の項には「或は阿波の大滝のたけにのほり、或は土佐の室戸の崎に留て虚空蔵菩薩求聞持の法を修し給に、明星口に入り虚空蔵の光明てらし来たりて菩薩の威徳をあらはし、仏法の無二を現す」とある。

宝劍の逸話は鷲敷(わじき)の地名由来伝説にも出てくる。鷲が剣を落とて太龍寺を建てる場所を教えたという話だ。

明星の話は室戸のエピソードに思えるが、実は星に因んだ縁起は太龍寺の近辺の取星寺(すいしょうじ)や平等寺に残っている。明星来影というのは、舎心ヶ嶽で星の見える頃まで修行したということではないか。星の逸話は太龍寺にも馴染みのあるものと考えていいと思う。

なお、虚空蔵菩薩を本尊としている十八箇所の札所は、太龍寺、最御崎寺(ほつみさきじ)と虚空蔵菩薩求聞持の法を修した札所に加え焼山寺が入っている。少し違和感を感じるかもしれないが、太龍寺縁起に焼山寺(しょうざんじ)が登場することから本尊としているのだろうと思う。

舎心ヶ嶽の大師像

さて、断崖の岩場に坐す大師像は東を向いている。ここはかつて祠があったという。断崖ということからして、祠に祀られていたのは不動明王だった。加茂谷村誌には次のように記載がある。(p75)

【南舎心 附燈明杉】

本堂をさる南数町のところにあり。奇岩直立してその上に小堂あり不動明王を祀る。竜山三十五社の一、昔空海登山の折この所にて求聞持法修行の砌(みぎり)五尺の宝剣天上より降下したと縁起にあり、虎関禅師の詩に持つ剣落太竜峯とあり南舎心の下に老杉の大樹あり。周囲一丈九尺俗に燈明杉といって名木である。おおみそかに龍宮より梢上に燈明が点ぜられると云い伝う。これは弥山(みせん)の頂上に龍燈のあがる老杉がありきと。思うに本堂の燈明が海上より見えたる伝説であろう。
ここに身をすてても法をひろめんとちかいし後のものすごきかな 思風

さて、舎心ヶ嶽の後ろの広場には祠が祀られており、ロープウェイ駅の近くから普陀落彦命(ふだらくひこのみこと)、不動明王、神武天皇、天照皇大神の順に並んでいる。普陀落彦命というのは、この先にある太龍寺山が別名ふだらく山と呼ばれていることと関連している。

左 ふだらく山 右 ふだらく峠

ここを少し下ったところに、いわや道、中山(なかやま)道、北地(きたじ)道の分岐がある。右は北地へと続くため左の道を選ぶ。さらに二股にわかれ右は中山道を登り、左はいわや道経由で平等寺道を下る。今度は右を選びすすむとまた二股だ。右はふだらく峠、左を辿るとふだらく山と呼ばれる標高618mの太龍寺山へと続く。ここは右を行こう。

ふだらく峠への遍路道

ふだらく峠に向かう道は古木が生い茂り、ところどころに点在する岩がアクセントとなり、実に神秘的な趣になっている。峠に着くまでこの雰囲気を楽しんで欲しい。峠に着いたら、向こう側に降りるのではなく左の尾根道を登る。そう、この道はふだらく山の頂上へと続く。

観音堂跡

山頂は広場になっている。ここには観音堂があった。そもそも補陀落(ふだらく)と は観音菩薩の住処、あるいは降り立つとされる山をいい、観音信仰からくる聖地としてこの名称が使われる。 日本の中世においては補陀落浄土をめざした補陀落渡海が熊野や足摺岬、室戸岬で行われたが、一種の捨身行である。 阿波秩父観音霊場の十番に太龍寺、十一番にふだらく山、十二番 北地観音庵、十三番 氷柱観音庵と続くことからも、この一帯は観音信仰の盛んな土地柄だったのだろう。

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