ユーモアを忘れてる日常にドロップキック
気がつくと日常からボケやユーモアが抜けている。
やはり男たるモノカッコよくなりたいという思いが強く、憧れのカッコいい人々に近付こうと努力をするわけです。
が、気付くと僕のカッコいいなと憧れる人は皆「面白さ」も兼ね合わせているのだ。
懐かしい言葉を使うと「面白かっこいい」わけです。
「カッコいい」のと「面白い」のは限りなくニアイコールの様な気がする。
カッコよくてもモテるし面白くてもモテる。
ボケにくくなった時代
山田玲司先生のニコ生番組「山田玲司のヤングサンデー」内でドレスコーズの志磨ちゃんがダウンダウンが「サムイ」という言葉を流行らせたと話してた。
確かに松ちゃんのちょっと引き気味で人をイジる笑いは時代を席巻した。
自らバカをやって笑いをとるより、人をイジり安全圏から笑いをとる事を良しとする人が増えた気がする。
(これは一歩間違うと人を笑わせる為に誰かを傷付けるという元も子もない事態になったりもするので要注意だ。)
普通時代
更に追い討ちをかける様に時代は「普通」を良しとする方向に進んだ。
「大塚愛」辺りから【そこら辺に居そうな普通っぽい】可愛さ、やカッコ良さが流行りだす。
今や売れているバンドマンだがルックスは普通のお兄ちゃん。なんていうのは当たり前だ。
要は普通っぽいのに◯◯なのが支持される。
【ロン毛に革ジャン、いかにもバンドマン】ではウケないのだろう。
と話は逸れたが、要は何においても一歩引いた、言い方を変えれば強く主張をしないのが良しとされる時代になったと思う。
ボケるにしてもメタ視点でシュールに的な。
まとめ
とまあ話は飛躍したがとりあえず引き気味、アウトボクシング全盛な気がする。
勿論これは一般的な人々の話であり、一線で活躍する方々は違う。
先に書いた様に僕が好きな方々はとても突き抜けて面白い。
ちょっと着地点を失ってきたが、、、
最近音楽の純度に気付いたんだけど、笑いもそうだなと。
小さい子供は人を笑わせようひょうきんに振る舞う。ウケれば楽しそうに天丼する。
この様に【人を笑わせる】というのは人間が本来皆兼ね備えている本能だと思う。
それを色んな風習や空気等々でやらなくなるのはとても不健康だなと思ったのです。
笑うと健康になるし幸せになれるらしい。
笑うには笑わされれば良い訳で、皆んなが周りの人を笑わせば良いのだ。
さあ、レッツユーモア!!