シンポジウム記録

シンポジウム06|都心・農地・経済 ── 土地にみる戦後空間の果て

戦後空間WG
戦後空間
May 25, 2022

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登壇 ──── 山田良治|山下一仁
コメント ──── 内藤廣|饗庭伸
司会 ──── 松田法子+日埜直彦

日時:2022年1月14日 17:00-21:00
場所:ZOOM+YouTube live
テープ起こし・原稿作成:宮下貴裕

開会あいさつこれまでのシンポジウムの紹介
青井哲人(戦後空間WG主査)

1主旨説明

企画者=松田法子+日埜直彦
松田:連続シンポジウムの最終回となる今回は、「戦後空間」というものに対して縦の串を刺すイメージでテーマを設定した。今回は「土地」を切り口に議論したい。土地の中でも、都心と農地を併置して取り上げる。都心の土地は垂直的に高度利用されている宅地、農地は粗放的に建物が立地する生産地と言うことができる。これらをまず2極として、さらにそこへ労働・土地・資本と、市民という2極を配置したい(図)。このような4極を設定したとき、そこに土地をめぐるどんな戦後空間が立ち上がりうるか。それが今回考えてみたいことである。

中央のジグザク線は、市街地と農地の曖昧な線引きの状態を示す。両側の土地空間は、それぞれを統べる法によって管理されつつ、変容してきた。このような土地空間の間で、労働・土地・資本と「市民」の移動や交換が展開してきた。市民のプロファイルについては図をご覧いただきたい。

今日登壇いただく山田良治さんには、資本主義経済下における土地の様相について所有や商品化という土地をめぐるそもそも論にも立ち返りながら、都心から農地までを見通すお話をしていただく。山下一仁さんには、戦前から戦後の農地の構造を、農地固有の組織・制度・政治との関係を含めてお話しいただく。コメンテーターとして、渋谷再開発デザイン会議の座長で、また東日本大震災の被災地でも様々な活動をされてきた建築家の内藤廣さん、平成の都市計画史について最近まとめられた饗庭伸さんにご登壇いただく。

自由資本主義経済の進展、戦後政治体制、法制の作用などが絡み合った戦後空間に、土地という空間から迫る議論を期待する。

「都心・農地・経済 ―土地にみる戦後空間の果て」議論のためのダイアグラム

日埜:連続シンポジウムの最終回として、一つの区切りを見たいと考えている。つまり、空間における「戦後の終わり」とその後の「現代」とはどんなものかということだ。どんな角度からそこに切り込めばいいか考えるなかで、市街地と農地という土地の問題が浮かんできた。

市街地においては、戦後に都市計画法の旧法から新法への枠組み変更があり、その線上に戦後の都市形成はあった。しかしバブル期を経て民間資本の役割が大きくなっていき、公共空間の事実上の私有化とでもいうべき状況も見られるようになった。

農地においては、まずは戦後の農地解放がトピックとして大きい。多数の小規模農家が小規模農地で営農する構造が生まれ、兼業化や農地を切り売りすることによる宅地化が都市郊外で進んだ。産業構造の変化とともに農地は縮小し、農業自体も変質した。現在、郊外の宅地においてはむしろスポンジ化と呼ばれる現象が起き、宅地需要は低下し、もう要らなくなるという状況も生まれている。

例えばこんなふうに戦後の土地に関するモードが、変わってきているのではないか。戦後の空間はいわば土地本位的であった、とすれば、その状況は変化しているのだろうと思う。その戦後空間の具体像に迫り、我々はそれをどのように引き継いでいるのか議論してみたい。

講演1:山田良治(1951- 経済学)── 都市空間形成の資本主義的展開―矛盾の構造と日本的特質

資本主義以降の土地・空間の問題は、土地・空間が私有化され、商品化して流通することによって矛盾が発生するということにある。その矛盾は、使用価値と交換価値という私的・商品的所有に内在する二つの要素の関係の上に発生するもので、言わばモノそれ自体のあり方とコストの原理の対立と言っても良い。またもう一つ原理的な問題として、「所有」は所有権や賃借権という法律的形態を思い浮かべることが多いが、それらと実体としての所有は別であるという点を抑えておく必要がある。

都市空間論の世界的な議論として、一人はH・ルフェーブルの言説がある。彼は『都市の権利』の中で、都市における使用価値と交換価値の矛盾という観点から都市を論じている。もう一人はD・ハーヴェイで、地理学の観点から『空間編成の経済理論』などを発表している。彼らは使用価値と交換価値との矛盾について論じ、ハーヴェイの場合にはさらに、資本循環一般ではなく固定資本投資に伴う矛盾として把握している。この2人の議論について、私はそれを肯定しつつも、それだけでは不十分であると認識している。『土地・持家コンプレックス』という本で述べているが、私は土地所有の二重独占的性格に注目すべきと考えている。この二重独占とは、”use-monopoly”というロケーションや土地の質などの固定的格差と、”ownership-monopoly”という所有独占と供給硬直性のことであり、これらを除去して初めて一般的商品と同等の性格を持つということである。よって土地・空間を通常の商品同様に市場に流通させるためには、土地利用規制や投機化抑制政策が必要ということになる。

もう一つは、「公共性」というものの根拠について指摘しておきたい。「非有機的身体」という言い方をするが、これは自分自身を有機的身体とした場合の、その外側にある自然や社会を表すもので、人間はこれらとの循環の中で生きている。その意味で、我々が生きて働きかける対象は自己の一部であるということであり、実践的関わりを通じて対象へのアイデンティティを獲得するのが人間の生命活動である。例えば、鑑賞の対象としての景観は、その一例となる。ある対象が、多数者の所有や利用に関わる社会的共通利益性を生む場合には、「公共性」が発生する。同じ対象が公共性を持ちつつ、一方で二重の独占を内包する私的所有の支配を受ける事態の中で、様々な軋轢が生み出される。この矛盾の解決形態として現れたのがいわゆる「建築不自由の原則」である。

資本主義の最長老国であるイギリスの場合を取り上げると、資本主義の発展と都市化の発展には5段階ある。まずフェイズ0として、農地のエンクロージャーによって追い出された農民が都市の工場などで働く労働者になるという、資本主義そのものの要素が生み出された本源的蓄積の時代がある。次のフェイズ1が19世紀の自由主義・夜警国家となった時代で、急激な都市化が進んだ。フェイズ2は世界大恐慌とその後の国家介入の強化の時代で、フェイズ1で見られた機械制大工業オートメーション化によってさらに発展した。都市は外延的に拡大し、スプロール化という問題が発生する中で、都市計画に関する法律はこの時期に成立した。フェイズ3は大きな国家、ケインズ主義的な国家となった時代で、都市と農村を一体的に捉える「都市農村計画法」という形で本格的に建築不自由の原則に基づく都市計画制度が成立した。そしてフェイズ4が現代であり、新自由主義、金融肥大化、サービス経済化などが見られるようになった。こうした経緯との比較において、日本社会の現代性、戦後性の特徴を把握することができる。

各国の全国人口に占める都市人口を割合に注目すると、イギリスは1900年代前半には都市人口率が80%を超え、都市化社会から都市型社会に移行し、アメリカはそこから半世紀ほど遅れている。日本の場合は1950年代を起点として急速に都市化が進んで都市化社会へと向かっており、資本主義成立・発展のタイムラグとテンポの特殊性が明確である。このことが資本主義の発展と都市化に関する日本的特質を生み出している。日本では明治以降フェイズ0からフェイズ2までが並進し、戦後前半期にフェイズ3、後半期にフェイズ4が加わった。したがって、戦後の急激な展開は、フェイズ2以前からの文化的後進性と前近代的体質を多かれ少なかれ継承する複合的な性格を持っている。「建築自由」の下で急速な都市化が展開したのは、その一つの表れである。

20世紀の最後の四半期から現代に至る資本主義経済の根本的構造変化というものは、物質的生産から精神的生産・サービス生産へのシフトにある。さらに今日では2030年問題として現れた地球温暖化に象徴されるグローバルな解決を迫るリアルな戦略課題が存在する。岸田政権が「新自由主義からの転換」や「新しい資本主義」を掲げているのも、その中身は空虚であるとしても、そう主張せざるを得ない状況を反映している。またスマートシティ論も、社会システムのビジョンを欠落させたままでは、技術論的・スポット的課題解決を提示する域を超えないように見える。社会システムと都市空間との新たな歴史段階における整合性を確保することが求められるであろう。これは、世界的に広がる孤独問題などの解決に向けて、仮想空間ではないリアルな社会的空間において、新たなコミュニティ、「共在」をどう仕組んでいくかという問題でもある。

講演2:山下一仁 (1955- 農政アナリスト・元農水官僚)── 農地法がもたらした戦後政治の安定と農業の衰退

まず戦後空間があるなら戦前空間があるだろうと思うが、戦前には地主制のもとで多数の小作人がいた。小作人は収穫量の半分を地主に物納することになっており、地主は大勢の小作人にそれぞれ小規模な農地を与える小農主義を採っていた。農家はとても貧しく、自らが作った米を食べることができないという状況であった。もう一つの特徴が農協で、昭和恐慌の際に農林省が小作人などの零細農の救済・地位向上を目指し農産物の販売から金融業まで何でもできる組織としての産業組合(現在の農協)をつくり上げた。そこでは大地主+帝国議会と小作人+農林省による対立関係が見られた。

戦後改革の一環としての農地改革で地主制は解体され農協制へと移行した。農地改革は農林省の発案によるもので、GHQのイニシャティブではない。小作人の解放は農地改革によって成し遂げられ、この成果を固定するものとして1952年の農地法が生まれた。一方で戦後には小作人から地主となった小規模な農家が保守化し、マッカーサーはこれを防共政策の一環として位置づけていた。そして農地改革で生まれた均等な農家を一人一票主義を組織原理とする農協が組織化するという構造は長期保守政権の基礎となった。

私の認識では「戦後空間」が確立されたのは戦後すぐではなく、1960年-1965年あたりだと考えている。池田内閣の所得倍増計画が進められた時期であるが、その一方では工業と農業の間の所得格差、都市と農村の間の所得格差の是正が目指されていた。日埜さんの認識とは異なるが、実は終戦直後の食料難時代には都市から飢えに苦しむ多くの人が農村を訪れ、着物などと食物を交換した。一時的なものだったが農家は裕福になった。それが経済成長期になると工業が発展し、所得格差が逆転した。

この状況をどうすべきかと考えたときに、農村部に都市から工業を導入しようという政策が採られた。これで大都市に住まなくても農村から工場に通勤できるという状況が生まれた。多くの農家は兼業によって豊かになり、それに宅地への莫大な転用利益もJAバンクの口座に蓄積されていった。つまり農家は豊かになったが農業は衰退したということだ。そこで見られるようになった構図は、戦前とは異なり、農協+農林族+農林省が癒着する農政トライアングルである。

しかし近年では、農家の戸数が大きく減少し、小規模層の衰退、大規模層の発展という傾向が見られるようになり、本籍が農業のはずの農協は金融・不動産を現住所とするような状況となった。そこでは農家、農協、農村、農業の利益が必ずしも一致せず、対立する場面もある。

物納小作料、小農主義であった戦前空間では小作人の地位向上が議論のテーマとなり、柳田國男は小作人擁護の立場から、規模が大きくなければ所得を確保できないとして中農養成、土地の公有論を唱えた。実は戦前の段階ですでに地主制はかなり解体されており、1937年に成立した農地調整法は、小作権を物権並みに扱うものであった。さらに農水省は食糧管理法(1942年)を利用して地主の弱体化を図った。ただし大地主は極めて少数で、多数は零細な中小地主であった。戦後の農地改革は小さな地主から土地を取り上げてしまったという負の側面もある。

私が農政のアンシャン・レジームと考えているものは1960年代に構築されたと考えている。1960年代には農家所得向上を名目に米価が引き上げられ、米の供給が過剰となったことで1970年に減反を開始した。高米価で兼業農家が滞留したことと、農協が金融事業も行える万能の企業体であることが、巧妙にかみ合ってJA農協の興隆をもたらした。農業所得の4倍の兼業所得や莫大な農地の宅地等への転用利益を預金として利用して、日本有数のメガバンクに発展した。戦後の農地改革では農地の耕作者が所有者となる自作農を創設したが、これによって耕作者=社員、所有者=株主となる株式会社は認められないことになった。これによって農家以外の若者によるベンチャー株式会社の参入はできないという状況にある。農家の後継者不足がずっと指摘されているが、その後継者を生み出しにくくしているのが現在の農地法である。このアンシャン・レジームは令和になっても継続している。

1960年以降農業は大変化した。1875年から1960年まで農業従事者数、農家戸数、農地面積はほとんど変化しなかったが、1960年以降減少していった。GDPに占める農業生産の割合は9%から1%に、食料自給率は79%から37%に、農地面積は609万haから437万haに減少した。以前は農村の多くが農家であったが、現在は農家率が30%未満である農村がほとんど。機械化が進み面積当たりの労働時間も少なくなった。今や米は最も簡単に作れる作物になっている。そして「貧農層」は1960年代末には消失している。だが問題もあり、養豚、酪農、ブロイラーは収入のほとんどが農業所得であるが、水田作だけはそうではなく、ほとんどが農外所得と年金収入となっている。販売農家全体のうち半分以上が稲作を行っているにもかかわらず、農業総生産額の内訳を見ると、米は20%にも満たない。いかに稲作に零細で非効率的な農家が滞留しているかということである。

農地というものには外部性がある。つまりある人の行為が他の人の活動に影響を与えるということである。耕作放棄をすると害虫を周辺の農地にまき散らす。農地の中に建物ができると日影ができ他の農地に悪影響を及ぼすということもある。都市の側から見た場合は、農地の中に住宅が建つと、道路や下水道などの社会資本を効率的に整備できなくなるという問題もある。そこで欧米では都市的地域と農村地域を明確に区分するゾーニングが存在している。このゾーニングの下で、他産業の成長が農村地域からの人口流出をもたらし、それによって一戸当たりの農地面積が増加し、コストダウンによる収益アップ、競争力アップにつながっている。

もちろん日本にもゾーニングはある。農林省は農業振興地域の整備に関する法律(農振法)を定め、指定された農用地区域では転用が認められない建前となっている。ところがこれはザル法で、農用地区域の見直しが頻繁に行われることから、簡単に農地転用が可能となっている現状がある。農地法も転用規制を設けているが転用許可には裁量の余地が大きく、それを判断する農地委員会も主に農業者によって構成されているため身内に甘い。農振法・農地法という転用を規制する法律が二つあるにもかかわらず、二つのザルを重ねただけという状況である。農家は1960年代以降莫大な転用利益を得ており、今の価格で転用すれば、160万haの転用で少なくとも250兆円程度の利益を得ている計算になる。戦後の農地改革で小作人に解放した194万haをはるかに上回る330万haもの農地がこれまで農家によってつぶされている。

一方で、農地転用に反対してきたのは農協ではなく地方の商工会議所だった。市街地の郊外にある農地が転用されてそこに大型店舗が出店すると地元商店街がシャッター通り化してしまうという懸念からの反対であった。彼らは政治力を持っていないため、結果的に農家・農協が栄えて地域が滅んだということになる。

コメント1:内藤廣 (1950- 建築家)

先生方のお話は大変勉強になった。私は建築家だが都市再生整備地域の仕事に呼ばれることが多く、また三陸の復興にも関わっているため、山田先生がおっしゃった矛盾、つまり「利用独占」と「所有独占」という、土地の所有と利用における原理的矛盾は常に実感している。

農地法にも色々なところで直面する。三陸で市街地整備をする場合は農地法が顔を出すし、高台移転をする場合には森林法が関わってくる。そこが建前通りの対応をするから、結局小学校の校庭に仮設住宅を密集してつくらざるを得ないということになる。復興の裏の主役は縦割り行政の農水だと感じていたが、まさにそのお話を今日聞けたと思っている。

都市再生は渋谷、新宿、品川、名古屋、札幌で関わっているが、これらでは都市再生法の仕組みを活用して鉄道用地を使うことが多い。渋谷の超高層開発は、容積率割り増しで得た利益を地下鉄などのインフラ整備に使うという土地の権利とのバーター取引で成り立っている。本来そのような巨大開発は好きではないが、好きな人間がやるより嫌いな人間が加わった方がいいとも考えている。

三陸でも渋谷でも考えるのは、思い出すべきは宇沢弘文さんが唱えていた社会的共通資本の概念だ。これには道路や橋などのインフラだけでなく、どんな街にするか、どんな暮らしをするか、といった社会的なコンセンサスも含まれると思う。それに至る集団的な合意形成をサポートをできないかといつも考えている。伝統的な共同体が残る地方の農村や漁村だけでなく、渋谷のような大きい都市でも社会的なコンセンサスをどのようにして得られるかがテーマだ。実は渋谷もよく見れば小さな共同体の集合で、その小さな共同体と開発との橋渡しをしたいと常々考えている。

一方で、「都市再生」という合言葉は「郊外の没落」と同義語なのではないかとも思っている。郊外に行くと団塊の世代が建てた郊外型住宅が無数にあるが、そこに住む住民は急速に高齢化しつつある。これらの人がリタイアすることで定期券利用者が激減し、今後5年以内に公共交通の利用形態が激変することも分かっている。したがって、都市も郊外も「動的な状態」に移っていくと考えられる。今後、郊外のあり方は大きく変わることを前提に論ずべきだと思っている。

山田:私も郊外住宅の住人であり、そのような場所の高齢化や空洞化を実感している。日本の住宅建設は総量規制を含まずに進行してきた経緯があり、現在の空洞化につながっていると言える。そのような場所の住み心地が悪くなると、今度は都心の高層マンションに移るという動きになるが、人間の生活にとって高層マンションに住むということは様々な問題を先送りしているということになろう。これまで行ってきた住宅建設、都市開発のツケが回ってくる中で応急処置をしているに過ぎない。内藤先生の発言で印象的だったのは、開発のあり方に批判的な視点を持つ内藤先生のような方が、あえて現場を担われるという現実だ。一種の毒まんじゅうを食べているようなものだろう。

山下:農地で合意形成という面では戦前は耕地整理法、戦後は土地改良法というものがあり、農地で基盤整理をする際に地区の農家の三分の二が合意すれば地区全体で実施するようにする制度がある。これは都市においても参考になる手法でないか。また都市の再生と郊外の変化という点では、地方において中核都市はそこそこ栄えている一方で農村は疲弊しているという状況とパラレルな動きと言えるのではないか。これはやはりサービス産業中心の都市の形態になっているということが関係している。
郊外については、かつての限界集落はかわいそうだというだけの議論ではなく、櫛の歯が欠けるようにと住民が集落を離れると、残った住民も出て行った住民も孤立感を持つことになるのでコミュニティごとに撤退していくべきだというアイデアが『撤退の農村計画』という本に出されているが、これは郊外でも同じことが言えるのではないか。

日埜:山田先生から総量規制という言葉が出てきたが、総量というのは私的な視点と公的な視点をつなぐ重要な糸口ではないかと思った。空間の質をより良いものとするための議論がなかなか難しい日本の現状において、共有された議論の根拠となるのではないかと思える。

コメント2:饗庭伸 (1971- 都市計画学)

「郊外」の問題から話してみたい。例えば香川県は10年ほど前に線引きをやめた自治体で、現在は最先端の「建築自由」の空間が生み出されている。計画する側はこのような状況をどうするかということを考える必要がある。今回は人口減少に関する話はメインテーマではないが、やはり人口減少のことは考えなければいけない。都市の拡大局面では開発される農地の単位ごとに宅地が拡大していくが、縮小の局面では市街地の中でバラバラに変化をすることになり、これをスポンジ化と読んでいる。

農地法がザルというお話があったが、都市計画法もザル。現在の状況としてはスポンジ化が進行している一方で、スプロール化もまだ起きている。そしてその場所は重複している。つまり「引き潮時の波打ち際」のような状況と言える。よって「ダイナミックな撤退」は起きづらい状況であり、その中で何ができるかを考える必要がある。

山田先生の話にあったように、戦後には土地を建築自由にすることで経済を発展させてきたが、土地の力はもう使えないのではないか。郊外では一人ひとりの土地所有者の意向にあわせて規制を緩和したり適用したりするマンツーマンディフェンスが依然として行われており、エリアでまとめて規制をするようなゾーンディフェンスが行われる気配はない。このような状況ではダイナミックな撤退は無理と言える。

ここまでは農協に対して否定的な論調が多かったが、農協が作り出す都市を肯定的に捉えるとすれば、かつて農協が構想した「農住都市」がある。農協は銀行の機能や保険の仕組みを有しているので総合的に都市を創っていくことが可能だったはずだが、今日の話でそれはもう期待できないのだなと感じた。農協には期待できないとすれば、個々の農家が頑張るしかない。山下先生と同様に、大規模化によってコストを下げていくということになるのではないか。都市化の力も農業の力も弱まっている中で郊外に真空地帯が生まれているが、そこでは農業の力を鍛えて都市とせめぎ合っていくしかない。

そして最後にこれからどうすべきかという手法に関することだが、一つは新自由主義的な道具立ての可能性がまずあるのではないか。農家が自分たちで農業に取り組みながら都市経営もするということになれば、郊外が豊かになる可能性がある。個人の自由度を高めて共通の規範を形成することによって、都市の縁辺を再生するという道もあるのではないか。

また最近コモンズ的なものが流行っているが、山田先生の話にあったように、土地というものの使用価値を交換価値にしてしまったことに問題があると思っている。本来はそうではなく、いろいろな使用価値を生み出して、それを共有するコモンズのようなものができるとうまくいくのではないかと考えている。食料、エネルギー、景観などの視点からの使用価値を共有するコロニーをつくっていくということである。内藤先生や日埜さんが「一つの公共性に向かってコンセンサスを得ていく」ということをおっしゃったが、その「公共性」を多元化してそれを共有していくというのが有効ではないか。

山田:人口減少時代の土地は供給も撤退もランダムになる。また優等地と劣等地の使用価値の格差が拡大するという状況も生まれる。新自由主義というものは、市場に介入する規範を嫌う傾向がある。ただし、家族をはじめとする伝統的な規範を利用しようとする点では、保守主義とは親和的である。市場原理主義的な意味での新自由主義は今のような状況下では持ちこたえることができないと考えている。

使用価値と交換価値の問題についてであるが、GDPの成長とは交換価値の成長のことを表している。一方でGDPは増加しなくても技術進展で使用価値は様々に増えている。よって昔のように市場を目安にしなくても、様々な場面で使用価値原理によって直接需給関係などをコントロールできるようになっている。現場にどのような新しい成長の芽が存在するかを丹念に見ていくことが必要であり、理想論だけを掲げても現実と乖離してしまう。方向性を見極めてビジョンを持つことが大切。

山下:先ほど農住都市の話があったが、現在のJAだけが農協ではなく、JAとは独立して、農業者も住民も、独自の農協も地域協同組合も作れる。しかし法律の規定がありそれが自由にできなかったところがある。協同組合の理念を新しい組織で実現するという方法もあると考えている。
またマンツーマンディフェンスになっているというのもその通りで、なぜ日本でゾーンディフェンスができないのか。それは内閣法制局が所有権絶対主義であることが大きいと思っている。日本の憲法は欧米の憲法を真似て作ったものであるにもかかわらず、欧米のようなゾーニングができないというのは不思議だ。新自由主義に関してだが、現在も60代くらいの農家の人は役所に甘える依存意識が高い。しかし若い人は自分たちでやるから役所は邪魔をするなという意識がある。

日埜:山田先生がおっしゃった「建築自由」と山下先生がおっしゃった「所有権絶対主義」というのは物事の裏表で、同じことを意味していると受け止めた。

松田:農地についての論点で気になったのは、農家の大規模化論に関連する次の3点である。大規模化しない農家はどうなるか、農地にもとづく生活手段を国際市場へ外部化する影響、新自由主義との結びつきが強化された後の農村のコミュニティの問題。山下さんはいかにお考えか。

山下:実は1ha未満の稲作農家は赤字になっている。これらの農家が50戸あっても集落全体では赤字となる。しかし、20haの農家なら一戸で1,400万円くらいの農業所得をあげられる。小規模な農地を持つ農家は大規模農家に土地を貸し、その主要農家が大規模に効率的な農業を展開して地域全体に還元するというのが最も有効と考えている。土地所有者は主要農家から地代を得ながら所有者として農地、農道、水路などのインフラの維持管理に取り組む。このような関係が一つのコモンズのようになる。工業の比重が小さくなり、兼業機会も減少している。そのような役割分担をしなければ、もう農村はやっていけない。

松田:土地に関する今回の議論では公共性がひとつのテーマとなると考えていたが、その観点から農地に目を向けた場合、水路や農道などは農家向けに特化した公共資本と考えられる。土地改良や区画整理がなされて市街地が広がっていった農地では、本来は居住空間としての積極的な土地のデザインが必要だったはず。しかしそうはならなかった。戦後農地において公共性についてどのような議論があったのか、あるいはありえたか。

山下:水路、農道などについては農協とは別の土地改良のための組織(土地改良区)が農民を束ねながら管理してきた経緯がある。本来これらは地代収入で維持管理すべきものだと思うが、混住化が進み「農村=農家」とは言えなくなっている中で、水路や農道などの管理を皆でできなくなってしまっている。

山田:ゾーニングがなぜできないかということについては、端的に言えば市民的成熟度の低さということだと思う。個人主義の発展とそれに基づく共同性が確立されていないことが原因と言える。また公共性については、私は公共的な空間を公園や入会地など人が集まるような場所だけのことだとは考えていない。全ての地域空間が公共性を持っている。都市から見て農村全体を社会的共通利益性をもつ空間だと捉える意識が希薄な中で高度成長をしてきたのが日本の現実だ。

大切なのは、単純な近代化・高度化というようなことではない。そこに住んでいる人がそれなりに幸せであるならば、そのままそれを維持し発展させることが重要なのであって、無理やり高層マンションを建てるということが解決策ではない。農山村に暮らす人々も含めて、安定して平和で幸福を感じられるような共在の空間を組織することが求められてきている。日本では儲けを第一に交換価値の原理でやってきたが、それが限界に来ているということだと認識している。

討議:登壇者 + 木村浩之(建築家)・窪田亜矢(都市計画学)

内藤:私は「公共の福祉」という言葉がずっと気になっている。この言葉は憲法にも民法にも都市計画法にも書かれているが、実は農地法には存在しない。つまり農地は法的には独立国のような状態だ。都市は公共の福祉を建前にして動かしていて、これが最後の砦のように機能している。農地においての公共の福祉をどこまで設定できるのか、またそれが今後のビジョンを束ねるものになリ得るのかどうか疑問だ。

山田:農地が独立国というのはその通りで、建築不自由の原則を唯一体現しているのが農地法であると言える。しかしそれがイギリスのように都市農村計画法の一環として農地法があるのではなく、農地は農地、都市は都市というように縦割りの中にそのような状況があるということである。

木村:私はスイスに20年ほど住んでいたが、ヨーロッパではドイツの憲法に「所有権には義務を伴う」「その行使は公共の福祉に則したものでなければならない」と書かれている。スイスでも都市と農村を隔てずに国土全体の土地利用を考える法律が2013年にできた。戦後(世界大戦に参加しなかったスイスには「戦後」というものは存在しないが)のベビーブームやスプロール化の進行を経た中での反省から市民の発議によって生まれた法律だが、そこではダウンゾーニングが掲げられている。ダウンゾーニングによって土地の価格が下がるので、それを政府が保証する。ゾーン変更をした場合は、それによって得られる土地の価格を政府に納めなければならないという私権を制限する法律が国民投票によって生まれた。

またこれは建築家というよりは一市民としての見方であるが、食料自給率や木材自給率が3割程度しかないという状況で、都市と農地のせめぎ合いを議論することにどれだけ意味があるのだろうと感じた。スイスでは現代都市研究所のクリスチャン・シュミットとニール・ブレナーという人が「プラネタリー・アーヴァニゼーション」という概念を提示していたが、これは「都市」を人間が住む土地だけに限るように考えるとおかしくなってしまうという考え方だと思う。そんな中で、日本においては生活に必要なものの6割―7割を外国の土地で得られたもので賄っているという現状であり、日本の土地だけでなくその土地のことも一緒に考えなければならないのではないか。

窪田亜矢:「戦後空間」をいかに問えるかという観点から考えていたが、日清・日露戦争、第一次世界大戦を経て「戦後」があっさりと「戦前」になってしまうということを経験した中で、戦争というものを歴史的な出来事として位置づけられていないと感じる。未来から見たときに、「確かに戦後空間になったな」と思える空間とはどんな空間であるのかを考えたいと思っている。

空間的に「戦後」を捉える場合、移動したいところに移動したり、居続けたい場所に居られたりする(これを私は「在居」と呼んでいる)という人間の根源的な感情をどのように尊重できるのか、尊重できる空間をどのようにつくっていけるのかを考えていくことが大切だと考えている。農地との関係で言えば、日本では農地法と兄弟のような形で「宅地法」をつくりたかったという話がある。宅地でも農地開放のようなことができなかったことには様々な背景があるが、そこでは占有という状態を尊重する視点がなかったのだろうと思う。もし宅地法が存在したらどうなっていたのかということを考えることが一つのヒントになると考えていて、どういう状態になったら「戦後空間」と言えるのかということを議論してみたいと思った。

内田祥生:農協をフランスのサフェールのようにできなかったのはなぜか。

山下:実は1960年代にやろうとしていたが、農地管理事業団法案(事業団が農地の売買や賃貸借を行って、自立経営農家育成のため農地を流動化する)として2回国会に提出したものの廃案になった経緯がある。社会党が「貧農の切り捨て」だと言って反対した。農協や自民党も協力しようとしなかった。

中島直人:今回は戦後のリアリズムがよく分かった。そのリアリズムの議論のなかに、山下さんは「農の心」、窪田さんは宅地法の哲学、内藤さんは公共の福祉など、ところどころ倫理・哲学に関するものが含まれていた。そのようなところからも「戦後」を捉えることが必要だと感じた。そのような倫理・哲学はどのように変容していってしまったのか、あるいはそれをどう取り戻そうとしているのかという問題系を考えることの意味を考えている。

内藤:建築学会なので、農村計画や都市計画に尽力された建築家の大髙正人さんのことを取り上げると議論がわかりやすくなるのではないかと思った。

山田:住宅産業のリーダーたちは、心ならずも凸凹なまちなみ作ってきたことを彼らの立場なりに自覚しているという点は踏まえておく必要がある。土地を売る方がいいという選択に農家が「追い込まれ」てきた状況が続いてきた。こうした戦後空間を取り巻いてきた社会経済環境を、根本的に転換する必要が出てきているのが現在であると認識している。

山下:土地の公的管理論を考えていた柳田國男はやっぱり偉大だと感じた。なぜ欧米は公共の福祉でゾーニングを行えて、日本では行えないのかというところを考える必要があると思った。

青井:今回はとても具体的かつ原理的な議論が見られた。私の実家も農家で、自分の親も「戦後空間」に手足を縛られていたのだと実感した。一方で同級生は担い手のない農地をまとめて大規模経営を行うなど自由な動きを見せており、そういうことが今さらにドラスティックに起きているのが福島なのだろう。今後も具体のフィールドに反映して考えていきたいと考えている。■

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戦後空間WG
戦後空間

日本建築学会歴史意匠委員会傘下のWG(2017年1月発足)です。