今とは異なるもう一つの「戦後空間」

窪田亜矢

戦後空間WG
戦後空間
May 25, 2022

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1.私たちはどんな戦後空間にいるのか

シンポジウムの私的要約
戦後空間WGによる最終シンポジウム「都心・農地・経済 -土地にみる戦後空間の果て」が2022年1月14日に開催された。

山田良治先生の「都市空間形成の資本主義的展開 -矛盾の構造と日本的特質」と題した講演は、土地に備わった矛盾の特徴を、使用価値と交換価値の概念によって明確に切り出すところから始まった。私たちが戦後空間を考える土台としての土地は、財産所有という面と、管理実践という面を併せ持つ。そのような土地を駆使した資本主義は、地球温暖化などの自然環境破壊と格差拡大などの社会的病理という問題に到達し、転換を迫られているという。そこで示唆された方向性は、リアルな社会空間における共在のあり方を考えることだった。

山下一仁先生は「農地法がもたらした戦後政治の安定と農業衰退 -歴史、課題、そして展望」というタイトル通り、農地法が農業の衰退をもたらすという一見不合理な帰結をつぶさに見れば、農林族・農協・農水省による農政トライアングルにとっての合理性に基づいた当然の帰結であるという。しかし「農民自体が農業を蔑視しているのではないか」という東畑四郎(第一次農地改革担当課長)の言葉として紹介された農の心の荒廃は、想定していなかったかもしれない(質疑応答での中島直人先生コメント)。このような農地変容メカニズムは、都市空間や都市の土地においては、どのようなものとして機能してきたのか、と問い直すことが求められよう。

以上を受けて、内藤廣先生は、合意形成ができるロジックとは何か?と問うた。都市は都心も郊外も変容し続けている。その変化は、高層化や不燃化のような人為的にもたらされた物理的環境における場合もあれば、高齢化のように未必の故意といえる社会的現象も含まれる。身近で生じている多様で複雑な変化に対して何らか対応しようと思うのであれば、何らかの合意形成を求める行為も併せて取ることを、コモン・センスとする努力を促したといえよう。

饗庭伸先生は、計画の不能状態が継続するという予測のもとに、敢えて、新自由主義的な/コモンズ的な道具立てという両極端を提示した。たとえば、開発の規範を高めながら、農地バンクによる農地の流動化に取り組んだらどうかと提案する。一方では、共有財産に基づくコロニーを作っていったらどうか、と提案する。このように全く異なる考え方で取り組まれる実践の単位が、あちこちに散在しながら共存している「都市のイメージ」が提示されたといえよう。

以上の議論から、私が受け取った問いは、以下の通りだ。

矛盾を備えた土地を対象に、私たちが何かをしたいのであれば使える道具を使わざるを得ないが、合理性をまとった不合理なメカニズムの中に私たち自身がいるときに、私たちは一体どのようなロジックに基づいて、共に在ることができるのだろうか。

シンポジウムの私的補遺
限られた時間でのシンポジウムでは、あまり話題にならなかった部分を自分なりに補足しながら、上記の問いを考えたい。

戦後、都市空間変容のメカニズムを動かしてきたのは、資本主義と計画主義だ。土地所有を根底とする資本主義は、土地所有者が敷地を単体として変化させる権利を有することで成立している。しかし空間は連続しているので、都市における個々の土地の利用を調整し、管理する計画や法制度、それらが依拠する「公共の福祉」という理念が必要だということになる。つまり計画主義は、資本主義に対置していたといえよう。計画主義とは、現状よりも「公共の福祉」を実現している姿があるはずだ、という前提のもとで(この点は精査されることはないが)、その実現のために、必要な事業や規制を順序立てて実施していく立場だ。とりわけ都市工学分野において、必要性や順序の合理性は、証拠や論拠を用いて行政が判断できるものと想定されているといえよう。

資本主義は高度経済成長によって、計画主義は工学技術の進化によって、それぞれの「正しさ」が支えられてきた。高度経済成長も工学技術の進化も、日々の生活の中で常に豊かなものとして人々に実感されてきた。だから資本主義と計画主義の「正しさ」に対する批判はみられなかった。ここで批判とは、今とは異なる別のあり方の探究を意味する。

確かに、資本主義の結果としての過剰な開発を是正しなければいけないという論調はしばしば見られ、それに対して規制を強化して抑制するという計画主義的対応はみられた。しかし資本主義と計画主義の組み合わせという枠組みに対する根本的な批判には至らなかったといえよう。1970–80年代の住民による身近な生活環境における実践としての「まちづくり」には、批判の萌芽があったように思う。しかし都市部への人口流入が止まらない中、高層マンションに反対して良好な生活環境を維持することは住民エゴだと揶揄された。都市問題の筆頭に掲げられた木造密集市街地の早期解消という目的に照らせば、改善型/修復型まちづくりは効率的な方策とはいえなかった。ときとして資本主義による空間形成にも計画主義による空間改変にも反対してきた住民による「まちづくり」は、次第に、行政と住民の協働による「まちづくり」へと変質していった。「まちづくり」は、計画主義の一連の過程における実現という局面を強化する役割を担うようになった。実現という価値は、たとえば土地所有者らによる駅前商業ビル建設の法定再開発事業においても共通して望まれていた。「まちづくり」という用語は多様に使用されるようになった。資本主義と計画主義の双方に対する根本的な批判としての「まちづくり」は、対置していたはずの二つの主義が融合する状態まで指し示すに至り、言葉としての一貫性を失った。

だから高度経済成長が終わっても、いや終わったからこそ、せめて局所的な経済開発を特定の場所に誘導しようとする「まちづくり」が目指されるし、中心市街地活性化計画が失敗しても、工学技術に見切りをつけずに、立地適正化計画のように更なる計画体系が準備される。ここで留意すべきは、両主義の融合が、空間変容における行政の積極的な役割によってもたらされてきたことだろう。都市空間変容のメカニズムは都市空間を変容させる方法の変化も含むのだ。

そもそも生活において豊かさを実感した理由は、工学技術の進化や高度経済成長を単独で取り出しては説明できないものだろうし、ましてや資本主義・計画主義に求められるわけではない。しかし主義という言葉が適切なほどに、私たちはこの二つの主義者になっていないだろうか。特定の主義と「正しさ」を結びつければ容易に全体主義に陥ることは、戦争によって体験したはずだった。そう考えると、無批判なままで資本主義と計画主義の組み合わせである都市空間変容メカニズムの真っ只中にいる私たちは、敗戦から77年を経て、確かに戦後の都市空間に存在しているものの都市空間変容メカニズムの部品の一つに過ぎず、未だ主体者として「戦後空間」を創造できてはいないといえよう。このメカニズムから脱出するためには、「戦後空間」を批判的に構想する必要がある。

2.もう一つの戦後空間とはどのようにあり得たのか

2022年2月24日、ウクライナがロシアに侵攻された。20日あまり侵攻は継続しており、死者の数すら不明だ(3月14日までにマリウポリ市内だけで2,357人死亡(市当局発表)、ロシア軍兵士7,000人死亡(欧米メディア発表))。国外避難者は300万人を超えた(国連難民高等弁務官事務所3月15日発表)。18–60歳の男性は国外避難を禁じられ、家族が離散している。もしウクライナの人々にどんな戦後空間を望むかと問うならば、侵攻される前の状態、自分があのときに居た場所に居る状態に戻してほしいと答えるのではないだろうか。

こうした状況を思うと、私たちは、自分が今居る場所に居る状態が侵されないことを強く望んでいる、という当然の事実に思い至る。しかし戦後の日本社会を振り返れば、「自分が今居る場所に居る状態」すなわち在居の尊重は、ほとんど顧みられることはなかった。むしろ公共の福祉という目的を掲げた道路拡張や不燃化、土地の高度利用のためには、在居が侵されても仕方がない、という捉え方をしてきたといえよう*1 。

もう一度考えてみてほしい。私たちは、在居が侵されても仕方がない、という考え方を受容して本当に良いのだろうか。敗戦のとき私たちが望んだ戦後空間において、在居は二度と侵されないはずだったのではなかったか。在居が侵されることを時に仕方がないと受容することは、誰かにそれを受容させること、ひいては自分が誰かの在居を侵すことに直結する経験をしたはずではなかったか。

戦後の日本社会において、成立しなかった法案がある。GHQ占領下の片山内閣において構想された宅地法案だ *2 。宅地法案は「宅地の利用者の地位の安定」という項目を掲げていた。宅地において尊重すべきは、所有者ではなく利用者であり、利用者による利用の状態が継続されることだ、という思想が伝わってくる。市街地における家宅地は所有地の一筆に限られ、収容(ママ)の規定は適用されず、他人への譲渡や賃貸権抵当権などの設定が禁止されることなどが書かれていた。

もし宅地法が成立していたら、どうなっていただろうか? *3

大地主は自分が住む以上の家宅地を持っていても、貸すことができないので売却するかもしれない。多くの大地主が同様の行動をとれば市街地の家宅地の値段は下がり、そこに住みたい人は家宅地を購入できたかもしれない。土地所有者であれば、現実世界の賃借人よりは、在居の場所が立地している環境に対して強く介入できたかもしれない。都市計画の関連法制度も変わるだろうが、そもそも収容(収用)されないのだから伝家の宝刀を失った公共事業等によって敷地から追い出される心配はない。狭い路地の木造密集市街地が拡がって大火が何度も起こったかもしれない。陸鉄空路が整備できず都市間移動は非常に少なかったかもしれない。今回のパンデミックが生じたときには家賃が工面できずに追い出されるような事態は防げたかもしれない。もしかしたら在居を尊重することがコモン・センスである社会になっていたかもしれない。

いずれも空想に過ぎない。しかし今とは異なるもう一つの戦後空間はあり得たし、それが模索された瞬間は実際にあった。

3.もう一つの戦後空間を求めて

資本主義と計画主義を正しいと捉える認識が、新自由主義を新たな権威主義へと変態させている、と私は考えている。都市空間変容メカニズムから脱出するためには、それらの主義に抗わなければならない。抗い方には色々あろうが、本稿ではこれらの主義を相対化すべく、個人主義と民主主義への配慮を求めたい。

ここで個人主義とは、感情と理性を備えた人間を尊厳をもって扱うということだ。今居る場所から退かされたくないという根源的な感情を貶めない行動が可能な理性を人間はもっていると信頼することだ。そのような信頼を持つことは、いつでも極めて難しく絶望的にならざるを得ない。そもそも根源的な感情は様々で、その危うさこそ、戦争という事態まで持ち出さなくても日常的に他人への嫌悪感として私たちを襲ってくる元凶でもある。しかし日常が戦争につながることも私たちは知っている。信頼研究の山岸俊男は言う。「他者一般あるいは人間性一般を信頼するということは、ただやみくもに他人は信頼できると思いこむことではなく、他人が信頼できるかどうかを見分けるための感受性とスキルを身につけ」ることだが、「とりあえずは他人は信頼できるものと考えるゆとりを」持ったらどうか、と。さらに「他人を信頼する正直者が馬鹿を見ない、そういった人たちが得をする社会〜は人間の心だけが生み出すものではなく、適切な環境さえ整えることができれば自然に生まれてくる可能性がある」*4 と続ける。

こうした可能性を描くには、民主主義を伴わねばならないだろう。ここで民主主義とは、私たち一人ひとりの責任と義務を礎として、自分たちが社会の在り様を決めていくことだ。投票などの政治システムを想起させる言葉だが、身近な生活環境の維持管理という実践も含まれる。私たち一人ひとりは違うので、私たちが共に在ろうとする空間において、違いに応じた生き方がぶつかりあうのは当然のことだ。その衝突を完全に制圧することを目指すのではなく飼い慣らす工夫が民主主義の技術だ。注意せねばならないのは、民主主義の技術はいくらでもあるのに、私たちが制度に頼りがちになるという点である。おそらくそれは制度が時間を短縮してくれるからだろう。制度は、人民に主権があるという設定によって計画主義に染まりやすいことはすでに述べたとおりだ。自分に主権があると主張する主体を、私たちは警戒せねばならない。嘉戸一将は「主権者という語がまさに全能者の如く政治的に濫用される傍で、主権論そのものが放棄されようとしている」という時代分析に基づいて「(西田幾多郎の)<絶対無>主権論に、制度の正統性論としての意義を見る」*5 という。

ここで「「絶対無」とは、法の法としてのステイタスを保証するのみならず、人の「創造者」としての、「主体者」としての、法的語彙で言い換えれば、人格としての地位を保証するものだ」(下線部は筆者による)※6。制度を批判的に理解しようとすれば、制度の外に出る必要がある。だから下線部の指摘は、制度への論及に止まらず、同時に制度における主権の本質を説明することに成功している。それに倣えば、空間を批判的に理解しようとすれば、空間の外に出る必要がある。私たちの存在の形式上、それは難しいことに思えるが、空間の相棒である時間にいったん頼る方法があるかもしれない。

戦争や敗戦という出来事をなかったことや過去のものとしてはいけない。戦争や敗戦が過去に起こった歴史的な出来事として現在に跡付けられている状態を「戦後空間」の特徴としていかなければならない。「戦後空間」とは、誰かが作ってくれるものではなく、完成がある作品でもない。完成したと思ったときに「戦後空間」は「戦後空間」ではなくなる。「戦後空間」とは、未来からみたときに、確かに「戦後空間」があったとしか認識できない。一人ひとり違う人間が共に暮らすのだから、受動的にも能動的にも、在居は常に脅かされている。私たちが取り組まねばならないことは、自分たちで「戦後空間」にしていくという絶え間なく果てしない希望のある作業だ。そのときに常に立ち戻る原点は、在居の尊重だ。


1 ─── 窪田亜矢2021 都市空間政策は「在居」をどのように扱っているか?-在居に関する法制度と事業に関する基礎的研究,日本建築学会計画系論文集,86(779),209–217

2 ─── 大本圭野1991 証言-日本の住宅政策,日本評論社、大本圭野1996戦後の土地・住宅政策と地方自治の原点-「宅地法」の策定と挫折を中心に,住宅総合研究財団研究年報№23,245–254、窪田亜矢2021別の仕方で、今を考える-もし宅地法が実現していたら,建築ジャーナル12月号№1324,36

3 ─── 「もし」や「たら」「れば」を考える反実仮想は、敗者の言い訳だと蔑まれがちだ。しかし私たちは戦後という時間を過ごしているにもかかわらず戦後空間を作り出すことに失敗しているのだから、反実仮想は必須だ。「史実以外にもありえた可能性に思いを巡らせる反実仮想は、想像力を触発して、歴史のなかの「敗者」を救済する唯一の方法」だからだ。赤上裕幸2018「もしもあの時」の社会学 -歴史にifがあったなら,筑摩選書(引用箇所は50p)

4 ─── 引用はそれぞれ8pと202p。山岸俊男1998信頼の構造 -こころと社会の進化ゲーム,東京大学出版会

5 ─── 引用は430p。嘉戸が紹介する西田の「国家理由の問題」における主権に対する考えとは「全体的一と個物的多との絶対矛盾的自己同一的世界の中心を映すものとして、主権が主権であるのである。そこに何処までも我々の自己が個物的として世界を映す、逆に自己が世界の自己表現として自覚的となると云ふことが含まれてゐなければならない。全体的一としての主体が、何処までも理性化せられることによつて、それが主権となるのである」351p。嘉戸一将2019主権論史 -ローマ法再発見から近代日本へ,岩波書店

6 ─── 引用は353p。嘉戸、前掲書。

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日本建築学会歴史意匠委員会傘下のWG(2017年1月発足)です。