戦後空間
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レビュー|石榑督和|戦後の居住を支えた生業と共同

戦後空間シンポジウム 02 |技術・政策・産業化 ─── 1960年代 住宅の現実と可能性

菅浦に点在する鉄骨造の小屋

琵琶湖の北端に菅浦という集落がある。集落の東西に四足門をもち、中世以来の惣村としての景観をよくとどめていることで知られ、2014年には文化的景観に指定された。その菅浦集落に、1960年、規格化された鉄骨造のプレハブ小屋が20棟一斉に建設されたことをご存知だろうか。

菅浦の農村家庭工場の作業小屋

戦後、陸の孤島と化し、疲弊していた農村を工業で振興させるという理念のもと、発動期メーカーのヤンマーによって建設された「農村家庭工場」の作業小屋である。現在も菅浦を歩けば、プレハブ作業小屋が集落に点在していることを確認できる。

農村家庭工場とは、農家の敷地内に作業場をもうけて、農業や菅浦でいえば漁業の合間に副業として部品加工に従事できるようにし、現金収入を得難い農業や漁業での生活を支えていこうと企図されたものである。ヤンマーの創業者である山岡孫吉が地元滋賀の農村のために実施した事業であった。シンポジウム「技術・政策・産業化 1960年代住宅の現実と可能性」で議論された、農村から人口を吸収し拡大する都市に建設されていった住宅が建設される現象と表裏の関係にある事業であったといって良いだろう。

菅浦と作業小屋の分布

図の通り、集落西側の陸上交通での入り口には共同作業場が設けられ、かつての集落の領域を規定する東西の四足門の間に作業小屋が点在している。事業化にあたっては集落としてまとまった意思決定があったはずで、惣村としての社会的集団の性質が戦後にも引き継がれ、ヤンマーとの協同のなかで生まれた事業であった。

作業小屋の平面規模は芯々で3,030×4,480mm、約4.1坪である。構法は鉄骨造で規格化され、同断面のC型鋼で大半が構成されている。プレハブ住宅の原点と言われる「ミゼットハウス」が大和ハウス工業株式会社から発売されたのが1959年10月であり、菅浦の作業小屋はその半年後に建設されている。プレハブの黎明期に生まれたものであった。

住宅の工業化、建材としての鉄

シンポジウムで松村秀一は、戦後の日本の住宅の工業化と産業化をありありと語った。

松村によれば、年間の住宅着工戸数は1955年には26万戸(人口1000人あたり2.9戸)、1960年には42万戸(1000人あたり4.5戸)、1965年には84万戸(1000人あたり8.5戸)、1968年には100万戸を突破し、以降リーマンショックの2008年まで年間100万戸台の住宅が着工されてきたという。最高値は高度経済成長が終焉する1973年の190万戸(1000人あたり約17戸)。こうした住宅量産時代を支えたのは大工であり、1980年まで大工は増え続けた。と同時に住宅の工場生産、とりわけ建材の工業化が大きな役割を果たしていた。

戦中期の1941年の鉄の出荷先は、軍需と機械向けがそれぞれ4割弱に対して、建設向けは3%に過ぎなかったという。しかし、1950年代半ばから鉄が建設市場に本格的に入ってくる。1950年代半ばから1960年代後半にかけて軽量鋼材、H型鋼などが開発され、1955年には冷間加工による軽量型鋼が国産化した。

こうした状況を背景に1960年代から1970年代にかけて鉄を用いたプレハブ住宅を開発した会社(積水ハウス、大和ハウス、セキスイハイム、旭化成ヘーベルハウス、Pana Home、トヨタホームなど)が、今日、年間1万戸を超える住宅を供給する大手住宅メーカーとなっている。

建材としての鉄が建設市場に本格的に入ってまもなく、陸の孤島と言われていた菅浦にも建物となって現れていた。ヤンマーは1960年代以降、ディーゼルエンジンだけでなく、農業機械の製造にも力を入れていった。農村家庭工場は、旧中間層として生産のための土地を所有する農家の人々が都市に働きに出なくとも、農業を続けながらも戦後を生きていく術を提供しようとするものであった。

農村から都市へ移動する人々の「普通の人生」

シンポジウムで平山洋介が語ったように、日本の20世紀後半においては、政府は住宅政策を立案し運営すると同時に、市場・企業・家族などの働き方に介入し、住宅システムの全体像を操作しようとした。日本の住宅システムは、多様な生き方を中立的に支えるのではなく、「普通の人生」のモデルに沿って生きようとする人たちに支援を集中し、ライフコースの標準パターンを保全した。すなわち、家族の「梯子」において結婚して子供を育て、仕事の「梯子」では安定した雇用と所得を確保し、住まいの「梯子」を登って持ち家を取得する、というパターンが「普通の人生」を定義づけ、住宅システムによる援助の対象となった。

これは新中間層としての雇用者層を拡大させ、住宅所有に向かう人たちが社会のメインストリームを形成するという「流れ」をつくりだしていた。いうまでもなく、これは農村から都市への人口移動を意味するし、こうした人々の住宅建設の下支えをしたのが松村の示した住宅の工業化であった。

住宅建設地としての郊外開発と都市自営業層の形成

ただ、離農者がすべて雇用者層になっていったかといえばそうではない。社会学者の新雅史が指摘するように、離農者は雇用者層だけでなく多くの第三次産業従事者(都市自営業層)へと姿を変えていった。

都市形成から考えてみよう。シンポジウムで松村や平山が明らかにした住宅の建設と持ち家の拡大が雇用者層の住宅であるならば、彼らの家々は大都市の郊外に建設された。戦後に爆発的に拡大する郊外住宅地では、生活のためには住宅だけでなく同時に日常的な買い物の場が必要であり、郊外住宅地の形成は郊外の商店街形成と一体となって進んでいった。商店街は日用品や食料品を販売する小売店や、そうした小売店が集積したマーケットによってできていた。現在でも、戦後に開発された全国の団地周辺を歩けば、団地建設にともなって隣接地に建設されたマーケットを確認することができる。

東京都世田谷区の経堂すずらん商店街内のマーケット「ニューすずらん」

商店街といえば伝統的に地域に存在した商業集積のようにイメージされることも多いが、我々が商店街としてイメージする商業集積のほとんどは戦後に形成されたものである。「商店街」という理念自体は、戦前につくられたものであるが、戦前の商店街の多くは繁華街に存在するもので、日常的な買い物の場ではなかった。都市において小売商が爆発的に増加したのは終戦直後の闇市の時代であり、その後の高度成長のなかでの離農者の都市自営業層への変容、そして郊外住宅地の拡大との関係のなかで、日本の商店街は急激に数と商店数を増やしていった。これが我々が今日イメージする日常的な買い物の場としての商店街である。これはまさに1960年代の都市内で住宅を中心においていたことと表裏の関係にあった。

シンポジウムの平山の講演は「普通の人生」を進む人々が優遇されてきたことを示す物であったが、同時代的に商店街やマーケットの都市自営業層も保護され優遇される対象であった。彼ら零細自営業者は商店街として協同組合をつくり、共同して地域空間と経済をつくっていたが、持家政策と同様に高度成長には政策的に商店街を振興し助成する動きが強くあった。そうした助成をもとに巨額の建設費が必要なアーケードが、全国の商店街で整備されていくことになる。こうした経緯は新雅史が指摘するように、政治的に見れば都市自営業層が保守の強力な地盤として機能していたことと切り離して見ることはできない。

戦後の大都市での商店街あるいはマーケットの形成を考える上では、協同組合の組織化にも注目する必要がある。戦後の商店街の協同組合につながる制度としては、戦前期の農山漁村の振興をねらった産業組合が端緒となっている。産業組合による地域の生業の振興は、戦中期には購買組合という形で都市の自治会、あるいは終戦直後の店舗併用住宅としてのマーケットで広く展開し、その後には商店街の協同組合となっていく。

こうした組織形態とそこへの政策的な助成、そして郊外住宅地形成と商店街が一体となった地域空間の形成過程をどのように描けるかは、今後の建築学からの戦後都市史研究のひとつの大きなテーマとなるであろう。

参考文献

・石榑督和, 伊藤裕久, 山崎美樹「滋賀県菅浦におけるヤンマー農村家庭工場について」『学術講演梗概集DVD 建築歴史・意匠』2019、pp.997–998
・新雅史『商店街はなぜ滅びるのか』光文社、2012
・荒木菜見子「わが国戦後に形成された商店街の空間と組織に関する歴史的研究~アーケード建設事業に着目して~」京都工芸繊維大学修士論文、2017

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日本の都市・社会建設の急激な成長と国土の変貌において、日本の「戦後」はやはり有史以来の大きな画期であった。その時代が構築しようとしていた理念・都市・建築のビジョンを再検討することでこれらを相対化すると共に、なお継承すべき普遍的理念や課題を抽出し明確化する。そのために、戦後の都市や建築の実際の建設活動と計画、それらに関する法制度・政策・出来事・言説・生活体験・文化を対象化し、それらが緊密に結び付けられた領域の総体を〈戦後空間〉と名付けることで括り出す。

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日本建築学会歴史意匠委員会傘下のWG(2017年1月発足)です。