科学、数学、宗教、真実、中枢

世の中の全ては数式で記述可能。中学で物理学を学んだ時に絶望しました。すべての状態を正確に記述できるなら、この宇宙は完全に予測可能であって、未来永劫どういった道筋をたどるのかは決定されていると感じたからです。

その後、量子論によって神がサイコロを振ることを知り、その確率変数に人間の自由意志を見出した気になって安堵したものです。

物理学はいまでも好きで、Facebookにあるマイページの宗教欄には「物理学」と記載しています。別に「やべえこいつ変人だわ」と思われたいわけではないです。言ってしまえばこの現代社会も、物理を始めとした科学を神格化したイデオロギーに立脚していますよね。それと同じです。

科学は宗教

現代科学が正しいという前提で疑うことなく生活してるところがとても宗教的です。ただ、科学はときに真実が更新されます。危うい暫定的真実です。それでも、到達し得ない絶対的な真実という神に向かって歩み寄ろうと探求する姿勢は求道者を感じさせます。「神は存在する」という前提からスタートした神学と同じように「真実は存在する」という前提で科学は進歩してきました。

しかし、科学はどこまでいっても真実にはたどりつかない。科学は事実の積み重ねであって、それをどれだけ重ねても真実には成り得ないのです。少し噛み砕くと、科学はあくまで「過去」の事象から法則を見出すものなので、「未来」において同じ物理法則が働くとはいえないからです。明日には摩擦係数が0になっているかもしれない。重力が距離の3乗に反比例して働くかもしれない。

だから科学はどこまでいっても暫定的真実です。神様がこの世のソースコードを開示してくれない限り。

数学は新興宗教に似てる

ちなみに数学は、人間が作った規約的真実を崇拝している点で、新興宗教みたいだなと思ったことがあります。今日から俺が神ね、みたいな。

例えばユークリッド幾何学という新興宗教は以下の5柱の神を祭り上げることにしました。

P1. 2点を直線でつなげる
P2. 有限直線を好きなだけ延長できる
P3. 任意の点と距離に対し,その点を中心としその距離を半径とする円をかける。
P4. 直角はすべて等しい。
P5. 一つの直線が二本の直線と交わり,同じ側の内角の和が二直角より小さいならば,この二直線を延長すると,二直角より小さな角のある側で交わる。

これが絶対だと思っていたのに、後から非ユークリッド幾何学という別の新興宗教が出てきたりします。どっちが正しいとかじゃなくて、絶対視している公理系が違うだけ。そうやって規約的真実を色々想定してみて、出来上がる世界の美しさに酔いしれるのが数学の面白いところであり、限界でもあります。ヘーゲルの不完全性定理を持ち出すまでもなく。

人間が一番おもしろい

私がいま一番興味を持っているのは、そういった宗教的世界観や新興宗教的美意識を持ちうる人間の仕組みです。捉えきれない世界を人間は科学という宗教で捉えることで、できる限り固定化し、シンプルにし、脳の処理容量を節約しようとしているのかもしれない。

そう考えると、科学や宗教のようなイデオロギーは省エネを志向する脳が原因で発生しているのかもしれない。だとすると、他の惑星に存在した生命体が中枢を持っていて、その中枢が省エネを志向するものであれば、そこにも宗教的科学はきっと生まれるはずです。想像するだけでワクワクします。

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