思い出せない想い
文章は自分にとっての何なのか.
考えや感情を,あるいは頭の中の声を形にしたい時,私は文章を書く.
持ち歩いているノートに,大胆と2ページを使って
ある事柄に対する考えと,なぜそう考えるのかと,そしてこれから自分は何をすべきなのかを記す.
このmediumに投稿する時も,そのノートに記したことからピックアップした内容を書いていることが大半だ.
けれど時々,この書くという行為がとても重く感じる.
気が進まないわけではない.表現したいはずのモノが出てこない.
いくらPCの前に座っていても時間だけが過ぎていく.
小学2年生の頃,私は1つの小説を書いた.
「おじいちゃんの倉庫から見つけた宝の地図を頼りに,壮絶な旅に出る」
というよくあるゲームのシナリオのような物語だ.
お母さんにもらったA4のコピー用紙に,定規で罫線を引き,びっしりと文章を書いた後,のり付けして製本した.
完成した本は,ほんの20ページ程だったが,まるで広辞苑を作ったような気持ちで,母に自慢した覚えがある.
誰かに見せたいという想いはなかったが,自分の手で物語を作り,完成させれたことが無性に嬉しかったのだ.
しかし,あの時どうしてそこまで書きたいと思ったのだろうか.
大好きなポケモンのゲームをせずに,勉強では決してしなかった夜更かしをしてまで,どうして書き続けたのだろう.
何か伝えたい,文章にしたい,物語にしたい想いがあったのだろうか.
「好きなように,思うように.」
私が想う,mediumのテーマだ.
想う感情を,思考した考えを,伝えたい価値観を,言葉にのせて文章として記す.
宝の地図を思い描いたあの時の私とはだいぶ違うけれど,
もしかすると,思い出すべき文章への姿勢や,自らの在り方がそこにはあるのかもしれない.
とは言っても,やっぱり難しい.まだ答えも見つかりそうにない.
答えがあるのかどうかも定かではない.
ひとまず,こんなもやもやを文にしてみよう.そこから何か掴めるかもしれない.
そう思いながら,私はノートにメモを残した.