我想う、故に我在り。

sakuraneko
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5 min readJul 24, 2020
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私の書くエッセイはどうも自分語りっぽくなってしまう傾向があるようです。

他のライターさんの文章を読んでいると、自らの体験を元に、自分なりの考え方は勿論、その「ひととなり」まで感じさせられる素敵な文章である印象を受けます。私もいつかその一人になりたい、そしてゆくゆくは、自分なりの、「sakuranekoの」文章を創り、確立したいなと考えています。

今回は, そんな自分の目指す在り方について記したいと思います.

結局自分の話になりますが、ぜひ読んでいってください。

感情と思考のコントロール

私には夢がある。夢、というより人生の「目的」に近いかもしれない。

それは、私の周りの大切な人達(家族や友人…etc)を害悪から守る環境を創ることだ。

もっと具体的には、人の悪意や敵意による被害(詐欺や傷害のような犯罪、攻撃)を防ぐ「セキュリティネットワーク」を創りたいと思っている。

人の悪意や敵意が家族に迫った時、事前に把握、対処できるようなそんな「防衛ライン」が必ず必要となる。完全な情報社会になりつつある将来を含めて考えると、殊更対策が必要不可欠だと思うのだ。

その環境を築き上げる為に必要な要素は様々あるが、その一つとして

「他人の感情、思考のコントロール」

という術を私は考えている。

コントロールというよりも、悪意や敵意が向かないように意識を「ずらす」という表現の方が近いかもしれない。

悪意や敵意がないことが一番だが、しかしそれがこの世から消えないのなら、いっそ害が向かないようにするしかないのだと、私は思う。

少々強引な考えであることは勿論、承知の上なのだが。

感情とは何なのか

先日、大学で同じ学科だった友人2人と食事に行く機会があり、その帰り際、そのうちの一人を車で送ることになった。

現在ロボット工学の研究をしている友人は、 趣味で哲学書を読み漁っているらしく、考え方や在り方を教えてくれた。なるほど哲学とは突拍子もない思想だとばかり思っていたが(大変反省しています….)しかし思想一つ一つに、原理原則があり、そこから紡ぎだされた「考え方」は、医学や科学、工学と同じなのだと気づきを得た。まだまだ知らないことばかりだ。

そんな彼に私の夢を語ってみた。結構引かれるのではないかと気がかりだったのだが、終始コメントや疑問を投げかけてくれて、思いのほかしっかりと聞いてくれた。

私が話し終わった後、数分間の沈黙があり、彼がこう口にした。

「きっと俺の延長線にお前の考え方がある。」

一体どういうことだと尋ねると、彼は自らの考え方を語ってくれた。

彼曰く、「物事には、ある1つの原因があってそこから結果が生まれるように、感情や思考にも、原因と理由がある。まるで一種のプログラムの様に、何かに反応して、決まった感情が返ってくるのではないか」と。

妙に納得させられた。人の感情や思考は複雑だけれど、究極的に落とし込めば、まるでPythonで

>>>A=1

>>>print(A)

1

と返ってくるような単純なものなのかもしれない。そしてその延長線上に私の「コントロール」という応用があるのだ。

けれど実は、それが仮に事実だとすると、少し寂しく、怖いと思う自分がいる。彼の、そして私の考えに対して。

確かに彼の言うことは納得させられた。「プログラムのようなモノ」という表現も、もしかすると事実かもしれない。

そう思う反面、

感情とは人が紡ぎだす尊いものだ。人一人のあるいは、人と人との心が共鳴し自然に生まれるものなのではないだろうか。

コントロールなんてせずに、お互いを尊重しあう心で、お互いを大切に生きることができれば、そんな術は必要ないのだから。

そう考える自分がここに居る。

在り方

私には一つ、決めている自らの「在り方」がある。

あくまで「考え」は道具である

という在り方だ。あくまで、主は心(私)であり、考えや思考というのは私が使う道具に過ぎない。一線を引いて捉えるのだ。

先ほど二つの考えと想いを挙げた。コントロールによる環境の創造という考え方と、コントロールは寂しいという想い。

主であるのは想いのほうだ。感情や思考のコントロールなんて寂しく、怖いものなのだ。しかし、大事な人達を守るための道具として、その考え方も持っておく必要がある。

勿論、大事な人を守る術は他にも沢山ある。コントロールだけではない。支えある仕組み作りや、もしかするとお互いを尊重する術があるのかもしれない。

ただ、私が持つ道具一つとして、様々な考えを持っておく必要があるのだ。だからこそ、沢山の人と触れ合い、もっと色んな世界を見て、道具をもっと増やしていく。

価値観も、哲学も、思考も、沢山集めて、私(想い)の糧とする。

つまるところ、これが私の在り方なのだ。

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