目の輝きは永遠に
わたしのおばあちゃんは魔女だ。
わたしの父が日本から贈った着物で作られたハンドバッグをさげて、上下セットのコーディネートで、アイルランドの街中を歩く。
「そのハンドバッグどこの?めずらしいわね」
そう言われているのも何回か見た。
80歳でも女は、女よ。
ネイルはピンク。
ベッドルームはお姫様の部屋のように飾ってある。
おばあちゃんのことを誰も「おばあちゃん」とは呼ばない。
みんなには、ミセス・ドネリーか、愛称リーニー、と呼ばれている。
自分の子どもたちですら「お母さん」とは言わない。
あくまで、リーニー、なのだ。
おばあちゃんは知っているのだ。
自分が可愛い老婦人であることを。
お出かけ帰りにおばあちゃんに聞く。
「今日はボーイフレンドは何人できたの?」
「3人よ。」
まんざらでもない、という表現は合わないだろう、
むしろ、それが当然かのような返事だ。
女の人はみんな、おばあちゃんをみると、彼女のファッションやネイル、ハンドバッグをほめる。
そして、男の人は彼女の重いショッピングバッグを持ってあげようと手を伸ばす。
でも、わたしは見逃さなかったわよ。
ショッピングバッグを男性に渡しながら
自分が可愛いってことを知っている、
いたずらっぽい目が輝いたことを。
そう、わたしのおばあちゃんは魔女なのだ。
そうするとわたしも魔女だということになるだろう。
カトリックとケルト神話の混ざったアイルランドでは、こんな手に負えない女の人は魔女witchだと言われる。
おばあちゃんの娘、わたしの叔母との電話を切る間際、
叔母さんは言う、
「いい子にしてるのよ、魔女さんwitchy」
そう、血はあらがえない。
さて、どんなわるさをしようかしら…