与えることについて

綺麗なもの、美しい考え方に触れるたびに、自分の内側にある汚れを恥じる。透き通ったガラスのようなコトバに触れるのは、少し危険だ。現実はそんなにきれいではないから。でもそのギャップがなんだか病みつきになる。レバノンの詩人、ハリール・ジブラーンの詩をもう一つ紹介。

与えることについて
与えるということについて話して下さい。
金持ちの人がこういうと彼は答えた。
自分の持ちものを与えるときは
少ししか与えていないものだ。
自分自身を与えるとき
その時こそ真に与えているのだ。
なぜならば持ちものとは明日の必要を恐れて
しまっておくものにすぎないではないか。
多くを持ちながら少しだけ与える者がある。
それは人にみとめられるためで、
その隠れた願いが、施しを不健全なものにする。
少しだけ持ちながら、全部を与える者がある。
彼らは生命(いのち)と生命(いのち)の恵みを信じているから
その金庫が空(から)になることはない。
よろこびをもって与える者がある。
彼らにはそのよろこびが報いなのだ。
痛みをもって与える者がある。
彼らにはその痛みが洗礼となる。
与えるとき痛みもおぼえず、
よろこびも求めず、
徳をも意識しない者がある。
それは彼方(かなた)の谷でてんにんかの花が
芳香(におい)を大気に放つにも似ている。
彼らの手を通して神は語り、
彼らの眼の背後(うしろ)から
神は大地に向かって微笑(ほほえ)みたもう。
ハリールジブラーン 神谷美恵子訳
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