波切不動 Namikiri-Fudou

波切不動

それは海部川の支流、母川沿いの野江の集落を右手に通り過ぎ、一面田んぼが見渡せるあたり。不動橋を渡ると南の山際に庵があり波切不動とよばれている。母川は稀少生物の大ウナギやゲンジボタルが生息する、小川が大きくなったような川だ。かつては上流の櫛川にオオサンショウウオがいたという。上流に水源はあるが、海部川の伏流水が地表から吹き出していて、川に水を加えているらしい。

上流を望む

少し上流の広場には漣痕(れんこん)があり、かつては海が近かったようだ。「轟の漣痕」という名前からもわかるように、この辺りの地名は轟、そして「波切」となると、海をうかがわせるネーミングだ。

海陽町文化財 轟の漣痕

さて、波切不動には謂われがあり、看板に記されている。

【灯明杉】

弘法大師が不動の崖へ向かわれる途中、川螺の貝(こなのかい、カワニナ)の尻が足にささったので、大師は杖で貝の尻をこつんとつつかれた。そこれからこの川螺は尻無しになったということである。

不動の森では滝のかかった崖に、小山ほどもある大きな岩が今にも落ちそうにかかっているのを見て、大師はその前の地面に箸二本を立てて帰られた。後になってこの箸が芽をふいて二本の杉の大木となり、落ちかかる大岩をぐっとささえているように見える。

今ではこの二本の杉の間が狭くなり、その奥に祀られた不動尊にお参りする人がその間を通るとき、悪い心を持っていると杉の間にはさまって通れなくなるといわれている。

なお、天保10年7月22日の夜、海から出た灯明がこの大杉の梢へ飛んでくるのが遠近の村から見え、そんなことが七晩も続いたので、この杉を灯明杉と呼ぶようになったということである

(阿波志・伝説阿波名勝記・廻在録)

不動尊保勝会、海陽町文化財保護審議会、海部町チャレンジ徳島推進協議会

箸二本

天保10年の記録というのは、野口年長が記した『海部郡取調廻在録』に記されている。天保11年(1840)正月の調査によって書かれたものらしい。

『不動滝 此滝高弐丈斗 横巾壱間半 常水有

此滝に去天保十亥年七月廿二日夜より同月廿八日迄毎夜海中より燈明出て滝山に飛来しと伝ふ 此火遠近へも見へしよし』(海部町史p577)

また尻無し川螺の伝説は確か阿南市福井町でもあったと思う。

本堂への石階段の参道の左に還り道がある
本堂

さて、灯明杉の向こう側にある本堂は磐座といってもよく、上には巨岩があり、落ちてこないものかと心配してしまう。本堂には不動明王が祀られている。境内のあちこちにお不動さんがいらっしゃる。本堂の左側にも参道がありその道沿いに2体。まずは立像で色はつけられてない。右手に剣を持っている。

不動立像

少し行くと2体目のお赤い炎をしょったお不動さん。こちらは剣をまっすぐ持って座っている。背後の炎は迦楼羅焔(かるらえん。迦楼羅の形をした炎)というらしい。剣は竜(倶利伽羅竜・くりからりゅう)が巻き付いている場合もあり、この事から「倶利伽羅剣」と呼ばれていると聞く。

不動座像

参道のさらに左手に不動滝があり、普段は枯れているが、雨の後などは水量が多い。

不動滝

その滝の左に一体、お不動さんがいる。岩肌を円形にくりぬき、据えられている。

岩を円にくりぬいた中におはすお不動さん

また、不動明王には脇士がいる。通夜堂をくぐったすぐ、門番のように2体の石像が待っている。向かって左は制吒迦(せいたか)童子、右は矜迦羅(こんがら)童子で不動三尊と呼ばれている。

左は制吒迦童子、右は矜迦羅童子

ほかにも謎の球体の石像物もある。

いったいどんな神様なのだろう?

お不動さんをまつった祠は多いが、ここまで揃っているのは珍しいと思う。野江は小さい集落だが色んな方がここにお参りに来られたのだろう。

最後にここの苔は見事と言うほかない。南に崖が聳え陰になっている上に、少し入り組んでいるため、室(むろ)のようになっている。こうした地形から広い範囲に苔が敷き詰められていて、この雰囲気がここの一番の魅力と云える。一面に広がる柔らかな苔の絨毯の上で石の芸術を巡り観察するのも非常に興味深いと思う。

こちらに来られて写真を撮られる際は、5月か6月ごろをおすすめしたい。ちょうどホタルの時期でもあるが、緑が映える頃だと思う。さらに雨の降った翌朝となるとさらに瑞々しい雰囲気になっている。


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