祭りの終わりの夜

大里八幡神社秋祭最終夜

大里八幡神社の秋祭り、最後の夜の美しさは知られていないと思う。

お昼前からはじまる宮入りの後、直会の小休止を経て、神輿、天狗、獅子舞がお出ましになり、祭はクライマックスに突入する。そして浜入りがおわると、祭を見物に来た方はこのあたりでそれぞれ帰っていく。それを尻目に関船だんじりは帰路につくのだ。

途中休みを取りながら、祭の終わるのを惜しんで、比較的近くの免許、大里のだんじりを早く帰らさないために、あからさまに休みを取って進行を遅らせる「嫌がらせ」が行われる。だんじりを止め一服し、輪になって酒を飲みながら座り、先を争って伊勢節を唄う。鞆浦では往路と帰路では節回しが微妙に変わっている。そして天気のよい日は心置きなく一服できるので、帰るのが一層遅くなる。

そうこうするうちに近いところから免許、大里のだんじりがそれぞれのだんじり小屋に戻っていく。しかし奥浦、鞆浦の関船、だんじりは川向こうの集落なので、相当の時間がかかる。

海部川左岸の土手に差し掛かる頃には薄暗くなり、関船だんじりには帰り道の途中でバッテリーが載せられ、赤、青など極彩色のLEDの光が灯され飾りが輝く様は壮観なのだが、すでに見物客は去り、この美しい光景を知る人は殆どいない。このあたりから祭の知られざる美しい風物詩が海部川のほとりに展開されるのを眺められる至福の時が来るのだが。


南町の関船が海部川を渡る頃にはあたりはもう暗くなっていて、電飾された関船が美しく光るのを目の当たりにする。海部川橋の真ん中に差し掛かかれば曳き手は歩みを止め、祭の当屋が関船に飾られている笹に火を付けて海部川に流す。まだ資金が潤沢にあった頃はここで船の屋根に上り、花火を打ち上げたらしいが今では行われていない。

海部川筋ではだんじりなら花は打ち子に贈られる。ところが関船は打ち子がいないので花は集落に贈られる。笹に花をいただいた方のご芳名を記した紙をくくりつけ、彼らの無病息災を祈念する。お礼だけでなく祭が無事終わったという感謝、そして来年も祭を取り行いたいという誓いが込められているのだろう。

私はこれが祭の終わりを宣言する儀式だと密かに思っている。曳いている者、集落の者しか知らないフィナーレだ。


海部川を渡ると奥浦の町を通るルートと左折して河口から山下を通るルートがある。元気のある町の関船だんじりは奥浦の町を賑やかにしたくて、真っ直ぐに奥浦の商店街を通って帰る。

鞆浦には、南町、北町、仲町、そして東町の順に帰ってくる。鞆浦漁協の南にある旧海部川河口を渡った集落の入り口から帰ってくるのだが、帰るのが余りに早いと祭が終わってしまうので東町の衆がロープを張ってあって入らせないようにしたこともある。祭の夜はなかなか終わらない。

南町の関船は広場で止まり、少し解体して関船を小さくして、「ホソヤ」と呼ばれる細い路地を通り、南町の通りの真ん中で解体される。飾りが取られて終了となる。
そうやって祭が終わるのは夜8時ごろだ。海部川の祭の夜は長いのだ。


大里八幡神社

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