
ネガティブ=悪、それもまた偏った見方です。
過去を受け入れない姿勢も、過去の教訓を生かすという範囲では有意義です。
安全を維持するために、未来を悲観的に想定し備えることは決して馬鹿げてはいません。
現在進行形の苦痛に対しては、無理にポジティブになろうとせず、しばらくは嘆き悲しんでおくに任せるほうが、心の痛みが緩和されることも多々あります。
ネガティブなものの見方・感じ方というのは、様々な場面でセーフティーネットの役割を果たすのです。
じゃあ、ネガティブの一体何が問題なのか?
それは、ネガティブな見方・感じ方は容易に心を支配する、という側面です。
人の心は、一度ネガティブな見方・感じ方に「支配」されてしまうと、自分の力だけでは、よほどの運がない限り、そこから抜け出せません。
そのままでは、お決まりのコースを転がり落ちていくだけです。
この世界は、本質的には奇跡的に素敵な世界です。
どこまでもその素晴らしさを追っていけます。
その反面、生身の生き物にとっては残酷・過酷な側面があります。
常に聖人君主でいられるほど生易しくはありません。
生きることに恐怖感を伴わないとしたら、それはもう「人間」ではありません。
なので、語弊はありますが・・・
劣等感、物欲、悲嘆、怒り、色欲、過食、ものぐさ、大いに結構です。
それらを忌み嫌う必要はありません。
ただし、囚われない限りにおいて、です。
それに囚われてしまうと、自他に多大な弊害をもたらすことになります。
しなやかな心
人間は、知らず知らずに一方的な見方・姿勢に偏っていきます。
しかし、皮肉にも、その偏りが限度を越すと、自他の調和を破壊し、苦痛に苛まれる結果を招きます。
今、現在進行形で心痛に襲われているとしたら、ネガティブな見方に囚われているか、反対に、頑なにネガティブに振れるのを拒んでいるか、どちらかを疑ってみることです。
しなやかな心とは、一つの見方に囚われるのではなく、状況に応じて自分の意志で選べる複数のスタンスを維持している心のことです。
今の自分の見方・姿勢に固執するのでなく、かといって否定するのでもありません。
今の自分の見方・姿勢と異なる見方・姿勢を想創し、選択肢を作るよう努めるのです。
どう選択しようが、どのように切り替えようが、自由です。
どれも間違ってはいない、ということを自覚したうえで、自らの意志で、臨機応変に対応するしなやかさを養っていきましょう。
あなたらしさ、真の自由を発揮するところです。
This story is published in “夢ならば夢らしく”.

