ボクには最高の被写体がいるはずなのに…。

masaki
痴れ者の戯言
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6 min readApr 14, 2017

始めにお断りしておかなければならないが、タイトルに『被写体』とはあるが、本エントリーは写真撮影に関するものでも、写真のコレクションの話でもなんでもない。

ただ単にこの秋結婚10周年を迎えるにもかかわらず奥さんを愛してやまない、奥さんフェチなおじさんの話である。

いっちょ前にミラーレス一眼レフカメラを手にして、早四ヶ月。我が家の愛犬だの愛猫だの、我が家の娘たちを撮るのも楽しいのだが、それだけでは飽き足らず。

カメラ散歩に出かけては目にした光景をパチパチ。土地土地の地域ネコに出会うと挨拶がてらにパチパチと、それなりに写真を撮るということは楽しいもんであるなぁ~と素人ながらに面白みを感じてはいるのです。

がっ!?もっとも身近なところに、どうしても撮りたいのに撮らせてくれない被写体がいるのですっ!!

それはうちの奥さん。普通カメラを手にしたお父ちゃんは我が家の子どもたちや、奥さんとか幸せな家庭の写真を取り捲るのだと思われます。ご他聞にもれず、ボクとしてもそんな幸せなひと時を残しておきたく、カメラのレンズを向けるのですが……。

我が家では奥さんにレンズを向けると、『ヒェェェ~やめておくれぇぇぇ~~~』と瞬く間に視界の外に逃げ去ってしまうのだ。

これはいかがなものか?うちの奥さん的には、この姿を後世に残すのは忍びないと。もっとダイエットして駿とした姿にならない限り写真は撮られたくない!と頑ななのである。

だからといって、この数年ダイエットに心血を注いでいる感はまったく無く、日々自由に伸び伸びと暮らすうちの奥さん。

ボクにとってはそんな奥さんであっても、というかそんなあるがままの奥さんをいまだに愛してやまないのである。

出会ってから早干支一周。付き合うようになって11年。そして今年の秋でスイート・テン・ダイアモンドっ!?果たしてスイート・テン・ダイアモンドをプレゼントできるほどの甲斐性があるかどうかは別として、それに余りある愛情をいまだに垂れ流しているボクなのだ。

10年もともに一つ屋根で暮らしていて、いまだにこうなのは我ながら気持ち悪いとも思える。

うちの奥さん的にはどう想ってくれているのかわかりかねるところはあるが、おそらくボクがうちの奥さんに抱いている感情というものは普通の男女の恋愛感情や、家族への愛情といったものとは異なるのではないか?とフト思うことがある。

というのも、好きだからといって10代、20代の恋愛のようなスキスキ光線出まくりな見ていて恥ずかしいいちゃつきなどはまずしない。

どちらかというと、ボクは常に冷静に第三者的な眼差しでうちの奥さんを愛でているのだ。おそらく、ヘンタイなのである。

ボクの好きなタイプというのは、いつの頃からか決まっており、『色白、茶髪のストレート、お目目真ん丸、口がデカい。前髪パッツンなら言うことなし!』というもの。意外とありそうでないようなこの条件を、まるで絵に描いたようにうちの奥さんは持ち合わせており、12年前にボクの目の前に出現したのである。

青天の霹靂と言う言葉の意味をボクはこの時初めて理解した。

当時、ボクの職場にやってきたうちの奥さんはボクのラインに配属することとなり、もう、心の内は毎日ハァ~ハァ~が止まらないものの、就職した頃から「同じ職場での社内恋愛は絶対にしないっ!」ということを心情としてきたボクは、自ら嵌めた足枷ゆえに何することもできず、据え膳喰らわされた犬のごとく、ダラダラと涎を垂らし続けるしかない日々を過ごしたのである。

そんな精神安定上よろしくない日々が一年続き、ボクは別の部署に異動。心の足枷から開放されたボクは、これまでの恋愛でも見せたことの無い速度で押し捲り、彼女と付き合うことになったのである。

その後はマンガのような予定調和なとんとん拍子。付き合って1年後くらいに、ボクが彼女の家の近くに引っ越すと翌月には彼女が転がり込み同棲開始。その年の秋には結婚。以来早くも10年あまり。

いまだかつて彼女への愛情がブレたことが無いというヘンタイぶりなのだ。

自分自身のこの感情の迸りがよくわからなくなるのが、たまにフト「ボクはなんでこの娘と一緒に暮らしているんだろう?」という感情を抱くことがある。だいたい夜にベッドの隣でスヤスヤ寝息を立てているうちの奥さんの寝姿を見ているときに突然そんなことを思ったり。で、そんな寝姿を眺めながら愛おしいのぉ~という感情が滲み出てきたりと、いったいボクはどういう立ち位置でこんな感情の起伏を生み出しているのだろうか?と。

ここらで話を戻すが、ボクのうちの奥さんに対する感情というものはいわゆる好きな女性に対する見方と違うのではないか?と。かといって父性が強すぎて娘のように感じるというのとも違い、ちょっと近いといえば犬猫を愛でるのと似通っているような気もするのである。

また、ボクのヘンタイ気質の一つとして衣服やガジェット、文房具といった『モノ』に対する執着心はかなり強いという面がある。気に入ったモノは丁寧にいつまでも使えるように扱うんで、モノ保ちがよかったりもする。

そういう面ではボクはかなりフェチ的な側面を持ち合わせているともいえるだろう。だとすると、うちの相方さんに対してもフェチ的な感情で萌え滾っているのではないか?と。

とにかく、いまだにうちの相方さんが何をしていても愛おしくて仕方が無い。一挙手一投足、おそらく子供が生まれるとただ動くだけでも愛おしいと感じる親心のような、犬猫をただただ可愛いと愛でているときのような。

そんな、何していても可愛くて仕方が無いうちの相方さんの姿をとにかく写真に残してコレクションしたいのっ!というのはやはりフェチであるが故なのかもしれません…(^^;)ハハハ。

しかし、そんなボクの楽しみを受け入れていただけない今日この頃なのである。

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masaki
痴れ者の戯言

未だにまだ公私ともにいまだ夏めいてます。 一体いつになったら実年齢と精神年齢が等しくなるのでしょうか? 読書好きというよりも、活字中毒。 音楽好きというよりも、音響中毒。 一日活字を目にしないと瞳孔が開きます。 一日音楽を耳にしないと宇宙の意思と交信を始めます。