レンズの画角と相性

masaki
痴れ者の戯言
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4 min readJun 30, 2017

カメラのレンズにはざっくりワケると広角、標準、望遠の3種類がある。

一般的なものは名前の通り『標準レンズ』。

50mm焦点のレンズは人間の目で『見る』範囲に近いらしく、いつしかこの50mmのレンズを標準レンズということになったらしい。

カメラに興味を持ってからいろいろと情報収集を始めて、このような知識を得るようになったのだが、では『標準』である50mmレンズがボクにあっているかというと、それはまた別の話なのである。

世の中に『スマホ』というものが現れて以来、写真はスマホのカメラで十分じゃん!と思うようになり、iPhone5sに替えてからというもの普段使いのカメラはいつも持ち歩いているガジェットの一機能で十分だと思っていた。

それがある日突然、iPhone5sからiPhone6sPlusと慣れ親しんできたiPhoneに記録され続けていく写真を見て、あまりの奥行きの無さ、ペラペラな『写真』というよりもただの『画像』に観えてきて、我慢できなくなったのである。

そんな意識の変化があり、久々に手にしたカメラがRICOH GR2だった。

以来、久々にドップリ嵌まり込む趣味の一つになるわけだが、この時のボクはまだ情報の波に飲み込まれること無く冷静であり、RICOH GR2にした判断基準はというと、

・iPhoneのカメラ同様、いつでも持ち歩ける程度に小型軽量であること。

・スマホカメラの写りとは異なる、奥行きを感じさせる『写真』が撮れること。

・ガジェットとしての所有感、満足感を満たしてくれること。

であった。

まだレンズ交換式のカメラという選択肢はなく、上記条件を満たすものとして各社の高級コンパクトデジタルカメラの類が候補に挙がったが、中でもRICOH GR2のあの無骨なほどの外観、小さくてポケットにも十分入るサイズにもかかわらず、しっとりとした質感とグリップ感、そしてこれがデジタルカメラの画像か!と感心するほどのデジタル一眼にも負けない画質から、ボクはこのメインストリームからはちょいと外れた孤高のカメラを選択したのである。

やはり普段使いのガジェットは見かけが第一!なボクである。最先端な機能よりも手にして満足感を得られるモノがなによりなのである。

雛鳥の習性として、孵化した直後に目にしたものを母親と思い込む『刷り込み』という習性があるが、初めて手にしたガジェットで、しかもそうとう惚れこんだモノに対しても、それを使っているうちに『刷り込み』のように身体が覚えてしまう感覚を持つことがある。

スナップシューターとも言われるGR2は、それこそ他のカメラに現を抜かすようになるまで肌身離さず持ち歩き、ボクの視界を切り取る道具と化したのだ。

そんなGR2のレンズはフィルムカメラ時代からの伝統のGRレンズ28mmの画角を持つ、広角域のレンズを持っている。

久々にちゃんとしたカメラを手にしたモンだから、ボクは特に不自然とも思わずGR2のセンサーが映し出す画角を素直に受け入れていたのだ。

それゆえ、ボクの受け入れやすい画角というものも必然的に28mmに定まってしまった感がある。

その後ドップリカメラに嵌るに従い、標準レンズの50mm、使いやすい広角レンズといわれる35mmと試してみたが、50mmだと寄りすぎでボクには窮屈に感じてしまう。35mmではなんか広がりもピンポイントもどっちつかずで中途半端な気がしてならない。

やはり、感覚的にボクの視野が28mmを求めてしまっているのである。

ミラーレス一眼のPEN-Fにいろんなレンズを試してみたり、35mmの画角を持ち、ならではの『写り』を見せるX100Fを試してみたりした後に、改めてGR2を持ち歩くようになると、やはりボクには28mmが気持ち良いな!と感じる。

さらには、慣れてきた50mm(正確には47mm)や35mmといった画角にもGR2は対応してくれているんで、使いまわしのいいすぐれモン!

いやぁ~ほんとGR2ってよくできてます。

ということで、カメラのレンズには人それぞれ相性というものがある。光の再現や色味を重視する方もいれば、オールドレンズの独特な雰囲気を好む人もいるだろう。ボクにとってはそれが画角ということなのかもしれない。

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masaki
痴れ者の戯言

未だにまだ公私ともにいまだ夏めいてます。 一体いつになったら実年齢と精神年齢が等しくなるのでしょうか? 読書好きというよりも、活字中毒。 音楽好きというよりも、音響中毒。 一日活字を目にしないと瞳孔が開きます。 一日音楽を耳にしないと宇宙の意思と交信を始めます。