春とともに組織は脱皮を繰り返す。

masaki
痴れ者の戯言
Published in
3 min readApr 1, 2017

『春は別れの季節である』なとど使い古されたことを今さら書くのも気が引けるのだが、これ以上に端的に表す言葉が見つからないので、春は別れの季節なのである。

3月末から4月に移るこの瞬間、生涯の中で何度もこの別れと出会いを繰り返してきたので、いまさらこの時期に特別な思いを抱くことはこれまでなかったのだが、今年はちょっと感慨深いモノがあったのだ。

会社や組織に属する勤め人である以上、誰しも『定年退職』ということから免れることはできない。通常一般社員ということであれば60歳定年であろうか。それ以外にボクの会社には管理職ともなると『役職定年』と呼ばれる制度というよりも慣習のようなものがある。管理職のクラスにより53歳定年から55歳定年と、一般社員に比べて早々にその座を後進に明け渡さなければならないのだ。

毎年、3月最終週ともなると会社主催の管理職送別会やら事業部送別会等々のイベント開催される。これまでは担当内のメンバーの送別会ならいざ知らず、そんなおじさん方の送別会にはなんの関心も持てなかった。だって、知らないオッサンが退職しようがジブンには関係ないから(笑)

でも、今年はちょいと事情が違ったのだ。3月末をもって退職される方々の中に、ボクが新入社員から中堅に無事に育つまでにいろいろとお世話になった諸先輩方の名前が結構含まれていたのである。

ボクがまだ若造だった頃にお世話になった、課長代理だったり課長代理になる寸前くらいの主任クラスだった諸先輩方が、みなその後部長職から統括部長職に昇進されて、そして会社を去るのである。

ジブンも含め、嗚呼ぁ〜みんなもうそんなに歳をとったのかと。直接会えて若かりし頃ご足労おかけしたお詫びと感謝を伝えるコトが出来た先輩もいれば、最終日にメールをいただいて、慌てて感謝の返信を書いた先輩方。

今のジブンがあるのは当時の先輩方に厳しく指導されながらも、ある程度自由気ままな環境を与えてくれたからだと思ってる。若いうちから組織の歯車ではなく、自分の裁量で仕事を進めることの楽しさとそれに伴う責任の取り方を言葉ではなく、背中で教えてくれた。あの頃の先輩方というのはそういうタイプの人がまだ多かったのだ。

ありがちな、先輩の背中を見ながらいろんなことを吸収する。ボクはそんな時代の最後の方に育った世代なのかもしれない。

そんな先輩方が、会社を去り、新たな再就職先へと旅立っていく。いくら優秀な人材であろうと、『役職定年』という慣習の元に問答無用に席を譲らせる組織。しかし、だからこそ後進はその穴を埋めるために精進するのだろうし、組織は春に年に一度の大がかりな脱皮を果たして成長していくのだろう。

今年はちょっとそんなことを改めて考えてしまう季節の変わり目だった。

--

--

masaki
痴れ者の戯言

未だにまだ公私ともにいまだ夏めいてます。 一体いつになったら実年齢と精神年齢が等しくなるのでしょうか? 読書好きというよりも、活字中毒。 音楽好きというよりも、音響中毒。 一日活字を目にしないと瞳孔が開きます。 一日音楽を耳にしないと宇宙の意思と交信を始めます。