log, vol 04 「moment/movement」

これはlog vol,03の続きです。

現在、「模写を介した作者と鑑賞者との対話をテーマに卒業プロジェクト(以下、卒プロ)に取り組んでいる。卒プロも折り返すこの時期に、一度今取り組んでいるフィールドワークの経緯や目的、また言葉の使い方や私自身の背景などについて、「模写」に焦点を当てて整理しておく。

ぜひ、「研究会」のサイト(ブログ)にて公開されている2021年度春学期「卒プロ1」の成果報告合わせて読んでください。

◯目次

・卒プロの出発点

・春学期のフィールドワークを通して

・「模写」への期待

・「模写」のフィールドワーク(卒プロ1〜夏休み)

◯卒プロの出発点

「頭の中でふと思いついた。」

「目の前のものが全く別のものに見えた。」

アイデアを考えている時、そういった瞬間が不意に訪れることがある。そしてこれは、絵を描く、音楽を作るなどと専門的な創作行為に(あるいはアーティストやデザイナーと呼ばれる人たちに)限ったことではない。ふと思いついた事がきっかけとなって斬新なアイデアに結びついたり、それ自体が非常に魅力的な可能性を秘めていたりということを何度も経験している。では、この偶然的なものがどのようにして生まれているのか。まさにこの、”クリエイティブ ”の背後にある表現者の思考や文脈に対してどのようにすれば近づくことができるのか知りたいと考えた。そして、身近な創作行為の中で、私は「絵を描く」行為に着目した。真っ白の紙の上に突如として線が描かれる。偶然的に生まれた線たちが最終的に絵という形によって、ある種必然性を持って生み出される。この行為に隠された” クリエイティブ ”が不思議で仕方なかったのだ。

◯春学期のフィールドワークを通して

絵を描く行為の場合、作者の思考が絵となって現れてくるわけだが、その背景や意図は描いてる本人ですらわからないこともある。何より、描いている際にはそれ自体に夢中になっており無自覚なことも多い。そのため、描く行為の前後の中で、描いている際の背後にある想像の世界にどう近づくかが重要になる。その方法を探るために、大学4年生の2月〜6月にかけて、大きく3つのプロジェクトに取り組んだ…(詳しくはlog, vol 03にて)

フィールドワークのひとつとして、毎日、マグカップや本など身の回りのものをひとつスケッチするプロジェクトを実施した。そしてそこに、描く中での気づきや考えていたことを書き、友人(卒プロ協力者)に送るというルールを設けた。絵を描くことに対して苦手意識を持っている私が、まずは1ヶ月スケッチを継続するための動機づけとするためだ。注意したいのは、このフィールドワークは単に絵が上手くなること自体が目的なのではない。論理性(ここでは絵を描くための技術)の獲得や気づきの言語化によって、自身の着眼点を広げることが目的である。それによって、自身の表現したい世界の解像度を高められるのではないかと期待した。

スケッチのフィールドワークを始めて3週間ほど経ったある日のことだ。私が描いたスケッチに即発され、友人がスカートを履いた女の子の絵を描いて送ってきてくれた。コメントやアドバイスが返ってくることはよくあったのだが、絵が送られてきたことは初めてだった。嬉しくなった私は、次の日、その絵を模写して友人に送った。この時、友人が非常に面白い反応を示した。「人に初めて自分の絵を模写された。絵って無意識に自分のフェチや癖が出ているから、それが暴かれたようですごくムズ恥な気持ちになった。爪を噛む癖を言い当てられるみたいな感覚に近い。」まず感じたことが、絵を模写されるという行為が相手にとって嬉しい行為であるという驚きだ。これまで取り組んできた模写の中では、私自身勝手に人の作品を模倣することで楽しさを感じる反面、どこか後ろめたさがあったからだ。そして何より、協力者が、模写によって自分の絵を1本1本まで吟味されることが自分にとって1番の無意識の発見になりそうと言ってくれたことが強く心に残った。協力者の絵を模写しながら勝手に想像していた相手の世界に対して、相手が「見抜かれた。」と感じてくれたことへ私自身嬉しさを感じたのだった。

◯「模写」への期待

ここに、「模写」という行為を介した作者と鑑賞者との新たなコミュニケーションの可能性を見出した。私にとって「模写」とは、「鑑賞者」としてただ作品を外から眺めているのではなく、作者の見ている世界に一歩近づき、自分の身体を通して想像を巡らせる行為である。「鑑賞者」としてただ作品を外から眺めているのではなく、作者と同じ行為を重ねることによって作品を鑑賞することで、作者との「対話」を試みるのだ。「模写」という行為は、作品を必死に再現するため、目の前の絵を線1本1本の単位で分解し捉え直そうとする。じっくりと観察して、細部を捉え、想像を巡らせ。それを自分なりに解釈して、紙の上に想像し直す行為だと考える。紙やペンは違い、当然技術力も異なる。だからこそ、作者の世界を解釈し、翻訳しようと試みることが重要だ。模写をしている際、線を必死に見ているため何を描いているのかわからない感覚に陥る。しかし同時になんとなく描いている感覚は伝わってくるのだ。線を捉え、自分の手で身体的に想像を巡らすことで作者の表現の背後にある感情や内なる衝動を追体験しているのかもしれない。そしてそれを通して巡らせた想像や気づきを作者に返すことで、本人すら気付いていない癖や無意識の想像に対して(作者が)自覚的になることができるのではないだろうか。作者と鑑賞者とが2人で自覚的になろうと言葉を紡ぐことこそ、卒プロのテーマであったクリエイティブの背後にある表現者の思考や文脈に対して近づくことができる一つの方法であると考えた。

◯「模写」のフィールドワーク(卒プロ1〜夏休み)

そこで、夏休みの間、模写のフィールドワークを実施することにした。主に卒プロ協力者3名の作品を中心に描き写し、隣に私自身の気づきや考えをその都度記述することにした。そしてスケッチの時と同様にそれを協力者に送ることにした。「模写」を作者に返すことに加えて、”模写に取り組む中での気づきを記述すること”もフィールドワークを進める上で重要であると考えている。模写をしている間、様々なことを考える。絵の描き方など技術面に関することもあれば、晩ご飯の献立など全く関係ないこともだ。なぜそれに思考を巡らせたのか描いている時には説明できない(あるいは描いている時には意識が及んでいない)ことが多いが、描いた直後にふりかえることで自分の身体を描いているときの状態に近づける。その状態で語る言葉を集めることで、自身の表現行為(またその意識の変化)を探っていきたいと考えた。

模写する対象について、作風や画材、媒体(デジタル/アナログ)などの制限は設けなかった一方、二次創作を除く彼らのオリジナルの作品を中心に模写することにした。これは、不意に生み出された作者の思考により近づきやすくなると考えたからだ。また、3名の作品を対象にした理由は、この卒プロの根底にある、私自分が表現したい世界を知りたい思いだ。(詳しくはlog,vol02にて)しかし、現時点での私には、それを十分に表現できるだけの技術力はない。そこで、私が魅かれる協力者らの作品を模写することで、描くことによる表現行為に対して、自身の身体を重ねることができると考えたからだ。そうすることで、表現行為における自身の感性に対して自覚的になったり、作品に対して魅かれる理由をより具体的に語ることができたりすることで、私自身の表現したい世界の解像度も高まるのではないかと考えたからである。

「模写」を通して、自身の感性との対話を試みる。そしてそれを協力者に返すことで3人で新たな世界へと想像を膨らませていく…。

次号に続く

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