うたう、つながる、みつめる(2)

Chiharu Konoshita
綿毛の友
Published in
7 min readSep 25, 2016

日曜日の午後1時。私は「古民家食堂 ごんばち」の入り口の前に立っていた。後ろには「ごはんつぶ。」の仲間がいる。こうしてここを訪れるのは、8回目。今日はどんな出会いが待っているのだろうか。期待に胸をふくらませつつ、慣れ親しんだ暖簾をくぐる。

夏まっさかりの店内では、扇風機が忙しそうに首を振っている。縁側の大きな窓からは、背の高いひまわりが見える。
お客さんはざっと数えて15名。いつものライブの日と比べると、少ない。休日のお昼時らしく、小さな子どもを連れた夫婦が2組。若いカップルと、30代くらいと思しき女性2人組もいる。
私たちはまず、一人ひとりに挨拶をして周る。皆、いきなり自分たちのテーブルへ割り込んでくる“よそ者”に対して少し驚いた顔をするものの、話を始めると「楽しみ」「がんばってね」と微笑んでくれる。ごんばちへ集う人は、寛容だ。偶然を受け入れる余裕があるのだろう。

今日も出会いを探して、うたう。私は大きく息を吸い込んだ。

1月にこの取り組みを始めてから、月に1回のフィールドワーク(アカペラのライブ)を欠かさずに行ってきた。
フィールドワーカーとして大切にしたいのは、愛をもって現場にのぞみ、ていねいに観察・記録をすること。はじめは人前でうたうことだけで精一杯だったが、回を重ねる毎に余裕がうまれてきた。今ではライブ中も、ほとんどの意識を現場へと向けることができる。うたいながら、人々を観察するのだ。

「その人らしさ」との出会い

同じ曲をうたっていても、反応は人それぞれだ。その振る舞いに、個性が現れる。
例えば、中島みゆきの『糸』をうたっている時。2月のライブでは、やんちゃな息子達を連れた2人の若いお母さんが涙を流しながら聴いていた。それにつられて、別の席にいた少し年上のお母さんも涙ぐんでいた。別の日には、可愛らしい娘さんをぎゅっと抱きしめながら聴いているお母さんがいた。逆に、『糸』の時には興味がなさそうなそぶりをしてほうとうを啜っていたお父さんが、童謡の『ドレミのうた』を歌いだした途端にこちらを振り向いて、楽しそうな表情を見せたこともあった。

うたが何らかの形で思い出とリンクして、「その人らしさ」を表出させるのだろう。思わず現れてしまった「その人らしさ」を垣間見れた瞬間、私の心は揺さぶられる。私たちのうたによって引き出された、「その人」の一面に出会えたことが嬉しいのだ。

なぜその人がそのように振る舞ったのか、私は必死に考える。歌詞に共感したのかもしれない。うたっている私たちの姿に何かを感じたのかもしれない。聴いている他のお客さんの姿に、昔の自分を重ねたのかもしれない。その曲自体に思い入れがあったのかもしれない。その人に想いを馳せ、想像する。

『ダイアナ』がつなぐ

縁側に咲くひまわりを見つけた8回目のライブの日、印象的な出会いがあった。白川さんという女性との出会いである。白川さんはご友人と共に、ライブ終了間際に入店してきた。私たちの存在にぽかんとしながらも、最後の一曲を聴いてくれた。
ライブ後に挨拶をしにいくと「今日はとてもブルーな日だったの」と彼女は言った。彼女と長年連れ添ってきた旦那さんが今日、入院することになり、落ち込んでいたのだという。気晴らしをしようと友人に誘われ、ごんばちへたどり着いた。彼女は「たまたまこの店に来たら、こんなに素敵なうたが聴けたのだから、私は運がいいわ」と笑った。そんなに喜んでもらえたのなら、と私たちは白川さんのためだけにもう一曲うたうことにした。レパートリーの中から、ポール・アンカの『ダイアナ』を選ぶ。彼女は驚いた表情をして、ポール・アンカが大好きなのだと喜んだ。「私の青春よ、ポール・アンカの曲なら何でもうたえるわ」と。

−きみは僕より年上と 周りの人は言うけれど なんてったって構わない ぼくはきみに首ったけ−

白川さんを囲みながらうたいだすと、彼女は目を瞑りながら頷き、涙を流した。彼女はなぜ、泣いているのだろう。昔を思い出したのだろうか。ひょっとしたら、旦那さんとの思い出の曲だったりして。それとも、この状況に心があたたまっているのかもしれない。日頃から我慢していた疲れがこぼれてしまったのかもしれない。正解はわからないけど、想像する。

歌い終わると、周りの人からも拍手が起こった。店内が白川さんを中心にひとつになったような感覚がした。
それからごはんを食べて、白川さんは自分自身のことをたくさん私たちに話してくれた。ご友人と出会ったときのこと。旦那さんの病気のこと。生まれたときのこと、戦争中に疎開したこと、東京へでて結婚したこと。彼女は「私は昔から、本当に運がいいの。だから今日、あなた達に出会えたんだわ」と笑った。

うたという「ちいさなメディア」があったからこそ、彼女は私たちに自分の人生を聞かせてくれたのだと思う。『ダイアナ』といううたが、50歳以上も年の離れた私たちを媒介したのだ。

彼女は私に連絡先を伝え、にこやかに去っていった。「またね」と手を振る彼女の顔は、すっかり晴れていた。
私は高揚感に包まれていた。さて、彼女と過ごした時間を、彼女が語ってくれた物語を、どうやって形にしよう。私の挑戦はここから始まるのだ。私はこの取り組みをまとめあげていく第一歩として「この体験を彼女目線から語る」ということに挑戦しようと思った。

そのためにはまず、記録を振り返る必要がある。

記録する

フィールドワークの記録は、複数の方法でとっている。

まずはビデオ記録。店内全体を捉えた定点カメラだ。私たちのうたい方やお客さんの様子をあとから振り返るために使っている。
もちろん、フィールドワーク中に観察することも怠らない。その気づきは、フィールドノートに文章として残している。その日の場の雰囲気、お客さんの配置、どんな表情だったか、自分がどんな気持ちになったか…。なるべく細かく記述することを心がけている。そして、さらに4つのフィールドノート。「ごはんつぶ。」メンバーの4人にも、うたいながら気づいたことを書き残してもらっているのだ。4人の視点を借りることで、私ひとりでは気づけなかったことに目を向けることができる。
また、お客さんには任意で感想シートを書いてもらっている。うたを聞いた感想を自由に書いてもらうことで、彼らについて想像をする助けとしている。このシートを受け取るときに、楽しい会話が生まれることも多い。

そして最後に、スケッチブック。上記の記録をもとに、毎回のフィールドワークの様子をA4サイズのスケッチブックへまとめている。時間をかけて文字を書きこみながら現場を反芻し、ていねいにフィールドワークを振り返るためだ。見開くと横に広がるスケッチブックにまとめることで、情報を一覧することができるようになった。これををめくれば、記憶がすぐに蘇ってくる。

この記録をもとに、私は文章を書き始めた。四苦八苦しながら、少しずつ筆を進めている。うたを通してつながった相手の目線から、私たちの生きている「社会」をみつめていく。
文章を書き上げた先に何が見えるのか、ドキドキしているところだ。

これは、慶應義塾大学 加藤文俊研究室学部4年生の「卒業プロジェクト」の成果報告です(2016年9月末の時点での中間報告)。

最終成果は、2017年2月に開かれる「フィールドワーク展XIII:たんぽぽ」に展示されます。

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