うたう、つながる、みつめる(3)

Chiharu Konoshita
綿毛の友
Published in
6 min readNov 15, 2016

雲がうっすらと空を覆う秋の昼。私は仲間と共に大学を抜け出し、意気揚々と歩いていた。

近代的なデザインの建物が立ち並ぶキャンパスの端っこに、ひっそりと身を構えている灰色の部室棟。そのさらに奥の雑木林を抜けると、別世界かと見紛うほどののどかな田園風景が広がっている。田畑の間を少し進むと、右手に宇都母知神社が見えてくる。本殿を囲む背の高い木々が、風に吹かれてわさわさと揺れる。

「今日は新曲にチャレンジしてみる?」「あの人、今日も来てるかな」

たわいもない話をしながら、私たちの拠点を目指す。

私たちの拠点「古民家食堂 ごんばち」に通いはじめてから、11ヶ月が経った。私たちは月に一度のフィールドワークで、アカペラという「ちいさなメディア」によって人々とつながってきた。

私たちのアカペラがなければ、生まれなかったであろう会話があった。私たちがうたわなければ、知り得なかった人生があった。
私たちがうたうことによって「古民家食堂 ごんばち」に何が起きたのか、具体的なエピソードを挙げて考えてみようと思う。

即興バースデーソング

あれは、8月の回だった。いつものように暖簾をくぐると、店主の古谷さんが私に耳打ちをした。

「あの子、今月が誕生日だから、バースデーソングうたってあげて」

古谷さんの目線を追うと、小さな女の子がご両親と一緒にお行儀よく座っている。無茶ぶりとも言える依頼に、私は慌てた。バースデーソングはレパートリーにない…!
いつもお世話になっている古谷さんの期待に応えたかった私は、不安を隠して快諾した。私たちのチームワークとアカペラ力を発揮して、乗り切らねばならない。

古谷さんはお店の奥に立ち、その場に居あわせたお客さんに向かって話し始めた。「今日は演奏に先立ってですね、8月に誕生日を迎えた子がいまして、その子にごんばちから色紙をお渡ししたいと思います。そこで、彼らに生演奏でバースデーソングをうたってもらいます!」

“生演奏”という言葉に反応して「おお〜」と小さく声があがり、女の子が古谷さんに呼ばれて立ち上がった。女の子に名前を聞くと「みわこ!」と小さくこたえてくれた。

-ハッピーバースデー ディア みわこちゃん ハッピーバースデー トゥ ユー-

即興だったわりには、かなり綺麗にハモることができた。私たちが「おめでとう」と言うと、他のお客さんもみんな笑顔でみわこちゃんに向けて拍手をした。みわこちゃんは「ありがとう」と照れている。その可愛らしさに、大人たちが「かわいい!」と歓声をあげた。

こうしてお店全体を巻き込むかたちで始まったこの日のアカペラライブは、とてもうたいやすかった。いつもよりもお客さんたちが熱心にこちらを見ている。「おめでとう」「ありがとう」という双方向のコミュニケーションが最初に生まれたことによって、その後の『うたう』『聴く』という行為もより双方向的なやりとりに変化したのかもしれない。

実は古谷さんがお店にきた子どもの誕生日を祝う場面に立ち会うのは、これが初めてではない。4月のライブを終えてごはんを食べているときも、古谷さんは誕生日の女の子に色紙を渡していた。その時は、オルゴール音の『ハッピーバースデー』が店内のスピーカーから流されていた。それから4ヶ月後、まさか自分たちがあのオルゴール音の役割を担うとは…!

このエピソードは、アカペラユニットである「ごはんつぶ。」が古民家食堂ごんばちにとって、”音楽再生装置”として機能していることの表れだともいえるだろう。私たちが一種の道具に見立てられ、モノ化しているのだ。私たちはモノのように、コミュニケーションを生み出す仕掛けとして古谷さんたちに受け入れられていた。

ぼやける境界線

もうひとつ、忘れられない出来事がある。9月のライブ終了後、私はお店の近所に住んでいるという女性と話していた。私が通うキャンパスのことが話題にあがった。

「慶應って、すぐそこの裏にある慶應?」
「そうです!歩いて15分くらいの」
「こんどお祭りあるよね?いつだっけ」
「10月の最初の土日に秋祭がありますね!花火もあがるんで、ぜひ!」

すると、後ろのテーブルから声があがった。

「え、花火あがるの?」「知らなかった」「あげられるの?」

うたを聞いていた別のお客さんが会話に参加してきたのだ。それから、どうやって大学構内で花火をあげるのか…という話でひとしきり盛り上がった。

お店の近所に住んでいる彼女と、後から会話に入ってきたお客さんは知り合い同士ではない。もし私たちがいなかったら、あの会話は生まれなかっただろう。私たちがうたったことにより、私たちを媒介としてお客さん同士が自然につながったのだ。店内に存在していた見えない境界線が曖昧になったように感じた。

アカペラという「ちいさなメディア」の力は、うたっている最中だけでなく、その後のコミュニケーションにも影響するのだ。

こういった小さなエピソードを重ねていくと、アカペラというやり方の特性や私たちが場において担っている役割、ひいてはコミュニケーションそのものが見えてくる。ささやかなやりとりを丁寧に観察し、成果にまとめていくつもりだ。

ライブを終えて、ひとしきりお客さんとおしゃべりをして、美味しいごはんを食べて、大学のキャンパスへと戻る。帰り道はいつも、心地よい疲労感と満足感でいっぱいになる。

「今日はあの曲がうまくうたえたね」「あの人、おもしろかったね」

仲間たちも満足気だ。誰かがお気に入りのうたをうたい出せば、すかさずハモりにはいる。
この活動を始めた頃は、そわそわとiPhoneの地図で道順を確認しながら歩いていた。いつの間にか道順は身体に染み込んでいたようで、今では小さな声でうたを口ずさみながら歩ける。

5人でここを歩くのも、あと数回。私のプロジェクトも、終わりが近づいている。

これは、慶應義塾大学 加藤文俊研究室学部4年生の「卒業プロジェクト」の成果報告です(2016年11月末の時点での中間報告)。

最終成果は、2017年2月に開かれる「フィールドワーク展XIII:たんぽぽ」に展示されます。

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