映画『星籠の海』の台湾上映に合わせて訪台した島田荘司先生の『天下雜誌』インタビュー。その抄訳を少しだけ

日本推理小說之神島田莊司:寫推理小說、改變社會|時尚生活|2016–09–25|即時|天下

さて、今までであれば、台湾における本格ミステリーの動向を伝える記事を日本語で紹介する場合、もっぱら自分のブログやFacebookで行っていましたが、今回は敢えて、まずはMediumから配信してみます。ブログに書くことは自分にとって「情報を蓄積する」こととほぼ同義ですが、Mediumに書くことは「放つ」というイメージでしょうか。Mediumのブラックボックス化された配信アルゴリズムによって、いつかこのストーリーが誰かの元へと届くことを期待しつつ――。


『星籠の海』の台湾上映に合わせて島田先生が訪台したことは、先生のツイッターを見て皆さんすでにご存じのことと思います。そのときにのインタビュー記事が、『天下雜誌』のサイトに掲載されていたので、その内容について簡単な抄訳をまとめておきます。


天下雜誌(以下・天): 『星籠の海』についてお話しいただけますか? ネットではこの作品が「本格ミステリー」ではないとの意見もありますが、その点についてはいかがですか?

島田荘司(以下・島田): 今年はちょうど私の故郷である福山市の開市百周年なんですね。それで以前に市長とお話ししたときに、私が立ち上げた「島田荘司選 ばらのまち福山ミステリー文学新人賞」のほかに映画をつくってみてはどうだろうと。そうすれば映画館に足を運んだ皆さんが福山の景色に触れることができるのではないか――これがそもそもこの作品を書いてみようと思い立ったきっかけだったのです。

ほかにも「瀬戸内海」について書いてみたいという思いがありました。瀬戸内海というのはこれはもう、まれに見るほどに珍しい――島嶼がこの海域には散らばっていて、島々の海域の流れもまた様々なのですね。大阪から九州まで、もし海路を行くのであれば、その流れは一定したものではありませんから、六時間ほどで潮が引き、また潮が流れ出す。この作品の中でその港の景観を紹介しつつ、この海域の特殊性を用いたトリックを用いて事件を描いてみたいと思ったのです。

それと昔、日本には「村上水軍」という有名な海賊がいたのですが、そうした「歴史ロマン」を映画に持ち込んでみたいと。そうした要素が、結果として本格ミステリーとしての部分をやや薄めてしまったということはあるかもしれませんね。

天: 歴史ロマンといった趣のほかにも、先生の作品にはたくさんの人たちの思いが込められているように思います。それもまた、小説を通じて論理のほかに先生が伝えたかったもだということでしょうか。

島田: ええ、その通りですね。私も作家活動を始めてそろそろ三十年になりますが、もし本格ミステリーがなかったら、まったく趣味がもたないことにもなりますね。この三十年の間、様々な人たちとの出逢いもありましたし、それによって多くの物事を知ることにもなりました。例えば死刑や冤罪問題。そして近代のクローン問題ですね。最近では日本の老人問題にも注目しています。そうしたことが小説のいわば血肉となって、本格ミステリーの物語に興趣を添えることにもなっています。

: 本格ミステリーを通じて社会を変えたいという思いはありますか?

島田: その質問は北京に行ったときにもありました。そのときの私の答えは、「作家として執筆を始めたときから、私は作品を通じて社会を変えてみたい」と思っていました。
その話を聴いていた人たちは拍手喝采でしたが、社会を変えるといっても大きな変化というわけではないんです。それはほんの些細なことでもいい。たとえば、私が本格ミステリー作家となったことによって、綾辻行人君が本格ミステリーの執筆を始めた。そうしたほんの小さなところから何かを起こしていければと思っています。

: 先生は作家になる以前は、たくさんの仕事に就かれたということですが、どういうきっかけでミステリー作家になりたいと思ったのでしょう? そして歴史小説でも恋愛小説といった他のジャンルではなく、なぜミステリーだったのか。先生にとって本格ミステリーの魅力とは何でしょうか?

島田: 私は小学生のころから、なんとなくですが、作家になろうと考えていたんです。小学校のときには毎日皆が机を並べて昼ご飯を食べていたのですが、かといってただ食事をするだけでは味気ないものですから、面白そうな物語をつくって皆に聞かせていたのですね。すると皆は大喜びで、いったいその話の続きはどうなるんだと訊いてくるものですから、また翌日にその話をする。それであるときふと思いついたんですね。それを紙に書いてまた翌日に続ければいいじゃないか。それで作家となったわけですが、思えば作家としての才能のようなものがあったのかもしれませんね。

「本格ミステリー」は、私にとってはある種、特別の魅力があるものなのです。「本格ミステリー」の物語の構想を練ることは、いわば論文を書くことと同じなんですね。まず最初に謎をつくりだし、それを合理的な解決へと導いてあげる必要がある。そのプロセスは科学であり、また論文を書くことと同じです。私は論文を書くこともまたとても好きだったんですね。

例えば、毎年インフルエンザが流行りますよね。それはまさに推理ですよ。なぜインフルエンザが発生するのか。そしてなぜそれが爆発的な流行へといたるのか。科学者や医者はその謎を一歩また一歩と解決へと導いていく。私はその過程が非常に好きなんです。そうした謎解きを文学の形式としたものが、すなわち本格ミステリーなのだと。
私の性格がそういうものですから、曖昧なことは好きではないんです。シンプルな原因と理由が好ましい。

: 先生の作品にはたくさんの奇妙な謎が用意されていますが、普段の生活においてミステリー小説のアイディアというのはどのようにして浮かぶのでしょう? また作品を書く上での取材方法なども教えていただけますか?

島田: 普段の生活においては、大きな事柄へと目が行きがちですし、またそうしたものをついつい求めてしまいがちになります。しかし私はむしろ非常にささやかなことに興味を持つんですね。例えば公園の池に箱がひとつ浮かんでいたとする。そこで考えるわけです。なぜあんな箱があそこに浮かんでいるんだろう? 誰かが死体を隠しているんじゃないか。結局、それは橋をつくるために浮かべていた箱だったのですが、こういうふうに、日常の中の些細な事柄を目を向けるわけですね。

: 先生は創作の際には、「メモを取る」ことを欠かさないとおっしゃってました。それについては?

島田: 普段の生活において、目についたこと、思いついたことを書き留めておくことが必要です。そうしておけば、そのアイディアは今年か、あるいはもっと先に使えるかもしれません。一日に五つから十ほどのアイディアが浮かぶこともあれば、十日で一つしか思い浮かばないこともありますが、メモを取ることの目的は、それを必ず文章にして残しておくということです。そのときは「これは素晴らしいアイディアだ」と思い、興奮して眠れなかったとしても、もしそれを書き留めておかず、目が覚めたときに忘れてしまっていては何にもなりません。一方、そのアイディア自体はちょっとつまらないなと思うものであっても、メモしておけば、それをいつか小説に活かせるかもしれないですからね。

: ミステリー作家として、もっとも充足感を覚えるのは、どのような時でしょうか?

島田: 読者の誰もが解けないようなトリックを思いついたときか、あるいは読者を最後にあっと驚かせることができたとき――それがミステリー作家にとっては一番やった、と感じるときではないでしょうか。ただ私の場合は少し違うんです。実際に小説を書いているときに「最も」充足感を感じているわけではないんですね。まず謎の部分を書き、しばらくしてからこれはもっと素晴らしいものに出来るぞ、と感じてそれを手直しする。そのときこそがミステリー作家として一番幸せと愉しみを感じるときなんですね。


[注]
- 原文では「舉例來說,每年流感的發生,其實就是一種推理:為什麼流感會發生,會群聚爆發等,就要靠科學家和醫師一步步去解謎。我對這過程非常著迷。而能做到這樣的解謎的文學型態,就只有本格推理了」とある部分について。「流感」とありますが、先生が以前話していた内容では、インフルエンザだったので、ここでもただの風邪ではなく、インフルエンザとしました。

- 原文では「例如如果在公園看到一個箱子,我就會想,為什麼那個箱子會在那兒呢?會不會有誰藏了什麼屍體?最後發現原來那是一個為了蓋橋用的箱子。類似這樣,我會注意很細微的事物去發想」と語られている部分は、井の頭公園の池に箱が浮かんでいたエピソードでしょう。原文では「例如如果在公園看到一個箱子」とありますが、上の日本語では「公園に箱が置かれていた」ではなく、件のエピソードに合わせて「公園の池に箱が浮かんでいた」としました。