【読書感想文】嫌われる勇気 — 自己啓発の源流「アドラー」の教え

以前のStoryにも書きましたが。

「自分の中の嫌悪感みたいなものに対して脱却に向かうことが人生を歩むということなのかなー。」と最近思っていたのですが、この本がオススメだよということを聞いたので、手に取ってみました。


Title

嫌われる勇気 — 自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気 — 自己啓発の源流「アドラー」の教え

Author

岸見 一郎 著

古賀 史健 著

Date

2017.8.32


Summary

自分には対人関係や性格、容姿などのたくさんの悩みがあり、人生は複雑で生きづらいと主張する“青年”と、アドラー心理学の使徒である“哲人”との対話をベースにして、主に5つの話題から構成されています。

第1夜 トラウマを否定せよ

あなたの不幸は、あなた自身が「選んだ」もの

最初からかなり刺激のある話題です。

「人間の行動には原因が存在する。」というフロイトの原因論に対して、「人間の行動には目的が存在する。」という目的論の立場をアドラーは取っています。

どういことかと言うと、

今の自分という存在は、様々な事象が原因によるものではなく、「今こういう自分になりたい」という目的があって、それを達成するために過去の出来事の中から都合のよい原因を作り出している。

ということのようです。

目的論の立場に立つと、

あなたが不幸なのは、あなたは不幸になることを自ら選んでいるため”であると言えるでしょう。

例えば、

「自分のこの生き方(ライフスタイル)を変えたいのに、過去のある出来事が原因で変えることができなくて悩んでいる。」

という考え方は間違ってして、「自分は変わらない。」という決断を下しています。

一見、「そんなことはない。自分は変わりたいと思っている!」と自分自身は思っているとしても、

「新しいライフスタイルに変わることへの不安より、いまの慣れきったライフスタイル(= 「このままの私」)でいるへの不満の方が楽でいいや。」

と実は思ってしまっているために、結果的に自分を変えることができなくなってしまいます。

不安だが一歩踏み出す“勇気”。

言うなれば、“幸せになる勇気”が足りていないためにこうなってしまうでしょう。

アドラー心理学は、別名“勇気の心理学”と呼ばれている理由はここにあります。


第2夜 すべての悩みは対人関係

すべての悩みは対人関係の悩み

たしかにわからなくはないです

人が感じる劣等感というものは、私たち自身の“主観的な”価値判断であり、他人との比較(対人関係)によって生まれるものです。

しかし、人生というものは他人との競争ではありませんし、健全な劣等感というのは、他者との比較ではなく、“理想の自分”との比較であると、哲人は青年に言います。

縦の軸が存在しない平らな空間を、われわれは歩んでいる。
われわれが歩くのは、誰かと競争するためではない。
今の自分よりも前に進もうとすることにこそ、価値があるのです。

ここで哲人は、他者との比較ではなく、“優越性の追求”という人間の本来持っている欲求に従うべきだと述べています。

  • 優越性の追求…?
自らの足でを一歩一歩前に進める意思のこと。
他者よりも上を目指す競争の意思ではない。
私たちは“同じではないけど平等な存在”です。他者との違いを、善悪や優劣と絡めてはいけないのです。

対人関係を解決するのは、“他者は仲間である”という認識
不要な猜疑心に駆られることなく、世界は安全で快適な場所に移ります。対人関係の悩みだって激減することでしょう。

対人関係を解決するための手段として、アドラーは“人生のタスク”という概念を提唱しています。

“人生のタスク”から逃げてしまうと、“他者は仲間である”という認識を持つことができなくなってしまうといいます。

  • 人生のタスクとは…?
ひとりの個人が、社会的な存在として生きていこうとするとき、直面せざるをえない対人関係。

アドラーは、人生のタスクを“仕事のタスク”、“交友のタスク”、“愛のタスク”の3つに分けました。

仕事のタスク → 交友のタスク → 愛のタスクの順で、対人関係の距離と深さの重要度が増し、難しいタスクとなっていきます。

また、様々な口実を設けて、人生のタスクから逃げることを“人生の嘘”とアドラーは呼んでいます。

いま自分が置かれている状況や、その責任を他者のせいにしたり、環境のせいにしたりすることで、人生のタスクから逃げてしまっていて(人生に嘘をついてしまっていて)は、悩みを解決することはできません。


第3夜 他者の課題を切り捨てる

承認欲求を否定する。

対人関係の悩みは、“承認欲求”に集約されると言っても過言ではないでしょうか。

アドラーはそうした承認欲求を否定しています。他者の期待に応えるために生きてはいけないということです。

そう聞くと「自分のしたいように身勝手に生きろってこと?」と思ってしまいますが、ここでアドラーは“課題の分離”という新たな考え方を提唱しています。

適切な課題の分離によって、対人関係の悩みというのは解決の方向に進んでいきます。


  • 課題の分離とは…?
われわれは「これは誰の課題なのか?」という視点から、自分の課題と他者の課題とを分離していく必要がある。
他者の課題に踏み込まない。
あらゆる対人関係のトラブルは、他者の課題に土足で踏み込むこと — あるいは自分の分野に土足で踏み込まれること — によって引き起こされます。

「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるのは誰か?」と考えることで、自然とだれの課題かを見分け、他者の課題に介入することなく、自分の課題に生きると、いままで複雑に絡み合った世界が、シンプルに見えるのではないでしょうか?

対人関係という糸にがんじがらめになった世界の中で、からまった糸をほぐすことで、なんとなく自由になれた気がしますね。


自由に生きるとは他者の課題を切り捨て、自分の課題に生きること。

では、本当の自由とはなんなのでしょうか。

近代哲学の巨人エマヌエル・カントは

「感情、欲求のままに行動するのは、自分の意志で行動していない。それはただ感情、欲求に振り回されているだけ。
それに対して、感情、欲求に縛られず、自らの“善意志”に従って行動することこそが“自由”ということである。」

と述べています。

それに対して哲人は、すべての悩みは対人関係の悩みであるという前提の下で、

「われわれは対人関係からの解放を求め、対人関係からの自由を求めている。」
「自由とは他者から嫌われることである。」
「あなたが誰かに嫌われていること。それはあなたがが自由を行使し、自由に生きている証であり、自らの方針に従って生きていることのしるしなのです。」

と述べています。

本著のタイトル、“嫌われる勇気”とは、“自由に生きるための勇気”と言えるでしょう。

自由とはなにかしらの組織(会社や学校など)からの解放ではありません。

自分と他者の課題を冷静に分離し、自分の課題に対してのみ生きる。

その結果として、他者が自分のことを嫌いになったとしても、それ(嫌いになること)は、自分の課題ではなく他者の課題です。

他者からの評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないかぎり、自分の生き方を貫くことはできない。つまり自由になれないのです。

第4夜 世界の中心はどこにあるか

世界の中心はじぶんではない

前述の通り、対人関係の悩みは、まず“課題の分離”をすることにあります。つまり、“課題の分離”はよりよい対人関係のスタート地点です。

では最終地点、すなわち対人関係の悩みがゴールはどこにあるでしょうか。

対人関係のゴールを、アドラーは“共同体感覚”という言葉で表現しています。

  • 共同体感覚とは…?
「他者を仲間だと見なし、そこに“自分の居場所 ”があると感じられることを、共同体感覚といいます。」
共同体感覚とは、幸福なる対人関係のあり方を変える、もっとも重要な指標なのです。

私たちは、なにかしらの(複数の)共同体に属しています。

この共同体の中に自分の居場所があり、「自分はここにいてもよいのだ。」と思える場所を探すことは人間の基本的な欲求なのだとアドラーは説きます。

ここで注意しないといけないのが、「ここにいてもいいのだ。」と思えたとしても、そのとき

“私”という存在は、その共同体の中心にないあくまで“私”という存在は、共同体の一部である。

ということです。

自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考えてしまいます。
こうした人にとっての他者とは、“わたしのためになにかをしてくれる人”でしかありません。
みんなわたしのために動くべきであり、わたしの気持ちを最優先に考えるべきだと、半ば本気で思っています。

そして、「私は、この共同体にとって有益な存在なのだ」と思えたとき人は、自らの価値を実感できるのです。


自分に価値があると思えるために

とはいえ、スタート(課題の分離)からゴール(共同体感覚を持つこと)に向かう。つまり、他者のことを仲間として捉え、互いに協力し合うような関係になるにはどうすればよいのでしょうか。

アドラーは、対人関係で生じるあらゆる“縦の関係”を否定し、“横の関係”であること重要であると唱えています。

たとえ親子関係や、会社の上司部下であったとしても“縦の関係”ではなく、“横の関係”であるべきであると。

大人扱いや子ども扱いなどのように、縦の関係に直結するような扱いを他者に対してするのではなく、あくまで横の関係、“人間扱い”をすることが対人関係にとっては大事な要素となってきます。

横の関係によって、人は互いに賞罰関係ではなくなり、「ありがとう」や「助かった」、「うれしい」といった感謝の言葉や素直な喜びの言葉による関係を築くことができます。

これをアドラーは“勇気づけのアプローチ”と呼び、勇気づけのアプローチを他者から受けたとき、人は自らが他者に貢献できたことを知ることができます。

そうして自分が貢献することができたのだと知ることで、人は「自分には価値があるのだ。」と実感することができ、最終的にはその実感は生きる勇気に繋がるのです。

第5夜 「いま、ここ」を真剣に生きる

幸福とは貢献“感”である。

「わたしは、この共同体にとって有益な存在なのだ」と思えたとき、人は自らの価値を実感できると前述しました。

ここで大事なのはあくまで“自らの主観”で「自分は有益な存在である。」と思えること。すなわち、貢献“感”を持てたとき人は幸福でいられるということです。

“感”と強調しているのは、

「実際に有益な結果を共同体にもたらすことができたかどうかはどうでもよく、あくまで自らの主観によってそう思えたかが大事だからだ。」と哲人は言います。


われわれは自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在である。

自由とは、対人関係における課題を適切に分離することでしたね。

分離した課題の中で自分の課題に対して真剣に生きる(人生のタスクに向き合う)ことで、人は自由に生きることができます。

また、分離した他者の課題に介入はしてはいけません。あくまで他者の課題は他者の課題です。

縦の関係を否定し、横の関係になることで、他者のことを“仲間”と見ることができるようになり、

自分の“仲間”で構築された共同体の中で、「自分はその一部でなのだ。」という認識が生まれてきます。

そして、共同体の中の仲間同士で健全な“勇気づけのアプローチ”が行なわるようになるでしょう。

互いの“勇気づけのアプローチ”によって、「自分はこの共同体にとって、有益な存在なのだ。」という共同体感覚を持つという対人関係のゴールにたどり着きます。

そして、その共同体感覚によって人は幸福を感じられる。

こうして人は自由を選びながら、なおかつ幸福を目指す存在になることができるというわけです。


こんな感じですかね。

もう疲れたので、おしまいにします。