01: わけあって、パクチー

Kana Ohashi
週刊パクチー通信
3 min readJul 14, 2016

去る6月末日、師匠が少し長めの旅に出た。帰ってくるのは秋頃だ。出発前、師匠は研究室のテラスに、ふたつのプランターを置いていった。「ぼくが不在のあいだに、きちんと生長するか、それとも芽も出ないまま朽ちるか。研究室の将来を占うプランターです。みんなで育ててみてください」メッセージを読んだだけでは、何の種が植えられているかはわからなかった。プランターを見に行った仲間のさやかが、土の中からひょろひょろと頼りなく顔を出した、いくつかの双葉を確認した。どうやらそれは、パクチーらしい。

最近、パクチー料理の専門店ができるほどパクチーが流行っているそうだが、私とさやかは、そろってパクチーが苦手だ。タイ料理の店に行くと、あらかじめ料理にパクチーが入っていないか確認し、入っている場合は抜いてほしいとお願いするほどだ。そうはいっても、今回師匠から託されたパクチーを見捨てるわけにはいかない。

さて、このパクチーをどうしたものか。私たちは試されている。枯らしてしまうのは問題外。ちゃんと育てる、のは最低ラインで、それだけでは足りない。かといって、私たちの研究室は生物学系ではないので、日々精緻に観察して何かを発見することを目指すのも、ちょっと違う。パクチーを育てながら、私たちも成長できる方法はないだろうか。

『おべんとうと日本人』という本がある。私たちにとって身近で小さな箱「おべんとう」を起点に、日本人の暮らし、社会のありようを考えるという内容だ。

この本の「はじめに」に、こんなことが書かれている。

個別具体的な〈もの・こと〉を「入り口」にして、さまざまな観点から、歴史、文化、技術、あるいは社会について考えを巡らせる。これは、地に足をつけて、私たちの毎日の暮らしを理解するために必要な方法と態度なのだ。少し大げさに言えば、自分の目の前からはじまる、日常生活に直結した「学問」のつくり方でもある。

何を隠そう、この本を書いたのは、私たちの師匠だ。この言葉を頼りに、パクチーを育てながら、パクチーにまつわる歴史、文化、技術、あるいは社会的な出来事などのあれこれを調べたり考えてみたりする、というのがよさそうではないか。そんなわけで、私とさやかは、パクチーを育てながら、パクチーについてあれこれ調べて、考えて、書いてみる、この「週刊パクチー通信」を創刊することにした。パクチー嫌いな私たちによる、パクチーをめぐる旅の始まりだ。

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Kana Ohashi
週刊パクチー通信

Ph.D. in Media and Governance. Associate Professor at Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University.