04: パクチーとオマケ

正直に言おう。先週瀕死だったパクチーは、8月1日の時点で完全に枯れてしまった。栄養不足だろうか、それとも暑さのせいだろうか…。私はすっかり寂しくなったプランターを前にして、自分の無力さに打ちひしがれた。こうなったら、あたらしい種の芽吹きを願うしかない。

悲しみのパクチー日誌

そう、先週元気をなくしたパクチーを見て、私たちは手を打っていた。花屋に駆け込み、あたらしい土・肥料・予備の種を購入したのだ。実は、私たちのプランターは2つある。1つは芽が出たが、もう1つはうまく芽が出ないままだった。そこで、まず育っていた方のプランターには追肥を施した。もう1つのプランターは、思い切って掘り返し、栄養満点の土と肥料を足した状態で予備の種を植えた。そしてたっぷり水をやり、研究棟でお世話になっている秋津さんのアドバイスから、プランターをもっと日光が当たる場所に移動した。これらの対策を講じて、あとは天に祈るしかなかった。結果、育っていたパクチーは全滅してしまったのだが・・・。もう悲しくて仕方がないが、あたらしい種の芽吹きを、私たちはまだ諦めていない。

筆者が駆け込んだ花屋さん

ところで、焦りの中で向かった花屋で思いがけない出来事があった。すがるような思いで店員さんにアレコレ相談をして、暗い気持ちのままでお会計を済ませている時だった。

「ナス、食べます?」

一瞬何のことかわからず「えっ」と聞き返すと、どうやら店員さんが家庭菜園で作っているナスを、お客さんたちにおすそ分けしているらしい。差し出されたビニール袋の中には、みずみずしいナスが4本詰められている。レジの裏には、何セットもそのナス袋が用意されていた。突然のプレゼントに、私はすっかり嬉しくなってしまった。「ありがとうございます!いただきます!」店員さんにそう言いながら、よ~しがんばってパクチーを育てよう、とみるみる力が湧いてくる自分がいた。

予備の種、土、肥料、そしてオマケのナス。

その夜、早速いただいたナスを炒めながら、どうしてこうもオマケというものは嬉しいのだろう、と考えていた。そもそもオマケにはどんなルーツがあるのか。どうやら商いの本家本元、大阪の上方庶民のあいだで使われていた言葉が広まったという歴史があるらしい。「おまけの博物誌」(喜多原照久、2003)によると、『【御負】景品。添え物。・・・“オ”謙譲語。“マケ”は、商人が値引きすること。景品添え物が付けば、その価だけ値引きしたも同然であるからいう。さらに転じて、一般に必ずしも不可欠ならぬ付け加えにいう』という定義があるそうだ。

そして大正時代には、オマケという言葉が全国的に市民権を得ることになる。江崎グリコが、大手の森永製菓と明治製菓に対抗するためにお菓子にオマケを付け始め、人気を博したからである。ここから、日本のオマケ文化が広がっていく。発祥の頃はオマケの語源にふさわしく、あくまでもお菓子を売るための販売促進策であった。しかし徐々に、「お菓子にオマケがついている」のではなく、「オマケのためにお菓子を買う」という状況が生まれた。例えば、カルビー製菓が1971年に発売したライダースナックというものがある。

sumally.com より

仮面ライダーのカードがオマケで付いているこのスナック菓子は、仮面ライダーの流行と共に大ヒットした。しかし、皆カード目当てで商品を買うため、スナックが大量に捨てられるという社会問題にまで発展した。これでは本末転倒、というよりオマケの精神に反すると私は思う。

オマケの精神、それにはおそらく先述の「一般に必ずしも不可欠ならぬ付け加えにいう」という点がポイントなのだ。はじめからオマケを求めて買い物をするのではない。買い手にとっては予想だにしなかったものを、“ふいに”得るため大きな喜びが生まれる。売買活動において、買い手の働きかけから始まり、売り手がそれに対して応える形でオマケが生まれる。いわばオマケとは本来、豊かなコミュニケーション活動の産物なのである。

例えば、私が働く飲食店のシェフはものすごくオマケをする。「おいしいと言ってくれたから」「わざわざ遠くから足を運んでくれたから」など、とにかくお客さんから嬉しい気持ちをもらったら、デザートをサービスしたり野菜を味見してもらったり、ありとあらゆるオマケをして、嬉しい気持ちを還していく。私はこれこそが、オマケの本質だと思っている。

互いのありがとうの気持ちがオマケとなってあらわれる。つまりオマケとは、人間の優しさと思いやりの結晶だ。私はナスをもらった時の喜びを思い出す。こんな気持ちを、別の誰かにも感じてほしい。私たちも、パクチーによって人を喜ばせることができるだろうか。喜ばせたい、諦めたくない。パクチーを立派に育てるのだ!

こんなふうに、ひとつのオマケから生まれるいろいろなことが伝播して、どんどん世界を豊かにしているのかもしれない。そう思える、しあわせな出来事だった。

【参考文献】

北原照久(2003)「おまけ」の博物誌,PHP研究所.