11: パクチー人気の背景を探る

長袖が必要になってきた。季節は変わり、長旅に出かけていた師匠が帰国した。師匠の留守中に、プランターのパクチーをふさふさに生い茂らせることを目論んでいたが、甘かった。3歩進んで2歩下がる、どころか、振り出しに戻ることを繰り返し、パクチーの育成は思うようには進まなかった。現在、パクチーらしい姿をした葉が何枚かと、新たに蒔いた種がいくつか発芽したことを確認できる状態だ。「さら地」のプランターで師匠を迎えることだけは、なんとか回避できそうだ…。

結局、夏の間だけではパクチーをうまく育てることはできなかったが、いつの間にか、私たちのパクチーへの関心は育った。まちで見かけるパクチーをめぐる動向が、気になるようになった。


先日、近所のベトナム料理店を3年ぶりに訪問した。壁に貼られているメニューを見て驚いた。「パクチーフリージングハイボール 600円」。パクチーは飲み物にも使われるのか。さらに横を見ると、「パクチー冷奴」、「ピリ辛パクチー」、「うずらのパクチー醤油」と、パクチーを売りにしたメニューがずらりと並んでいた。ベトナム料理にはよくパクチーが使われるが、3年前は、こんなに「パクチー押し」の店ではなかった。そもそも、ベトナム語では「パクチー」とは言わない(「パクチー」はタイ語。ベトナム語では「ザウムイ」)。昔はメニューに、わざわざ「パクチー」とは書いていなかった。巷の「パクチー」人気に呼応して、店が戦略を変えたのだろう。それにしても、日本では、いつからこんなにも「パクチー」が人気になったのだろうか。


日経テレコン(日本経済新聞社が発行する主要媒体のバックナンバーが検索できるデータベース)で、「パクチー」というキーワードが含まれる記事を過去20年間分検索してみた。結果は119件。最も古かったのは、2001年3月24日の日本経済新聞夕刊の、タイのチェンマイ王朝最後の皇太子だった人物の調理室に関する記事だ。使われていた食材の例として「パクチー」が出てきたが、「パクチー」はメインのトピックではなかった。その後2003年、2005年、2006年に、年に数件「パクチー」というキーワードを含む記事はあったが、タイトルに「パクチー」が含まれる「パクチー」が主題の記事が初めて登場したのは2007年12月12日だ。日経MJ(流通新聞)の「パクチー料理の専門店(TRENDBOX)」というタイトルの記事で、東京・世田谷に「パクチーハウス東京」が開店したことを伝える内容だ。この店は「世界初のパクチー料理専門店」として注目され、2009年には「パクチー麺」を発売して、再び日経MJ(流通新聞)に取り上げられた。パクチーに関する記事は、2010年からは2014年にかけては毎年数件から10件程度出ていた。2014年には「パクチー女子」という言葉が生まれ、「パクチー女子」をターゲットにした「パクチー祭。」というイベントが始まった。この「パクチー祭。」の仕掛け人のひとりは、「パクチーハウス東京」のオーナー佐谷恭さんだ。こうしたイベントがマスメディアで取り上げられるとともに、ソーシャルメディアで話題になり、パクチー人気を加速させたようだ。パクチーに関する記事は2015年に26件、2016年には9月現在ですでに35件と、この2年で急増した。

日本でのパクチー人気は、「パクチーハウス東京」のオーナー佐谷恭さんなしには語れないことがわかった。「パクチーハウス東京」のWEBサイトを見ると、「パクチーを愛する人に惜しみなくパクチーを提供し、パクチーが苦手な人を克服させます」とある。店では、2014年時点で、年間約2トンものパクチーを使っているそうだ。果たしてこの店では、どのようにパクチーが提供され、来店した人びとはどのような時間を過ごしているのだろうか。パクチー嫌いながら、パクチーが気になる私たち。「パクチーファンの聖地」と言われるこの店に、一度行ってみることにしたい。

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