33: パクチーと香味表現
「いや、だってカメムシのにおいするじゃないっすか、パクチーって」
パクチー料理を食べに行こうかという話になったときに、仲間のひとりが言ったことばだ。気持ちはよくわかる。パクチーとカメムシはセットで語られることが多い。私もこの『週刊パクチー通信』を始めて、パクチーについてあれこれ知り、いろいろな方法で食べ、親しみを持つようになるまでは、そう思っていた。
でも、よく考えてほしい。カメムシのにおいを、真剣に嗅いだことはあるだろうか?私はない。はるか昔、夏の夕暮れにカメムシを見かけたことはあるが、手にとってそのにおいをじっくり確認したことはない。しかし不思議なもので、ひとたび「パクチーはカメムシのにおいがする」という情報がインプットされてしまうと、そういうものとして認識してしまいがちだ。それ以外の感じ方がなかなかできなくなる。モノのにおいや香りの感じ方は、自分がすでに獲得している語彙の制約を受ける。
私は大学院に入る前に、総合飲料メーカーで働いていた時期がある。入社してすぐの頃に、さまざまな部門で研修を受けたのだが、その中のひとつにウィスキーの香味に関する講座があった。そのときに、ウィスキーのブレンダーの方からの話をうかがった。ウィスキーのブレンダーが担っているのは主に、原酒をブレンドして新しい味わいを生み出す仕事と、すでにある製品の品質を保持するためにブレンドする原酒の選択をしていく仕事だ。これらの仕事は、原酒の香味の違いを感じ取り、理解し、表現する力がないと成り立たない。この講座で、ブレンダーが使う香味表現を習ったのだが、その多様さ、繊細な使い分けに圧倒された。当時のノートや資料はもはや見つからないので、検索してみたところ、All Aboutのグルメページで、ウイスキー基礎知識/香味表現という記事があった。この記事の中で辞書的に香味用語が紹介されている。一部を引用してみよう。
Aftertaste/香味の余韻。アフターテイストは、飲んだ後に口の中に残る香りや味わい、また鼻を抜ける感覚の戻り香などを言う。
Aroma/アロマはワインの世界では、原料のぶどうに由来する芳香のこと。ウイスキーの場合はとくに厳密ではなく、かぐわしいよい香りと単純に捉えてよいだろう。また感知するさまざまな種類の香りをひとくくりにしたり、ひとつひとつを具体的に取り上げて語る時にも使う。「複雑なアロマに満ちている」「若葉のようなアロマ」「トースト様のアロマ」など。
Bouquet/ブーケはワイン用語で、熟成香(熟成によって生まれる香り)を言う。訳せば「花束」だが、ウイスキーにおいては、ひとつの銘柄が抱いたトータルな香りといった解釈でいいのではなかろうか。
出典:ウイスキー基礎知識/香味表現1[A~E]
これはこの記事で紹介されていた香味表現のごくごく一部だが、この3つのことばを知っているだけでも、香味の理解と表現の仕方は変わるだろう。
語彙が増えれば、感じる/伝えられる〈世界〉が広がる。「カメムシのにおい」というなんとも色気のない不名誉な香味表現をされているパクチーだが、ウィスキーで使われているような豊かで多様な香味表現を開発し流通させていけば、人びとのパクチーの感じ方に変化を起こすことができるのかもしれない。


