40: パクチーのある風景

新学期が始まった。いつものようにパクチーの様子を見るため研究室に足を運ぶと、人が多いようでとてもにぎやかだった。今日は木曜日、小川ゼミがここを使う日だ。パクチーは相変わらずもしゃもしゃと元気に茂っていて、まるで春の訪れをよろこんでいるみたい。その横で会話をする人びと、デッキにたくさん並んだ靴、自己紹介をする学生たち。わたしはそれらを眺めながら、「入れ替わりの季節」であることを感じる。わたしたちのゼミも、この春からガラッとメンバーが変わった。数少ない継続メンバーとしてもちろん不安もあるが、個性豊かな後輩たちに恵まれたようでワクワクしている。

そんなふうにめまぐるしく変わる人の動きの中でも、パクチーはいつもの場所にあって、わたしをホッとさせてくれる。思えば、加藤先生がパクチーの種を蒔いたときからもう10ヶ月くらい経つ。芽が出たり枯れたりを繰り返してこんなに元気に育つまでは、プランターの中と向き合うことだけで精いっぱいだった。しかしもっと大きいスケールで捉えれば、枯れても育っても、プランターとパクチーは10ヶ月間ずっと、「研究室」の風景を形づくる一部として存在しつづけたのだ。たくさんの人びとが集い・学び・関わり合う場所の一要素として、パクチーはわたしたちと共に在る。

わたしたちのパクチーが何かものすごい効果を生んだとは思わないけれど、これがなかったら起こらなかったこともたくさんある。これまで書いてきたように、パクチーをきっかけに他のゼミの子と仲良くなったり、【パク食考】と称して楽しいランチタイムを過ごしたりできる。中でも、わたしにとって印象深い出来事は、やっぱり(今までも何度か登場している)「秋津さん」と交流をつづけていられることだ。秋津さんは小川先生の秘書で、共同利用である研究室のお世話などもしてくださっている。とても感謝すべき存在で、たくさんお話したいと思うのだが、ふつうに過ごしていたら共通の話題がないような気がしてしまう。でもパクチーがそこにあれば、自然と会話ができる。「ずいぶん育ってきたね😳」「そうなんですよ〜!😆」、「きのう水やりをしたよ😉」「ありがとうございます😭」など、たとえ短くともことばと笑顔を交し合える。そしてそれはパクチーが風景としてそこに在る限り、ずっとつづけることができるのだ。

『断片的なものの社会学』(2015,岸政彦,朝日出版社.)という本の中では、パクチーではなくさまざまな植物の「植木鉢」が風景をつくっている事例が描かれている。著者のゼミ学生が孤独死をテーマに、大阪のいくつかの古い団地に聞き取り調査をおこなったとき判明したという。1人暮らしの高齢女性たちは、団地の殺風景な玄関先でいろいろな花や植物を育てる。水をやっていて人に会えば話すことができるし、きれいですねと言われればあげてしまう。次の日はお返しに、別の「植木鉢」をもらう。そうすれば、それぞれの植物の育て方についてアレコレ相談しあえる。それがずっといろんな人と人のあいだでつづいていけば、交流の輪は広がっていく。彼女たちは、団地の風景のなかに「植木鉢」を持ち込むことで、異なる人びと同士の「コミュニケーションのきっかけ」をつくっているのだ。

あたらしい1年間。パクチーのある風景は、これからどんなふうに変化していくだろうか。やっぱり時にはパクチーの力を借りながら、周囲の人びととのやりとりをひとつひとつ丁寧に、楽しく過ごしていけたらいいなと思う。