44: 時間差パクチー

はしもとさやか
週刊パクチー通信
5 min readMay 11, 2017

5月になった。うららかな春はどこへやら、もう夏が来たかのようにすっかり暑くなった。今日のわたしなんて、早くもノースリーブとビーチサンダルで登校してしまった。これからもっと暑くなると思うと、恐ろしくて仕方ない。わたしたちのパクチーも気候の変化を察知したのか、新たな進化を遂げている。

2017.5/8(月)14:37

ご覧あれ、これが、我々のパクチーだ。そう、なんと花が咲いたのだ!今までわたしが知っていたパクチーとは、様子がぜんぜんちがう。特徴的なあの葉っぱは、最近まであんなに茂っていたのにしおしおと枯れ始めた。その代わりに茎がにょきにょき伸びて、太くたくましくなっている。花のまわりには見たことのない形状の葉っぱたち。そしてちいさく白い花の、なんと可憐なことか!なんだか初めて出会う植物のようで、不思議な気持ちでしげしげと見つめた。

進化といえば、実はもうひとつのパクチーに驚くべきことが起こった。去年の12月、わたしはパクチーを増やすべくこっそり自宅のベランダにパクチーの種を植えていたのだが(詳しくは 22: ベランダパクチーと盆栽)うんともすんとも芽が出ないまま年を越していた。もうだめだと思いつつもなんとなくそのまま放置していて、「そろそろ片付けてしまおうか」と思っていた矢先だった。4月になり、急に、芽が出てきたのだ!

時間差で芽吹いたベランダパクチー

片してしまわなくて、ほんとうに良かった・・・。これほどまでに、自分の不精さに感謝したことはない。そんなに大きくは育たないかもしれないけれど、これからもこっそり、ベランダパクチーのささやかな成長を愛でていきたいと思う。

この一件は、わたしがパクチーを「無い」ことにしてしまったら起こらなかった出来事だ。不精が招いた結果オーライとはいえ、そこに「有り」つづけたからこそ出会えたサプライズだった。これは無理やり言ってしまえば、我が研究室でも大切にされている『有るは無きに優る』の精神に結びついているのではないだろうか。(『だれもが書ける文章:「自分史」のすすめ』橋本義夫, 1978,講談社.)有りさえすれば、のちにどんな良いことが起こるかわからないのは、もちろんパクチーに限ったことではない。あるときの記録が有ることによって、その先の自分に思いもよらなかった発見や学びをもたらすことがあるのだ。

先日思い出すきっかけがあって、あるフィールドノートを見返していた。「さわやかな解散」というテーマに取り組んでいた際のものだ。わたしたちは「放課後こくばんクラブ」を名乗り、まちなかに持ち運び可能な20mの黒板ロール装置「こくばん」とともに出かけ、場づくりの実験をおこなっていた。その頃は、ようやく装置が出来上がったことがうれしくて、それを使うことに夢中だった。そのときフィールドノートのコメントやプレゼンのフィードバックで先生がくださったアドバイスたちも、正直腑に落ちていなかったのだと思う。だけど、今なら、いろいろなことがわかる。「ひとつの装置をキレイに仕上げるのでなく、バリエーションを増やしていろいろ試すべきだった。」ということばを、当時は苦労してつくりあげたアレに執着していたので素直に聞けなかった。でも、今ならわかる。けっきょくわたしたちは重い・大きいというウィークポイントのせいで持ち運びが億劫になり、装置を持ってまちに出ることは無くなった。本当の意味で「こくばん」を愛し、継続したいと思うのなら、もっとたくさんバージョンを考えてモビリティーを高めるくふうをすべきだったのだ。他にも、「観察の方法として「場づくり」を考えると、こくばんクラブも、強力なフィールドワークの方法になると思います。」ということばを、当時のわたしはきっとあんまり理解していなかった。「こくばん」をどう使うか、子どもたちがどういう遊び方をしてくれるのかを見るのに必死だった。でも、今ならわかる。「こくばん」そのものに意味があるというよりも、無くては近づけなかったかもしれない人びとの暮らし、見れなかったかもしれない関係性に出会えることに、意味があるのだ。

それもこれも、「あのとき」の記録があったから、思えることだ。残っていなかったら、当時何がわかっていて何がわかっていなかったかも、忘れてしまっていただろう。あの頃の自分と今の自分の変化にも、気付くことはなかっただろう。いろいろなことには時間差が生じるように、どんな記録も、どのタイミングであたらしい意味を持つかなんて、わからない。だからこそやっぱり、「有るは無きに優る」のだ。ベランダパクチーも、フィールドノートも。

--

--