49:パクチーで朝食を

Kiyoto Asonuma
週刊パクチー通信
5 min readJun 15, 2017

梅雨入りを告げたのは先週のことだ。たしかに以前よりは雨の日が増えたが、今日の湘南は昼前から澄んだ青空が広がっている。かなさんのいるフィンランドの天気はどうだろう。

ぼくがパクチー通信を書くのは、実は二度目だ。一度目を書いたのは昨年の夏、パクチーがうまく育たず四苦八苦していたときだった。あのときをまるで彷彿とさせるかのように、ここ最近のパクチーも元気がない。1年の命とは、儚いものだ。

パクチーの様子 17/06/15

以前の記事にも書いたが、ぼくはパクチーが嫌いだ。しかし、この1年の間に随分パクチーを口にする機会があった。きっと人生の中で最もパクチーを口にした1年だったのではないだろうか。それは決して「パクチーを育てている研究会」の一員だから、ではなく、パクチーがここ数年で空前の大ブームになっているからだろうと思う。

先日、近所の商業施設でカレーフェスティバル(全国から20店ほどのカレー屋が集う)に行った際には、いかにパクチーが市民権を得ているかを知り、驚いた。ほとんどのカレーにはパクチーがのせられていたのだ。(ぼくにとって)「良心的」なカレー屋さんは「パクチー、大丈夫ですか?」と尋ねてくれたが、大抵の場合、まるでサービスであるかのように、山盛りのパクチーが乗せられたカレーを渡された。

ぼくがアルバイトをしているおでん屋さんにも、メニューとしてパクチー料理が並び始めた。おすすめは「パクチーとしんしょうがのかき揚げ」だが、「たこの釜飯」には、カレーの場合のように、パクチーをのせて食べてもらう。もちろんうちは「良心的」な店なので、パクチー抜きもオッケーだ。

パクチーとしんしょうがのかき揚げ

その意味では、ぼくが育った家庭の食卓は、全くもって「良心的」とは言えない場だった。母は、兄姉を含めた子どもたち3人の嫌いなものに興味を配ることなんてなかったし、今時の「細かくして食べやすく」なんて配慮をすることももちろんなく、ひたすらに「残さず食べなさい」と宣うだけだった。(ちなみに我が家には牡蠣が食卓に並ぶことはほとんどなかったのだが、その理由を知ったのは実家を出たあとだった。)

我が家は共働きの家庭だった。しかも父親は単身赴任。当時の母は、毎朝の朝食と、ぼくたちの弁当、時に晩ごはんまで用意して8時半には仕事に出かけ、いつも21時や22時に帰ってきていた。母はいつもぼくらに小言を言い、それはもはや小言ではなくなり、結局最後にはそこら辺でうたた寝をしているのが常だった。彼女が子どもの嫌いなものに気を配る余裕がなかったのは、いまとなっては当然のことだと思う。

いまでこそ「共働き」は徐々にスタンダードになっているが、いまから約20年前の当時、地方都市には共働き家庭はまだまだ少なかった。それは厚生労働省の調査を見ても明らかだ。最新の調査によると、2015年の共働き家庭は1980年から比べて、ほぼ倍増(614万世帯→1114万世帯)している一方で、男性雇用者と専業主婦からなる家庭はほぼ半減(1114万世帯→687万世帯)している。

専業主婦世帯と共働き世帯の推移/厚生労働省資料

きっと社会が個人を変える、というよりは、少数の個人が社会を変えていくのだろう。例えば当時はPTAの集まりは平日の昼間にあることが当たり前だったし、地域の活動には大抵の場合お母さんが参加していたが、どうやら最近は少し事情が違うらしい。都市では働いているお母さんに配慮されたものも随分増えてきたと聞く。

しかし共働きが増え、社会にそれなりの配慮が増えたといっても、一番配慮されなければならないそれぞれの家庭において『家事を行うのは女性』という考え方にはあまり変化がないようだ。家庭における男女別の家事関連時間には、共働きの倍増とは裏腹に、さほど大きな変化が見られない。

男女別家事関連時間の推移/総務省「平成23年社会生活基本調査」

少子化や未婚率の上昇はとても大きな社会課題だ。国を挙げて環境整備や政策整備を急いでいる。しかし、そうした活動をしていた男性政治家は、一体どれほどの時間を家事に割いているのだろう。「女性が活躍できる社会」を標榜しているが、果たしてそれは女性のみに無理を強いる社会にはなっていないだろうか。生き方を変えることを考えるのは、女性だけでよいのだろうか。

昨年の夏、「いま職場で女性の働き方を考える委員をやっている」というすっかり歳をとった母を見て、そんな考えがふと頭をよぎった。

あの夏、地元に帰った翌日に高校の同級生と朝まで飲んで家に帰ると、ぼくと同様に帰省していた兄姉とその友人たちのために、母が朝食を用意してくれていた。鍋にはまだわずかに、我が家恒例の朝食「具だくさんなみそ汁」が残っていた。なぜ恒例だったのか、その意味をしみじみと感じながら眺めた久々の実家の食卓は「良心的」なそれだった。

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Kiyoto Asonuma
週刊パクチー通信

京都生まれです。だからきよとです。元牛飼いで現大学生です。