53: 『パクチー通信』が終わるとき

Kana Ohashi
週刊パクチー通信
9 min readJul 13, 2017

創刊から1周年の記念すべきこの53号を、最終号にすると決めていた。私たちが最終号のネタとして選んだのは、共同編集長である私とさやかと、『パクチー通信』誕生のきっかけを作った師匠の3人による座談会だ。都内のレストランに集まり、パクチー料理をほおばりながら、1年間の歩みを振り返った。

−そもそも、なぜ「パクチー」だったのか?

パクチー料理を囲みながらの座談会

大橋香奈(以下 、大):この『パクチー通信』が誕生する前の、はじまりからふり返っていきましょう。まず、このプロジェクトは先生が研究室のプランターに種を蒔いたところから始まりました。先生は、なぜパクチーの種を蒔いたんですか?

師匠(以下 、師):まあ、種の種類はなんでもよかった。もともといろんなハーブの種を持っていて、研究室のプランターに蒔こうと思っていた。エリアによって違うけど、「蒔きどき」みたいなのがあって、たまたまその時期はコリアンダー(パクチー)のタイミングだった。

大:そうなんですね。その後は、先生からさやかに連絡が来たんだっけ。

橋本彩香(以下 さ):はい、来ました。サバティカル(研究のための特別休暇)で先生が旅立った直後くらいに、「ガーデニングは、好きですか?」って連絡が。

師:そう、個人的にさやかに連絡したのと、あとは研究室連絡用のSNSに投稿をして。なんか、さやかはいかにも苦手そうじゃない。地道に何かを育てるっていうのが。

さ:わ~、ばれてますね。

大:でも、そこから『週刊パクチー通信』が始まって、けっこういろんな局面を乗り越えてきた。よく、1回も欠かさず1年間続けたね。

師:そうそう。それはすごい。この間書いたように、プロジェクトをやるとしても、たまにSNSにプランターの写真がアップされる程度のことしか想像してなかった。

大:おっ。じゃあ、期待は超えたということですか。

師:まあ、初回の記事(こちら)に書いてあった『おべんとうと日本人』を引き合いに出して、パクチーを取り巻く物語を書く…っていうのは強引な感じがしたけど。

さ:始まりをディスられてる!

−「週刊」で『パクチー通信』を続けるということ。

『パクチー通信』について語る編集長のさやか

師:でも週刊っていうのは、すごい。

大:どこかで落とす(原稿が間に合わなくなる)かと思いましたか?

師:週刊って大変。月刊でも大変だもん。

大:でも、『パクチー通信』があったから、一日一録(大橋のブログの別名)を続けられていると思う。相乗効果というか。ブログはもうすぐ365日になります。正直、『パクチー通信』を「落とすかも」って思うときは何回かあったけど、なんとか踏ん張ってきました。(木曜日が発行日だから)水曜日になると、やばいやばい、ってなって。

師:そう。そういうリズムを、身体に組み込むことがだいじだよね。

さ:続けているうちにだんだん、「絶対いける」って思ってきましたよね。

大:ふたりでやるっていうのは、信頼関係も要るよね。

師:ずっと交互に書いていたの?

さ:基本はそうですね。たまに、ライターさん(研究会メンバー)に書いてもらって。

大:最初の頃は、かなり厳しく読み合わせをしていたよね。水曜日の正午が締め切りで、誤字脱字などのチェックをし合ってから木曜に発行。それは、半年くらい続けていたかな。だんだん信頼関係が築かれてきて、相手に任せるようになった。

さ:そうですね。わたしの原稿が期限ギリギリなことが多いから、カナさんが「寝るね、あとはよろしく!」みたいな 笑。 でも、ある程度続けていかないと、こんな信頼関係は生まれなかったと思います。

−何かを「育てる」とは?

「育てる」ことについて語る師匠

師:まあ、だから、終わるっていうのがもったいないよね。別に、1年だけやりますって決まってたわけではなかったし、1年はただの区切りだから、終わらなくても良いよね。

さ:でも、もう私たちが育てたパクチーはないんですよ!(※第51号参照)

師:収穫した種を、蒔けばいいんじゃないの。

さ:芽が出るかなあ~。あれ、F1種 (※第48号参照)だと思うんですよ。

大:新しい展開をするのはアリかもね。

さ:展開って話でいうと、活動の当初は、研究室の他のメンバーも私たちの『パクチー通信』に触発されていろいろな活動を始める、っていうのを期待してましたよね。

大:あー、そうだね。はじまりは、先生からさやかへの連絡とSNSへの投稿があって。最初は、先生がパクチーの種を蒔いちゃったから、そのプランターどうしよっか、ってさやかときよとくんと話していて。このプランターを前にして、私たちは何をすることを期待されてるんだろうって。それで『パクチー通信』のアイディアが出た。あのとき、「トムソーヤ」の話をしたよね。こういうのは、面倒くさいと思い始めると大変になるから、楽しく見えるような活動をしようと。研究室の他のメンバーが見たときに、面白そうだなとか、自分たちも何かやってみたい、って思うような活動をしたかった。まずMediumにこのパブリケーションを設けて、ロゴを作って、自分たちのモチベーションを上げて。そして、周りに「こんな目的で『週刊パクチー通信』をやります」って表明をする。そのためにはもっともらしさが必要だから、『おべんとうと日本人』を参照させてもらって。

さ:そうやって始まりましたね。最初は、研究室のメンバー全員で回して記事を書いたほうがいいんじゃないかっていう案もありましたよね。

大:そうだね。でも、全員でこの活動をやるのではなくて、自主練のように、それぞれのメンバーがやりたいことを企画して活動したほうが良いと思った。

さ:はじまりはそうやって、研究室全体への影響を意識していましたよね。

大:当時は先生がサバティカルでいなかったし、みんなで頑張ろう!っていう気持ちだったね。
でも実際にパクチーを育てるっていうのは、どうだった?大変だったよね。

さ:そう、めっちゃ枯れるんですよ!!種を蒔きなおしたり土を替えたりして、育ち始めたのは夏休みのあと、秋になってからですね。

大:いろいろやったよね。水耕栽培とかも。

師:モバイルパクチーはどうなっているの?あれのレポートがないっていうのは…

大:笑。芽が出るまでしかいけませんでした…。
でも、結局、あれこれ試しましたけど、育つときは育つ!みたいな感じですね。

さ:私が思うポイントは、種を蒔き続けることでしたね。一週間ごとに種を蒔く。

師:ふーん。『パクチー通信』の内容的には、こう、毎週ネタを探してがんばっているような感じだったよね。読者を誘うような感じではなくて、今週どうしよう!みたいな感じ。パッチワーク的な。

大&さ:笑。 いや、本当にそうです!週刊のハードルはきつかった。

師:だから、2年目は、今の加藤研のウェブマガジン(こちら)みたいに月刊にしてさ、ちゃんとこうレシピを載せたり、いろいろなコーナーを用意したりして。

大:2年目!?

さ:私たち、あと半年で卒業する予定が…。

師:いやだから、きちんと後輩たちに引き継いでさ。それが「育てる」っていうことだよ。ほら、「育てる」とか言いながら、実際は何も育てていなかったんだよ!ふたりはなにも育てていない!

大&さ:笑

大:いや、自分たちのことは育てています!

師:人間の成長っていうのは当たり前だからさ。半年かけて後継者を育てて、それで初めて何かを「育てた」ってことなんじゃないの。だから、今終わるのはもったいないよね。

さ:でも、53号で最終号だって宣言しちゃったんですよ…

−『パクチー通信』が「終わる」ときは?

師:ドラマだってなんだって、最終回で終わっちゃった~と思っても、また始まるじゃん。カレーキャラバン(こちら)のように、セカンド、サードと新しいシーズンを始めればいいんだよ。

大:この後やるとしたら、まあ、月刊くらいならいいかもしれないですね…。後輩を巻き込んで、毎回4人くらいで記事を書いて。

師:そうそう。半年かけて引き継ぐ。この座談会でごはんをたべて楽しい感じで終わりなんて…。

大&さ:笑

師:だから、終わるとしたら、パクチーがもさもさになって、もっとちゃんと「終わり」の儀式をして食べてさ。

さ:それを今回やろうと思っていたら、勝手に枯れ始めたんですよね…。

大:パクチーが勝手に終わり始めた 笑。

さ:そうですよね!自然の摂理には敵わないって思いました。いやあ、「終わる」って難しい。

大:これは、「終わる」がテーマだったかもしれないね。「終わる」とは何か。

師:そうだよね。パクチーも、種を蒔いて育って枯れて、でも種は残るわけじゃん。それで、また種を蒔いて。

大:私たちはまだ、種を残せていないってことですね。

師:そうだよ。毎週1000文字程度書くなんて大したことない…。

大:あれ!最初は褒められていたのに!笑。
でも、私はブログでは毎日400文字以上は書いています。
最初の3ヶ月は効果を感じなかったんですけど、だんだん書くのが苦ではなくなってきました。

師:冗談じゃなく、書き続けると本当に筆力がつくよね。だから、ここで終わってしまうと書く力が衰えるんだよ、絶対。つまり、ふたりはパクチーを育てていたつもりでも、本当はまだまだ何も育てていなかった!というオチだね。

「最終号」のための座談会の日を迎え、本音を言うと、私とさやかは少しホッとしていた。ようやく、「週刊」で記事を書くプレッシャーと手間から解放される!と。師匠と座談会の始まりに記念写真を撮ったときは、こんな展開になることは、まったく想像していなかった。しかし、よくよく考えてみれば、安直な結末を嫌う師匠が、ただ1周年を迎えたからという理由で活動を終えることを喜ぶはずがなかった。

座談会開始時の記念写真

週刊の『パクチー通信』から、月刊の『パクチー通信』へ。私たちのパクチーをめぐる旅は、かたちを変えて、続くことになった。

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Kana Ohashi
週刊パクチー通信

Ph.D. in Media and Governance. Associate Professor at Department of Communication Studies, Tokyo Keizai University.