改めて、SNSのいいねボタンの功罪

社会の感情化に関しては、私は以前、以下のストーリーを書きました。

結局のところSNSにおいて、正しい、間違っているボタンではなくて、いいねボタンが用意されているのは、コンセプトとしての趣旨は理解できるのですが、実際の運用においては、ユーザーは論理よりも感情に比重を置く習慣が出来てしまっているのではないかと考えてしまいます。もちろん、深く考えた上でいいねする人も大勢いると思いますが。

そのようなことから、人々がある一瞬の感情に押し流されて感情の赴くまま、大変不幸な出来事を起こさないことを祈るばかりです。私は、感情は思考に勝ると考えているので。

正しいか間違っているかは、判断するのに時間がかかります。専門家ほど専門的に分析するので余計時間がかかるわけです。しかし、「いいね」ボタンなら、それいいねと思ったら押すだけなので、時間がかからないわけです。そして、ネットを使って世界中から「いいね」が集計され、まさに秒速の勢いで「いいね」の数が判明してしまいます。

「いいね」した人間は、「いいね」の合計数を見て、自分の基準に従ってこれだけ「いいね」が集まれば、私と同じ気持ちの人がこれだけいると共感してしまうわけです。

その「いいね」のコンテンツが「政策が気に入らないから、ホワイトハウス前に皆んなで集まって、過激なデモをやろうぜ!!」だと、大変なことになります。「シリアからの不法移民者(戦争犠牲難民者)が、今、あそこに100人集まってる。やっちまおうぜ!!」だと、悲惨な事件になってしまいます。

SNSにより、人が論理よりも感情に比重を置く習慣が出来てしまい、SNSにより、集団の活動が秒速で成されていく。そして、話が世界情勢になるとSNSなど使用していない人もそれに巻き込まれてしまう。私は、そう考えています。そして、その習慣化ができる土壌は「刹那化」(瞬間化)の風潮である、ということに同意します。

では、なぜその様な土壌が出来上がってしまったのか。プラットフォーム設計者の、今より良くしようという善意であり、既存のプラットフォームを崩そうという野心であり、人間は瞬間的には思考よりも感情に強く影響を受けることを知っているという知識の悪用が原因でしょう。

対策としては、SNSを使う人間はフローなコンテンツに対して、時間をかけてよく考慮し、判断すべきであるとなりますが、現状は、そのコンテンツ自体が嘘であるといったレベルまで発展してしまっており、もはやカオス以外何者でもない世界に成り果てています。

なので、私は、そのようなことから、人々がある一瞬の感情に押し流されて感情の赴くまま、大変不幸な出来事を起こさないことを祈るばかりなのです。

隆之介のモノローグ

思い浮かんだこと。

隆之介(codenetJP)

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Mediumな世界の中で一人物思いにふけつつ、たまに主張してみる。小さな声で。https://about.me/codenet

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