映画「ロッキー」について

人生を共に生きる

冒頭に、ストーリーと全く関係のない話をしてしまうが、ここ4日くらい忙しくて、mediumで読みたいストーリーをブックマークだけしておいて、休みの日に全て読んだら、何と丸一日かかってしまった。本当に朝から晩までである。mediumなめてました、すみません。実はmediumに日本語のストーリーはいっぱいあるんだよ、という話でした。(私の読むスピードが単に遅いだけかもしれないが)


さて、スポーツジムでエアロバイクを1時間から2時間くらい漕いでいるとその間の時間が退屈で極まりない。そこで、私は、アマゾンプライム会員なので、映画をiPadminiにダウンロードして見ている。実際にやってみて気付いたのだが、プライム会員が無料で見られる映画は全てダウンロードできるわけではない、という注意が必要だ。私は格安SIMを使っているので、出先でストリーミングで見るわけにはいかない。なので、見られるのはダウンロードできる映画だけである。

そして、最近見たのがボクシング映画の「クリード チャンプを継ぐ男」である。内容はロッキーの元に一人の黒人青年が現れる。それは、かつての宿敵かつ親友のアポロの子供だった、という話から始まる物語である。

で、予想通り感動してしまい、前にも一度見たのだが再び「ロッキー・ザ・ファイナル」をダウンロードして、後日、見てしまった。エアロバイクを漕ぎながら。こちらは、現役を引退し老いぼれたロッキーが再びボクシングの試合に出るために奮闘する物語である。

改めて見ても感涙である。でも、涙を流すわけにはいかない。なぜなら、コンタクトレンズを流し落としてしまったら、見つけるのが大変面倒なことになるからである。側から見たら鼻水をすするエアロバイクに乗った変なおっさんにしか見えなかっただろう。だが、それでいい。

映画「ロッキー」といえば、初作は1976年の映画である(詳細はWikipediaを見てください)。その後のシリーズも含めてロッキー役の俳優はシルヴェスター・スタローンが演じている。つまり、1976年から2016年現在までの間の一連の物語は全て同じ人間が演じているということである。人間なのだから、当然、歳をとる。だから、映画の中のロッキーも歳をとっていくのである。

私の中で「ロッキー」と言ったら、決して諦めないヒーロー(英雄)である。ターミネーターも好きだが、ロッキーの方が何となく人間臭くて親近感がわく。天才ではないが努力の人といったイメージがある。そして、子どもの頃に見たヒーローが、自分が歳をとるのと同じように、映画の中で歳をとり老いぼれ、昔は偉大なヒーローだった人に成り果てるのである。

上記の二つの映画は、それを惨めなことだと表現することなく、まるで現実ならそうであるかのように忠実に淡々と描いていく。なので、私はロッキーの人柄に余計感情移入してしまうのである。映画の中でロッキーが話す言葉は、一言一言、全て名言である。私の心に深く突き刺さる。それは、言葉の内容そのものというより、ロッキーの生き様を見続けてきたからこそ、共感させられるのだろう。

しかし、何ということだろう。私は、ロッキーという存在しない人物の実在しない出来事に長い年月をかけて共感し続けているのである。

物語(ストーリー)は偉大である。たとえ、作り話であっても人の人生に影響を与え得る。

私はロッキーと共に人生を生きてきたのだ。

そして、今日もロッキーから闘志をもらってスポーツジムでトレーニングに励む。おかげさまで体力もだいぶ戻ってきた。見た目は、まだまだ腹の出たおっさんだが。先日、トレーニングを終えて着替えていると、ズボンのベルトの穴が一つ狭く閉められることに気付いた。何とも嬉しいことである。