mediumと私の現状報告

1ヶ月半を振り返って(長文注意)

隆之介(codenetJP)
隆之介のモノローグ
9 min readNov 8, 2016

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私がmediumを使い始めたのが、2016年9月20日なので今日で約1ヶ月半ほど経ったことになる。期間でいえばまだ1ヶ月半しか経っていないのだが、気分的には随分長いこと居座っているような気がする。たぶん、のんびりとした雰囲気に居心地の良さを感じるからだろう。今日は、自分なりに感じたmediumについて思うことを淡々と書き記していく。

mediumの機能について

私はMacBook ProのSafariブラウザの中で文章を書いているが、あまり凝ったことはしないので、使い心地や機能は必要十分である。だが、さすがに長文をスマホやタブレットで書く気力というか根性はない。せいぜい、短文の返信(レスポンス)を書く程度である。

さて、問題は文章を読む場合である。パソコンとスマホとタブレットでは画面の大きさが違うのだから、特に写真などの見え方が違ってしまうのはしようがないのだが、iPadminiを使っていて気に入った文章をハイライトしようとしても、mediumの画面自体がスワイプしてしまって、とてもやりにくい。なので、私は自宅や外出先でスマホやタブレットを使ってmediumを見る場合、とりあえず、読みたいストーリーにブックマークを付けるだけにしている。

それとは別に、読む人にとって最も大きな問題は、mediumの中で求めているストーリーを探すという行為が簡単ではないということである。詳細は過去のストーリーを参照していただきたい。

どうやら、mediumで表示される各ユーザーのタイムラインは、Twitterのようにフォローしたユーザーの全てのストーリーが表示されているわけではなく、Facebookのようにmedium側のアルゴリズムによって選ばれたストーリーだけが表示されているようだ、ということが分かってきた。

私は、良いストーリーに巡り合えるように、どんどんとフォローをしているのだが、自分のタイムラインを見るだけでは、良いストーリーがあるという存在自体に気づくことができないということになる。

現状、mediumは「書くだけの人」には使いやすいシステムだが、「読む人」には何とも使いにくい仕組みなのである。

しかし、ここでよく考えてみよう。mediumのユーザーが全て「書くだけの人」になってしまったら、どうなるのだろうか。自分のストーリーは投稿するが、他人のストーリーは読まないし、ハイライトやいいねもしないし、レスポンスもしない。これに一体何の意味があるのだろうか。だが、実際にはそのような人は大勢いるのである。なぜか。それはmediumの中のコミュニティに興味があるわけではなく、ただ単にmediumの外部に情報を発信しているからである。

mediumを長文記載できるツールとして使用する

そこで、私はTwitterを使ってmediumに投稿したストーリーをシェアしている日本人ユーザーを検索して様子を見てみた。もちろん、mediumを使う人が全てTwitterへストーリーをシェアしているわけではないので、ここではあくまで、Twitterをメインで使う人がmediumを使っていることが前提になっている。

結論を先に言えば、このような人達のコミュニティの中心はTwitterであり、mediumは長文記載できるただの外部ツールなのである。それならば、従来のブログで十分事足りるのだが、何だか目新しいサービスだし、無料だし、サイトの管理が簡単なので、とりあえず使ってみようという趣旨なのだろう。なので、そのような人達のストーリーを読むと「日本語」というタグはまず付いていない。よって、そのような人達は大勢いるのだが、mediumの中からでは検索しても見つからないのである。

mediumという道具と場

以上のことより、日本のmediumの世界にも実に様々な人々が存在するのである。

例えば、自分のビジネスの広告として投稿する人。難しい言葉が次々と出てくるのだが、よく読むと本当に大事なことは何も書かれていない。なぜなら、それこそが自分が儲けるための企業秘密なわけだから書けるわけがない。体裁よく書いて、仕事紹介してくださいというわけである。

次に、ライフハックや自己啓発系の投稿をする人。どこかの本を読んだ内容をそのまま自分の言葉のように転載し、ああしなさい、こうしなさいと指図するわけだが、大きなお世話である。そのようなライフハックや自己啓発プログラムを自分で一定期間実践し(少なくとも数年単位で)、その前後最中にどのような変化があったのかの実証を公開し、それを踏まえて自分なりの考えに至った主張を私は知りたいのである。だが、そんなことができるはずがない。なぜなら、そのような人は、人にああしなさい、こうしなさいと言いたくてしようがないからである、毎日。

そして、ガジェットなどのモノをひたすら紹介する人。残念ながら私は普段はあまり興味がない。だが、私が欲しいと思った時に検索し、その人のレビューを大いに参考にさせてもらうので助かっている。

最後に、人生きらきらな人。mediumではビジネス系の人に若干見られるが、芸能人のSNSやFacebookな人たち、炎上指向の人のようなぶっ飛んだ人は、まだあまり見かけない。そのような人達は、mediumでぶっ飛ぶ必要が今のところないのだろう。

こんな感じで様々な人のイメージを紹介したが、実際にはそのような人も含めて全ての人がmediumを使用することに私は賛成である。mediumといえども所詮はただの道具と場なのであり、どう使うかはユーザーの自由なのである。

私の活動について

後半は、自分のmediumでの活動について記していこう。私は現在3つのパブリケーションを作っている。「隆之介のモノローグ」「隆之介の写真」「隆之介の日記」である。もう気づいた人も多いだろうがタイトルがベタすぎる。だが、それでいい。

隆之介のモノローグ

ここは、自分の主張を練習する場所として使用している。当初は、本を読んで紹介がてら、そこから独自の意見を書くことで主張をする練習をしようと思っていたのだが、よく考えると、読者が同じ本を読んでいるとは限らないので、同じ前提を持った状態からの主張という形式は取れなくなる。なので、あまりマニアックな内容を書くと、この人は一体何を書いているのだろうか、というオチになってしまうし、本を読まなくても分かる内容ならば、わざわざ本を紹介する必要もない。

そこで、どうしようかと考えていたところ、mediumの中で良いストーリーや主張を書く人が多いことに気づいた。ならば、そこに対して私の意見を書いていこうと決めたのである。それにより、読者は前提となるストーリーをリンクを辿って読むことができる、無料で。よって、「隆之介のモノローグ」にあるストーリーはレスポンスから始まるストーリーが多い。レスポンスされてしまった人には、悪意はないということで、どうぞご理解いただきたい。

隆之介の写真

「写真に言葉はいらない。タイトルさえ必要ない。」というのが私の考えである。今でもそう思っている。しかし、言葉を重視するmediumで活動する以上、写真と言葉を使って何かを表現しようと決めた。それは、私にとって新しい挑戦でもある。現在は、写真ポエムや小話程度の長さの物語を書いている。ポエムは難しい。本当に難しい。まず、基本となる前提知識がない。この辺はいろいろ勉強していけばいいのだが、実際には、Instagramなどを見ると一般の人が自分の言葉でポエムっていて、私は結構共感してしまうのである。理屈や文法ではなく感性なんだろうなと、アートな世界にただただ感心せずにはいられない。

ポエムの他には小さな物語を書いているのだが、こちらも私の中ではアートな世界である。主張をただ書き連ねるだけではなく、表現を変えて感性に訴えるように物語の形にしていく。この一連の作業は私にとって未知の世界であり、大変やりがいのあることでもある。さすがに、プロの作家のようにポンポンと量産することはできないので、マイペースでやっていこうと思っている。

隆之介の日記

こちらは、主張でも物語といった作品でもない、いわゆる昔懐かしのWEB日記である。昔はこういった日記を誰が見ているのかも分からないまま、淡々と書いている人が多かったのだが、最近はSNSの登場で秒速で短文を投稿する世界になってしまったので、すっかり見る機会が減ってしまった。私も、あまり難しいことばかり書いていると疲れるので、こちらの日記でどうでもいいことを書いてリラックスしている。こういう場は、やはり必要だろう。

私のmediumでの目的

最後に、結局のところ私はmediumな世界で何をやりたいのかを記しておく。

まずは、頭の体操である。自分が考えていることを主張として相手に伝わるように文章(ストーリー)を書く練習をする。そのような文章を書くためには当然、頭の中で論理的に主張とその論拠を組み立てていかなければならない。

次に、文章を上手く書く練習をする。いかに分かりやすく、スマートに書くか。無駄な言い回しは徹底的に排除する。頭と心に響くような表現を用いる。相手が理解できない、または、本能的に納得できない文章は全く意味をなさない。

そして、アートとして小さな物語を書く練習をする。説明としての文章ではなく、それを超えた物語(ストーリー)である。mediumに投稿するものは「記事」ではなく「ストーリー」なのである。

あと一つ大事なことがある。それは、他人が書いたストーリーに共感できるようになる練習をすることである。私は「書くだけの人」には成りたいと思わない。ネットで金儲けをしているわけではないので、他人が書いたストーリーを読む時間くらいはある。実際には会ったこともない人が書いた体験談を読んで、その人が喜怒哀楽した場面で自分も同じように喜怒哀楽できることは、一方的にせよ繋がりができたことになる。ネットワークとは、つまりそういうことなのではないだろうか。

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隆之介(codenetJP)
隆之介のモノローグ

Mediumな世界の中で一人物思いにふけつつ、たまに主張してみる。小さな声で。https://about.me/codenet