記憶の断片

表現としての写真


私がデジタルカメラで写真を撮るようになったのは、「旅行先で綺麗な風景を綺麗に撮りたい」と思ったことがきっかけだった。そして、購入したカメラがCanonのIXY DIGITAL 400だ。当時としてはコンパクトでパンフォーカスで良く撮れた。

カメラの使い方が分かってくるとだんだんと不満が出てくる。JPGファイルが必ず圧縮されてしまい画質が落ちる。暗いところではブレてしまい上手く撮れないなどなど。結局、デジタル一眼レフカメラを購入した。PENTAXのK200Dを。このカメラはCMOSではなくCCDセンサーを搭載していて、解像感や発色などがとても好きだった。

その後は、他のカメラマニアと同じく、様々なカメラやレンズを買い漁った。といっても、お金がないので高いカメラとレンズは一切買えなかったが。

そうやって、一通り機材が揃っていくと次は、「何を撮るか」を考え始める。しかし、私はどうも鳥や電車などには興味がないらしく、目的が定まらない。ある日、当時流行っていたFlickr(今なら500pxだろうか)で他人の写真を見比べてみると、同じような機材を使っているのに、出来上がった写真の画質や質感などのクオリティがまるで違っているのに気づいた。そう、撮影後のレタッチというものに初めて気づいたのである。私はレタッチに魅せられた。レタッチして表現するということに。

それからは、何を撮るかよりもどう表現するかを考えるようになった。Photoshopやそのプラグインによるレタッチもその手法の一つに過ぎず、大事なことは「何をやりたいのか」である。

私は、カメラの他に人間の内面的な部分にも興味を持っていた。当時、その中でも記憶に対して色々な思いがあり、これをカメラと写真を使って何やら表現できないだろうかと考えていた。具体的には、人が記憶を想起した時のイメージを写真で表現し、その写真の中に、その人のその時の思いや感触といった感覚的なモノを含ませ、写真を見る人にそれを感じてもらえるようなことは出来ないかと考えていた。何だかとてもややこしい説明になってしまったが、要は、理屈じゃない感覚的な表現の写真を撮りたかったのである。

なので、私のそのような写真は全てピントが合っていない。もちろん意図的にピントを外しているからだが。私の頭の中で過去の記憶を思い出す時に、イメージとしての画像ははっきり写っていないのである。だが、このイメージには、優しいとか温かいとか嬉しいなどといった感覚が残っている。これを表現したいのだ。

私はこの表現を「記憶の断片」と名付け、自分の写真のテーマの一つとしてきた。腕は三流のアマチュアカメラマンなので、上手く伝わっているかは分からないが、このようなテーマを持てたことに大きな幸せを感じている。