カバー曲には歴史があり、ドラマがある

ある日大学の後輩と好きな音楽の話をしていると、彼は「カバー曲って好きじゃないんですよね。だって原曲が一番いいじゃないですか。」と言った。ぼくは、よく耳にする台詞だな、と思いながらも、これには同意できなかった。ぼくはそのあと必死に、世の中には素晴らしいカバー曲が山ほどあるのだと力説したのだが、果たしてわかってくれたのだろうか。


ぼくが初めてカバー曲というものをちゃんと聴いたのは、高校生のころだったと思う。エアロスミスがビートルズの “Come Together”をカバーしたものだった。スティーブン・タイラーの「シュッ」という声は、ジョンの歌うそれとは違い、怪しさに満ち、悪魔的な響きをもっていた。(ちなみに、「シュッ」は “Shoot me”と言っているらしい。スティーブン・タイラーは「シュッ」としか言っていないけど。)

ポール・マッカートニーとスティーブン・タイラー

カバー曲を聴くと、そのアーティストが何を大切にしているのか、どこにルーツを持っているのかがよくわかる。たとえば、ビートルズ。ビートルズをあまり知らない人は驚くかもしれないが、ビートルズの初期作品は実はアルバムの半分をカバー曲が占める。曲の並びを見るだけでも彼らが50's、60'sのブルース、ソウル、ロックンロールにいかに影響されているかが見て取れるだろう。そしていざ曲を聴けば、彼らがキャッチーでクールなバンドサウンドに仕立て上げながらも、彼らのルーツであるその音楽をとても大切にしていることがありありと伝わってくることに、感激するのだ。

ぼくが大好きなカバー曲を、ひとつ例に出したい。“A Change Is Gonna Come”という曲だ。サム・クックというソウル・シンガーが歌っており、当時人種差別に苦しんでいた黒人たちに、「変化はきっといつかやってくる」と歌った曲だ。原曲は、ぼくにはとてもかける言葉が見当たらないほどに、良い。だが、このカバー曲もまた、素晴らしい。中でも特に素晴らしいのが、アレサ・フランクリンによるカバーだ。このカバーは、次の台詞から始まる。

There’s an old friend that I once heard say
Somethin’ that touched my heart, and it began this way

old friendとは、もちろんサム・クックのことだ。なんと粋な出だしだろうか。実はこの曲がリリースされる数年前、サム・クックは銃で撃たれて亡くなっている。彼の魂を、同じ時代を代表する歌手が、同じ思いを胸に歌い継いでいるのだ。

つまりぼくが言いたいのは、カバー曲には歴史があり、ドラマがある、ということだ。それは何も洋楽に限った話ではない。奥田民生がフジファブリックの「茜色の夕日」をカバーしているのも、ザ・ピロウズとミスターチルドレンが互いに曲をカバーしあっているのも、トータス松本がサム・クックの曲をアルバム丸ごとカバーしているのもそうだ。すべてそこには歴史とドラマがある。ぼくたちはアーティストが何を思って曲を作っているのかということを、雑誌のインタビューやラジオでしか知ることができない。だが、「カバーしている」というその事実と、「どんな風にカバーしているか」を聴くだけで、ときにはインタビュー以上に、深く知れることがある。

「原曲が一番いいじゃないか」という意見も、わかる。もちろん、その曲をこの世に生み出したという功績は何物にも代えがたい。本人にしか歌えない歌というものもある。しかし、脈々と続く「音楽」という歴史に触れるとき、カバー曲はとても優れた案内役となる。原曲はもちろん素晴らしいが、カバー曲もまた、同じく素晴らしい。