ボードゲームはたのしい。

Sho Okawa
隔日日記
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4 min readSep 18, 2016

一昨年の冬、はじめて「ボードゲーム」に出会った。何かのきっかけで神戸にあるボードゲーム屋に友だちと出向いたときのことだ。店内には所狭しと古今東西のボードゲームが敷き詰められていた。何から手を付けていいかわからないぼくたちは、店長から優しく手ほどきを受け、「初心者ならこれがオススメかなぁ」といくつかのゲームを貸し出してくれた。手ごろに盛り上がれるパーティゲームから、深く考えさせられる戦略的なゲームまで、はじめて触れる「ボードゲーム」の幅広さと奥深さに何度も感嘆し、時間を忘れて大はしゃぎした。「1日フリータイム500円」という衝撃の値段設定もあり、そこからどんどんボードゲームにハマっていくきっかけとなった一日だった。

「電力会社」 アメリカ大陸に発電所を建てていくゲーム。

それ以降、いろんな友人にボードゲームの良さを伝えようと奮闘したのだが、「そもそもボードゲームって何?」と言われるところから話が始まることがほとんどだ。この質問に答えるのはとても難しい。なにせ、先ほど述べたようにボードゲームにはありとあらゆる種類のゲームがあるのだ。カードしか使わないものから大きな盤面と数十種類のコマを使うものまで、5分で終わるものから4時間かかるものまで、本当に様々だ。そこで簡潔な説明はないかと探していたところ、『世界のボードゲームを広める会ゆうもあ』という団体が次のように説明していた。

ボードゲームは、ゲーム盤や駒、サイコロやカードといった道具を使い、2人以上が向かい合って、理論的、心理的、戦略的、確率的などの様々な種類の「思考」を楽しむものです。

この説明は、多少の取りこぼしはあるものの、すっきりと言い当てていると感じる。特に、「思考を楽しむもの」という説明。ゲームによって運要素の強弱はあるが、どんなゲームも「思考を楽しむ」という点では大きく変わらない。悩みぬいた自分の選択によって盤上の戦局が転々とし、お互いの一手が相互に影響しあう(この点において、「人生ゲームはボードゲームではない」と言われることが多い)。ボードゲームとは、そういった「思考」の過程と結果を楽しむゲームといえるかもしれない。

しかし、ぼくが思う「ボードゲームのおもしろさ」はそれだけではない。最大のおもしろさは、その「思考」を題材にした「相手とのコミュニケーション」だ。ほぼすべてのボードゲームは対戦相手を必要とする。月並みかもしれないが、その相手との間に生まれる会話や空気、一瞬の盛り上がりなどがボードゲームの醍醐味なのだ。ぼく自身、ボードゲームの楽しかった思い出といえば、「〇〇君とやったときの、彼のあのどんでん返しがおもしろかった」というような、「誰かとの思い出」が何よりもまず頭に浮かぶ。それはパーティゲームに限らず、深い思考を延々と続けるような作品も変わらない。ボードゲームを遊んでいる間は空間的・時間的にも制約を受け、ルールによって動作も制限されるが、そういった規則にのっとった上での制約を受けたコミュニケーションは、本当に楽しい。

「チグリス・ユーフラテス」 チグリス・ユーフラテス文明を築くゲーム。

実はボードゲームはいま流行りつつあるらしい。ボードゲーム屋も増え、おしゃれな雑誌で「雨の日デート特集」にボードゲームが紹介されていたりする。ついこの間、アメトーークでも少しの時間ボードゲーム特集が組まれていた。いまこれが流行りつつあるのは、対面のコミュニケーションへの渇望や、デジタルなものではなくフィジカルなもので遊びたいという気持ちが、若者の中に芽生えつつあるからなのだろうか。

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Sho Okawa
隔日日記

大学院生2年目。新宿ゴールデン街で働いています。