「押入れ」と「引出し」

昨日、この夏に知り合った友人とお酒を飲んでいると、彼が「押入れと引出しの関係」という議題を持ち出した。「押す」と「引く」、「入れる」と「出す」。見事に対になった言葉によって成り立っているのに、どちらも「何かを入れて保管する」という機能に大きく変わりはない。これは面白いねと言いながら、その二つの言葉をテーマにあれやこれやと議論した。結論を急ぐような話題ではないし、文献に当たらずに答えが出るような性質の議論でもない。そもそも、答えらしい答えはないかもしれない。ただ、お酒を飲みながらグダグダと話すにはほど良いゆるさの議題だった。どうせなので、ここでその議論の続きをしてみようと思う。

ぼくの机の引き出し

説明するまでもないが、押入れとは 日本の住宅や和室において道具などを収納するための空間であり、引出しとは 机や箪笥などの家具にとりつけられている引いて出す箱のことだ。用途はともに「何かを入れて保管する」ことである。しかし、名前が表すように、それらを使用するときの動作やそれに伴うイメージには大きな隔たりがある。

「押入れ」の目的語となる対象物、つまり「押入れるもの」は「保管しておく何か」である。対して、引出しの対象物は二重構造になっており、「引出し」そのものを引き出したのちに、中身である「保管してあった何か」を引き出す。ここからわかるのは、押入れが「未来」を想定した保管であるのに対して、引出しは「過去」を意識した保管である、ということだ。押入れという空間に、物を入れることで未来永劫続く封印を施すかのような印象があるのも、この未来に向いた言葉によるところが大きいのかもしれない。ちなみにではあるが、アニメ「ドラえもん」ではこの構図は全くの真逆に描かれている。ドラえもんは「引出し」を介して未来からやってくるのち、(ドラえもんからすると過去である)現代において「押入れ」に滞在する。全くの逆なのだ。

押入れと引出しの大きな違いは、押入れが家の一部の空間であるのに対し、引出しが家具である、ということだろう。それは押入れが自分という存在に帰属していないことを表しているのかもしれない。引出しはいつでも引き出せるのに対して、押入れは家の一部に埋め込まれたままである。普段は襖で仕切られており、用事がなければ隔絶されたままでもある。この自らに帰属せず、(大きさからも)管理下に置きづらいという性質が、ここに物を入れると出てこなくなるかのような四次元空間を我々に想起させるのではないかと思う。

ぼくたちは、押入れと引出しに保管するものを無意識に分けている。機能的な引き出しやすさや空間的大きさからそれらを選ぶことがほとんどだが、それ以外にもこの言葉から生まれるイメージによって分けられることもあるはずだ。保管するものを「未来」に押し込もうとすることもあれば、逆に自らに帰属した場所に置いておきたいものもある。押入れと引出しという、似ているようで似ていない、奇妙な対立構造をもった二つの入れ物に、自分は何を入れているのか一度調べてみるとおもしろいかもしれない。

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