高校中退から独学でアメリカ留学を実現、そして今NYの世界一流監査法人で働く女性

〜20’s Global Girls Meetupインタビュー〜(木室恵美さん)

Miho Yoshida
20's Global Girls Meetup
12 min readDec 16, 2016

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こんにちは、20's Global Girls Meetup(以下GGM)のミホです。GGMでは、私自身と同じように、20代の海外留学や就職経験を持った女性のコミュニティづくりに取り組んでいます。その活動の一つとしてメディアを運営し、日本と外国で生きてきたGGMメンバーそれぞれの、過去・今・未来の個性溢れるストーリーを共有する、セルフインタビュー記事をお届けしてきました。そして、今回は初めてインタビューという形でお届けしたいと思います。

今回インタビューしたのは、高校中退後独学で大検を取りアメリカ留学を実現させ、NYで世界のビッグ4と言われる一監査法人からオファーをもらった、木室恵美さんです。彼女は私の留学時の友人で、留学先ではいつも明るく誰よりも努力家で、言葉にするより先に行動してしまうパワフルな女性でした。恵美には、私だけでなく彼女を取り囲む全ての人々が刺激を受けていました。そんな彼女に、高校を中退してからNYで一流と言われる会社での仕事を手にするまでのお話を聞きました。

今回インタビューさせていただいた、木室 恵美(Megumi Kimuro)さん

〜20’s Global Girls Meetupインタビュー〜

  1. 海外に行ったきっかけ

2. 海外滞在中に学んだこと、自分の中で変化した価値観

3. 今実際どんな仕事をしているか、どう仕事を見つけたか

4. 今後どんなことをしたいか、どんな女性になりたいか

1. 海外に行ったきっかけはなんですか?

15で高校を中退し、劣等感とプレッシャーと戦う日々

私は、15歳のとき高校を中退しました。高校の授業はつまらないし、お金を自分の力で稼ぎたかった。当時、お金のみが自由を与えてくれると信じていました。だから、高校を中退してアルバイト生活を始めます。飲食店でマネージャーの仕事をしていましたが、人に教えることやお客さんにサービスすることはすごく楽しかった。でも、周りには私が高校を卒業しなかったことを心配する人も多かったし、自分でも周りと違うことに劣等感を感じていました。それでも、自分の決断、仕事への熱意には自信のようなプライドがあって、ひたすらがむしゃらに働いていました。でも、実際は変わらない日々や日頃感じる劣等感はプレッシャーで、将来を常に心配している自分もいました。これからどう生きていけばいいのだろうって。今思えば、暗闇の中にいる日々でした。

そんな日々が3年続き、18歳になり大検を取ろうと決心します。社会では18歳は高校を卒業し、大学への進学や就職する歳だったから、同年代のアルバイト仲間に刺激されたのだと思います。そこから、アルバイトをしながら猛勉強を始めます。人生で初めて真剣に勉強したときでした。勉強することが、新鮮でわくわくして楽しかった。勉強は、自分の人生に足りなかったものだったと思いました。きっと勉強が楽しいと思えたのは、3年間学問というものから離れていたことも大きかったんだと思います。

大検合格で得た自信と、学ぶことへの貪欲さ

勉強に目覚めてからは、独学で大検のための教材から学ぶだけでなく、分野に絞らず様々なワークショップなどにも参加していました。そして、参加したワークショップの中に、発展途上国に関するものがありました。そこで、貧しい国に必要な物の一つが農業だと考えるようになり、農業をいつか勉強したいと思うようになりました。その頃は、本当に勉強が楽しくてしょうがなく、アルバイトをしている時間以外は寝る時間も削り、とにかくどこでも勉強していました。その当時の私は、貧しい国のこどもたちが初めて勉強したときのような気持ちだったんじゃないかと思います。

そして、勉強に明け暮れた結果として、無事大検試験に受かることができました。試験に受かり、同世代と同じスタートラインに立てたことは、私に大きな自信を与えてくれました。今後どうするかを考え始め、インターネットで今後の進路、学校について調べまくります。英語を勉強することに興味があったので、都内の英語学校を見つけ見学に行くことにしました。留学を目指して本格的に英語を勉強できるのがコンセプトの学校で、頑張る学生やそんな学生を全面的にサポートしてくれる先生やアドバイザーがいるのを見て、見学後入学を即決しました。ここでの学費はこれまでアルバイトで稼いでき貯金を使いました。自分の当時の英語力、留学にかかる費用を考えると、留学なんてとても非現実的でしたが、とりあえず英語を勉強しようと入学しました。入学後も、学校に通いながらアルバイトをして生活費を稼いでいました。そんな必死に頑張る私の姿を見ていた母は、留学させたいと応援してくれるようになりました。学校側も、学費や生活費において幅広い選択肢があるアメリカで、私の経済力でも留学が可能な大学を見つけてくれました。そして、母の支援もあって非現実的であった留学を実現することができました。

2. 海外滞在中に学んだこと、自分の中で変化した価値観はありますか?

アメリカ人から学んだ人生の楽しみ方

当時のルームメイトと友達と

アメリカに留学してすぐまた勉強尽くしの日々が始まりましたが、最初はすごく違和感を感じていました。それは、そこは勉強しかしなくていい環境だったからです。日本にいるときは、勉強しながらアルバイトをするのがあたりまえでした。勉強に専念できる生活に対して違和感を感じながらも、感謝でいっぱいでした。アメリカ生活を通して、学んだことはたくさんあります。アメリカ人は若い人でも年配の人でも本当によく遊ぶんです。よく食べて、よく飲んで、よくしゃべて、よく笑って。人生楽しんでるんですよね。それを見ていたら、私ももっと人生楽しむべきだ、人生もっと楽しんでいいんだと思いました。

大事なのは“quality time”

人生の楽しみ方については、他にも学んだことがあります。アメリカ人はプライベートをとても大事にします。例えば、 Thanksgiving Day(感謝祭)やクリスマスなど行事の日には、実家に帰って必ず家族と時間を過ごします。それは、大学生も働いている人もみんな同じ。社会人になっても、勤務終了時刻になったら家族と過ごすため、友達と遊ぶために、仕事を当たり前のように切り上げます。日本では仕事を優先する文化があるので、カルチャーショックを感じるとともに、こうあるべきだと思わずにはいられませんでした。高校を中退した当時は、お金のみが自由を与えてくれると信じて必死に働いていました。でも、アメリカで気づかされたことは、充実した時間を持てることこそ自由だということでした。時間の量ではなくて、時間の質。充実した時間を持つことで、自分を自由に、人生を豊かにできること。大事なのは“quality time”ということを学びました。

まずは自分のことを大事に

それから、自分を大切にすること、そして他人を受け入れることができるようになったように思います。みなさんがご存知のように、アメリカには色んな人種の人がいて、それぞれが違う価値観を持っています。共存するために、彼らはその違いを否定せずに、肯定します。個性を大事にしているのです。それは、私にはとっても居心地がいい環境でした。個性を持っていることがあたりまえの環境では、いい意味でも悪い意味でも、『自分らしさとは何か?』と自分自身と向き合い、自分について知り、自分を受け入れることが求められます。そして、それができてやっと、本当の意味で他人を受け入れるようになったと思いました。

大学の卒業式に父がはるばる来てくれました。

3. 今実際どんな仕事をしていて、どうやって仕事を見つけましたか?

自分らしくいるためのアメリカでの就職

日本は男性社会であり、女性として働くの事は大変というイメージが私の中で強くありました。アメリカで築いてきた価値観や自由を日本でも持ち続け、生かせるイメージも持てませんでした。日本で生活していた頃の自分に戻りたくない、日本では自分らしくいられないという強い想いもあり、大学卒業後はアメリカで就職することに決めていました。

発展途上国に貢献するためのステップ

いつか農業を勉強して発展途上国に貢献したいと考えていました。でも、発展途上国で農業を確立して、サステイナブルな生活を現地の人々に与えるためには、実際ビジネスへの理解、お金の動きを見れることが必要だということに気付きました。だから、まずはビジネスを勉強することを最初のステップとし、大学では会計学を専攻することに。そして会計の専門スキルを身につけ、会計事務所へ就職し実務経験を積むことを目標にしました。

ボストンで毎年行われる留学生向けのキャリアフォーラムに参加し、複数の監査法人からいくつかオファーをもらいました。外国人である私がアメリカで働くにはビザが必須で、ビザをサポートしてくれる企業であることが大事な条件だったので、オファーをくれた中でも規模が大きい監査法人を最終的に選びました。彼らから提示されたオファーは、インターン期間を踏んでのフルタイムだったのですが、私はできるかぎり早くフルタイムで働きたかったので、担当者と諸々交渉し、最初からフルタイム、そしてニューヨーク支社での採用という条件で話を進めることができました。OPT(オプショナル・プラクティカル・トレーニング)を利用し、F1ビザで1年間フルタイムで働いた後、H1ビザを取得する予定でした。しかし、ビザ獲得は年々厳しくなっていて、H1ビザの審査が通らず、ニューヨーク支社で働き始めて1年、一旦日本に帰り、ビザが出るまで日本支社で働くことになってしまいました。

日本に戻ってきてみて、日本は本当にイメージ通りでした。監査法人なんて、特にお堅い業界だし上下社会です。それでも、ビザが出るまで頑張ろうと必死にモチベーション維持に努めていました。

ニューヨークと日本では仕事内容は違いますか?

ニューヨークでは日系企業を担当していたのですが、アメリカに籍を置く日系企業の多くは子会社のため、規模はあまり大きくないところがほとんどでした。一方、日本では大手企業を担当することが多くありました。仕事内容は基本同じですが、大手企業の会計を見るには、幅広いビジネスの知識が必要になるので、日本での仕事の方が大変だったように思います。でも、企業の経営トップ層の方々と直接業績についてお話しする機会が多く、とても勉強になりやりがいを感じていました。

アメリカでの就職を考えている人に、何かアドバイスはありますか?

アメリカでの面接は日本と大きく異なり、”自信”が何よりも大事です。アメリカでは自分に自信を持っていることが高く評価されます。日本で美徳される謙虚さは必要ありません。面接では自信を持ち、会社にどのように貢献できるかをはっきり伝えましょう。

4. 今後どんなことをしたいか、どんな女性になりたいか

NYライフにおけるつかの間のひと時

今は、アメリカの就労ビザが無事降りたので、ニューヨークに戻って正式にフルタイムで働いていています。しばらくはここで会計士として経験を積みながら、ニューヨークでの生活を楽しみたいと思っていますが、今後やりたいことは別にあります。監査法人では、ある企業のお金周りの記録を見て、問題を指摘するのが仕事です。しかし、今までこの仕事をやってきて、問題を指摘するだけでなく、問題を解決するところまでやりたい、と強く思うようになり、今後はコンサルティングなどの仕事をしてみたいと考えています。日本で働いている間に、私の興味に関連したセミナーやイベントに参加していたのですが、ある時、CSRコンサルティングという仕事に出逢いました。CSRとは「Corporate Social Responsibility」の略で、企業の社会的責任のことを指し、企業のCSRとは利益のためでなく社会に貢献するための活動を意味します。「これだ!」と感じました。CSRコンサルティングとは、その名の通り、企業のそういった活動をコンサルティングする仕事です。数年前までは自分のことで精一杯だった私は、勉強と出逢い、発展途上国のために何かしたい、社会に貢献したいと思うようになり、これまで日々がむしゃらに歩んできました。そして、今やっとこれまでやってきたこと全てが、繋がってきた気がしています。目の前のことに必死になっていれば、いつの間にか夢ができて、その夢にも自ずと近づいて行くのではないかと思います。ありがとうございました。

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