物理学の究極の目的

修理固成
8th sense
Published in
Mar 5, 2020
たまゆら © Matsui Morio

物理学の究極の目的、それは…
「果てしなき愛(完全調和)」の存在を知ること。

だとしたら、

計算結果が無限大に発散してしまうのを防ぐために、
有限な量を抜き出す再規格化(=くりこみ)なんかせず

「∞」のまま、ありのまま受け止めればいいのにね。

Ω < 無限じゃ扱えんだろう。

有限にすれば扱えるだろう。

という具合に

広大無辺なる無窮の無限大を
有限値で仮に置き換えるのが「くりこみ理論」

暴流の如く「うごきまくる」のを防ぐため
虫かごで捕まえて「おとなしい」くさせる。

自分が体験したことのある
「再規格化(=くりこみ)」とは、

水蒸気を水に戻して
「製氷皿」に乗せることで

この世の枠にはまる感じ。

やればやるほど、創業の原点から遠のく。
理解の範疇に押し込むほど熱量や濃度が損なわれる。

そして、くりこむほど、刹那的に儲かる。
わからない人は、わかりやすい方に流れるからね。

規格外の農作物が流通からはじかれ廃棄されるのと同じように、異常発達した人物には不合格印や病名を付けられ排除されるこの世の中。

機械の代替のような労働や教育は、想像の余地も創造性も根こそぎ奪い去る。誰でもできるようコピーを複製する上でのイレギュラーとなる原因を潰すためだ。

「遊ばされる喜び」にすっかり飼い慣らされてしまって、主体的に「遊ぶ喜び」を忘れてしまっている。発見する喜びも主体性も惜しみなく奪うことで大量生産・大量消費文化を成立させ、コンシューマーという言葉を生んだ。

そうやって衣食住のすべてをコピーの消費で済ませる生き方に吸い込まれた挙句、各人固有の創造力はもとより生きる力や感性まで不要にしがちになった。生活を画一化しただけでなく、人間まで画一化したおそれがある。

やがて、工場で作られた模倣品を粗末にすることが豊かさだと錯覚したかのように、ただただゴミを増やす生き方になっていく。それはモノを粗末にする社会にしただけでなく、ついには、人間まで粗末にする社会にした。

徹底的にくりこまれ、人工化された情報社会においては、決められた清らかさと決められた美しさ以外は存在することすら認められないのだろうか。

ミナカ亡き抜け殻が蔓延し、松果体が石灰化し、源とつながるへその緒が切れ、魂が植民地化されるなんて惨状を生んでしまってはねぇ…これは物質こそあらゆることの根源だと信じ込み、くりこみを徹底した結果に他ならない。

心・体・頭がばらばらにされ、宇宙自然を分断され、魂が断絶されたこの歴史的逆境を、創造の道へと逆回転させよ!🌀

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