ストレートなのになんでゲイ・パレードに参加するの?

先週末、初めてサンフランシスコのゲイ・パレード、Pride Parade に参加してきた。アメリカでは 6 月を Pride month と言って、月を通して様々なイベントが行われている。サンフランシスコのパレードは、全米でもかなり大規模で、地元の tech 企業もこぞって参加している。

何年か前にパレードを見物しに行った時に、Shut Up and Dance が爆音で流れていて、私を含めた沿道で歓声をあげる人たちと、パレードで練り歩く人たちが全員ユニゾンで合唱しながら踊っている瞬間に立ち会うことができた。その時に、これだ!と妙に納得できたような気がした。差別や偏見をやめて、皆で一緒に踊ればこんなに楽しくなれる!

今年は私の勤めている Pinterest としてパレードに参加することになり、同僚の Evelyn と一緒に動画を撮影し、私が編集しました。

とても楽しそうな動画が出来上がったのですがw、ただ「楽しかった〜!」ではなく、ストレートである私がなぜ Pride に参加したのかをお話したい。

それは、アメリカに来てから、マイノリティである辛さ、差別、偏見、何気ない一言に傷つくこと…をよりビビッドに感じ、言語化できるようになったから。

サンフランシスコで生活していると、女性であること、アジア人であること、移民であること、が常に付きまとう。日本の方が差別的な言動やルールが横行しているのは間違いないけど、ここにはまた違った緊張感がある。

だけど、たまたま性的嗜好がストレートというマジョリティであるがために、夫と手を繋いで街を歩いたり、パーティに一緒に出かけたりしても、誰にも何も言われない。マイノリティであるという経験をしているからこそ、LGBTQ+ の人たちが、ごく普通のことをしているだけなのに、好奇の目に晒されたり、びっくりされたり、罵声を浴びせられたりする悲しさに寄り添うことができると思う。

もしストレートのカップルに、ゲイのカップルが言われるような馬鹿げたことを言ってみたら?

誰だってある切り口から見れば、マイノリティになりうるのではないか。だからこそ当事者じゃなくても共感できるし、ally (あるマイノリティグループに当てはまらないが、味方として一緒に戦ってくれる人のこと) になれる。

“Pride” は、自分に自信を持つこと。
「自分らしく」生きること。
好きな人を好きと言えること。

Pride Parade のおかげで、たくさんの人と同じ瞬間を共有しながら、毎年こんなことについて考えてみるきっかけをもらっている。

パレードに参加できなくても、このブログを読んでくれたり、動画を観てくれたことによって、ちょっと立ち止まって考えてみる、共感しようとしてみるきっかけになってくれると嬉しい。

Happy Pride! 🌈✌❤️