インターネット業界と金融業界では仮想通貨を全く違う視点で見ている

Mitsuta
6 min readAug 24, 2018

インターネット業界と金融業界の間に大きなギャップを感じつつも、金融業界流のユーザインサイトを理解する重要性をひしひしと感じているという話です。

前職まではネット業界に首まで浸かってエンジニアをやってきましたが、仮想通貨業界に携わるようになり金融業界一筋の方々と接する機会が増えてきました。この2つの業界は服装からキャリア観まで、まるっきり違う人々で構成されています。そこで直面するのは仮想通貨で注目するポイントに対するギャップです。早い話が「なぜこんなにすごい発明を目の前にして価格や流動性の話に注意が向くんだろう?」ということです。

しかし、この違和感は徐々に薄れていきました。この2つの業界では同じユーザを見たとしても「ユーザに提供すべきもの」に対する考えに大きなギャップがあることが分かってきたのです。そしてこの2つのユーザ像は相反する部分を持ちつつも、両方とも正しく無視できないというのが今の見立てです。

「インターネット業界」も「金融業界」も巨大で複雑な業界ですが分かり易さのため一括りにしています。ご容赦ください。

「新しいユーザー体験」を提供したいと考えるネット業界

ネット業界では、新しいユーザー体験を非常に重視します。インターネットの歴史は新しいユーザー体験が古いものをリプレイスする繰り返しと言っても過言ではありません。それだけ新しいものはチャンスに満ちています。もちろん新しいだけではダメで、ユーザに届く価値を持っていなくてはいけません。注目したいのは、この文脈における「価値」というのは直感的で説明が難しいということです。大雑把に言えば、便利さや欲求を満たす何かですが、これらは定量的に評価できるものではありません。

そのため新しいユーザー体験の「価値」をいかに素早く見極めるかが非常に重要です。仮想通貨も新しいユーザー体験が眠っている新大陸として注目され、その「価値」の見極めに注意が向くのがネット業界なのではないでしょうか。

「新しい投資対象」を提供したいと考える金融業界

一方で金融業界が提供するのは「投資や資金調達の機会」、「リスクヘッジの手段」など全てお金に関するものです。金融業界なのでお金に関するものなのは当然ですが、ここでは何もかもが定量的に評価され、比較されます。そのため仮想通貨も新しいユーザー体験の「価値」以前に、価格の変化や流動性など、他の資産クラスと比較できる指標が注目されます。仮想通貨によって登場した多くのユーザー体験の一つに過ぎないトレードも「資産クラス」が一つ増えたと捉えると、非常に大きなインパクトだったのだと思います。

「投資する」や「リスクをヘッジする」という行動は普遍的で変わることはありません。利益を追求するという価値観は変わらないので、ネット業界では馴染み深いイノベーター理論も金融業界には当てはまりません。イノベーターに相当する人がいるのではなく、特殊な判断基準で共通の価値を追求する人がいるというのが正確な理解なのではないかと思います。極端な話、金融の世界では誰も新しいユーザー体験を求めていないと言えると思います。金融業界の人間は金の亡者と言いたいのではなく、そういう行動原理に基づいてユーザを捉えることができるという意味です。

定性的な価値 vs 定量的な価値

ネット業界にいた僕にとっては「ユーザは便利さや欲求を満たす体験のような、定性的な価値を持つものを求めている」という考えが自然でした。定性的な価値というのは、他と比較できないだけに「比類なき価値」があります。インターネット越しの価値の移転や、プロトコルによる通貨発行というのは非常に新しいユーザー体験でワクワクするものなので、数字で評価できるものではありません。業務の中でKPIを設定して定量的に評価することはあっても、届けたい価値は究極的には定性的で捉えどころのないものです。

一方で金融業界では安い手数料や高いボラティリティなど、”数字”で評価できることが非常に重要です。「ユーザは定量的に評価できるものを求めている」という意識が強いのではないかと思います。定量的な価値を持つ物≒金融商品であることを考えてもしっくりくる話です。もし金融業で定性的な評価しかできないものを提供していたら、それは怪しい商売でしょう(仮想通貨が怪しがられるのもこの辺に理由がある気がします)。いくら新しくとも、定量的に比較できないなら存在しないに等しいという世界観なのではないでしょうか。

ネット業界では想像力で補完しながら青写真を描くのに対し、定量的に示せる価値を提供しないといけない金融業界は非常に現実的でシビアです。リベラリズムとリアリズムの対立のような構図です。

両方とも正しいユーザ像なのでは

新しい体験に定性的な「価値」を見出していく牧歌的なユーザ像と、資産価値を追求していくリアリストなユーザ像は、直感的には相反する性質を持っています。ネット業界からみると金融目線のユーザは過度に利益を追求しているように見えるし、金融業界から見るとまだ発展途上の仮想通貨の使用に拘るのは無価値なものを追求しているように見えるのではないでしょうか。

しかし、両方の性質を併せ持っているというのが正確な理解なのではないかと思っています。どちらか片方だけに固執しても正確なユーザ像をつかめず、どこかで蹉跌をきたすのではないでしょうか。

これは光は粒子なのか波なのかという物理学の世界で起こった議論に少し似ています。光の粒子説と波動説という相反する世界観が200年も対立した末に、量子論が考え出されました。これは不都合なアイディアや非直感的な世界観に目をそむけていたら達成できなかった偉業です。そして今の自分に必要なのも相反する世界観を自分の中に共存させることなのではないかと思っています。

というわけで、仮想通貨の技術に求められているのは今も昔もスケーラビリティとファンジビリティですが、仮想通貨業界で考えた時に必要なものはまた違ってくるんだろうなと思っています。この辺は需要があればまた別の機会に。

--

--