五十川かずのぶが出来るまで(後半)

五十川 員申(いかがわ かずのぶ)ができるまで(後篇)

自由な生き方に憧れた小学校時代と、地域のコミュニティとたずさわる仕事の魅力に気がつき、政治の面白さに目覚めた中学・高校時代。石川県野々市(ののいち)市の大学へと進んだ五十川さんは、この土地から自分の目指す生き方を求めて動きだしていく。

人を育てる側になりたい

__ 大学に入るとまた違う世界が開けて、お気持ちは変化しましたか。

五十川 員申(以下 五十川) 大学は野々市(ののいち)市にある金沢工業大学(以下 工大)に入学しました。でも実は、大学についての予備知識は何もありませんでした。工大は「学生が自由にものづくりを楽しむ場」である『夢考房』の存在で有名ですが、僕はそれすらも知らなかった。

__ 予備知識なしで、新しい環境へ飛び込んだのですね。

五十川 偶然、同じ高校出身の友だちが『夢考房』に所属をしていて、一緒にやらないかと誘われたのがきっかけで、ロボット作りのプロジェクトメンバーになりました。そこでの出逢いが、今の自分を培っています。

__ どこで誰と知りあい一緒に何をするかは、人生において大事ですよね。

五十川 めちゃくちゃ大事ですね。僕はプロジェクトに参加して、大学2年生からは大学院生の先輩とチームを組んでいました。大会に出場して、個人ではなくチームでの考え方や、アイディアを短い期間でどうやってカタチにしていくかを学ぶ。それぞれ専門分野の違う仲間が集まって、チームを組むのは面白かったです。そして活動のなかで、年下の自分が年上の人たちと対等に、どうコミュニケーションをとったらいいのかもわかり、すごく勉強になりましたね。

__ 大学生と、大学院生。当時の年齢は、経験の差でもありますよね。吸収するものは大きかったのではないでしょうか。

五十川 年上のメンバーたちは、質問や意見を言ってがむしゃらに食らいついていく自分を、大らかに受けとめてくれました。先輩方には、最大限の感謝を感じています。今でも仲がいいし、とにかく有難い存在。このプロジェクトを通して僕も、「後進を育てる」を意識するようになりました。将来は自分も、今度はサポートする側にまわって、人材育成に力を入れていこうと決意したんです。

__ 全てが現在につながっていますね。どんどん今の五十川員申(いかがわかずのぶ)ができる具体的な要素が揃ってきましたが、大学院を卒業後は、就職活動(以下 就活)をなさったのでしょうか。

就活はするが運命の導きか、カフェオーナーに

五十川 親の手前、いちおう就活はしました。ただ僕は、カフェを開くことも同時に考えていて。大学院時代に1年間アメリカに留学をしていたことから、カフェの店主になろうと思いつきました。向こうの大学には各大学の1階にカフェが入っていて、街にもカフェが溢れている。そして店内では、市民も大学生も一緒に勉強しています。日本とは違って相席が基本で、人種や宗教、年齢も関係なく、皆でひとつのテーブルを囲むんです。

__ いいですね。お隣同士、そこから会話が始まって。

五十川 そうなんです。カフェでは世代や性別、思想が違っても、相席した見知らぬ同士で会話が始まる。たわいのない話も案外重要で、そこから議論がなされてアイディアが出てくることもあります。カフェは多様な価値観が交差する場所であり、座って耳を傾けて話に加わることで、自分の幅が広がっていく空間なんです。新しいビジネスが産声をあげる、人がつながる場所でもある。

__ 人がつながる場所ですか。

五十川 残念ながら日本では、「スターバックス」のようなチェーン店方式の店舗は人気があって増えています。でも「そこから何かが生まれる」土壌のある店は少ないんです。だから僕は、一杯のコーヒーを飲む間、個人が「個」としてスペースを借りるのではなくて、同じ場所に集った者同士が意見を交わし合い、ぶつかりあえる空間を野々市(ののいち)市に作りたいと考えました。

__ 就活については、どのようにされていたのですか。

五十川 就活では4社ほど最終面接へ進みましたが、落ちたり辞退したりで。最終的には「自分は野々市(ののいち)市と工大に問題を見つけた、それはカフェがないことだ」と親に宣言をして、カフェオーナーの道を選びました。人と人が交わる場所を、まずは自分が作って提供することから始めようと。

__ カフェを開いてオーナーになる。組織に属さない独立して働く形態から、現在の五十川さんの生き方がスタートしたのですね。

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