国際関係論の理論 -第10章 グローバルなIRに向けて?-

Japanese translation of “International Relations Theory”

Better Late Than Never
17 min readJun 24, 2018

国際関係論についての情報サイトE-International Relationsで公開されている教科書“International Relations Theory”の翻訳です。こちらのページから各章へ移動できます。以下、訳文です。

第10章 グローバルなIRに向けて?
アミタヴ・アチャリャ(AMITAV ACHARYA)

国際関係論の研究は世界中で急速に拡大しています。西洋の大学のIR学生は、世界の多くの異なる地域から集められた、ますます多文化の集団となっています。西洋の外側の大学、特に中国、インド、トルコ、ブラジル、インドネシアなどの大きな国々では、IRの学部やプログラムが急増しています。しかしながら、IRはまだ、西洋社会と非西洋社会の両方の考え方、アプローチ、経験のすべてを捉える真にグローバルな学問分野ではありません。IR理論と概念は、西ヨーロッパと米国に有利な形で偏重したままです。その結果、それらは世界の他の地域での経験や関係を無視したり、それらについて拙劣な理解や説明しか提供できません。

グローバルなIRという考え方は、伝統的なIRによる非西洋の世界あるいはグローバル・サウスの声や経験に対する無関心と疎外化に挑戦します。グローバルなIRの主な目的は、「残されたものを取り込む」ことです。それは、IRの学問分野におけるグローバル・サウスからの研究者の参加拡大と、西洋の支配的な知識の中心地でIRが教えられ、書かれる方法の拡大を求めています。グローバルなIRの目的は、この学問分野を、東、西、北、南の世界各地の国家と社会の関係を実際に捕捉して説明するものに変えることです。IR理論に関するグローバルなIRの視点は、既存の理論を置き換えることではなく、それらの視野を広げ、非西洋世界の場所と役割を認めるように挑戦することです。

これまでのIRにおける西洋の支配の理由は多くあります。1つは、IRにおける西洋の学者、出版物、制度の覇権的地位であり、西洋のIR理論がIRの理解への正しい道を発見してきた、またはその時々における難問や問題に対する正しい答えを発見してきたという広範な信念です。問題を複雑にするのは、非西洋世界における制度的資源の深刻な欠如です。これに加えて、非英語圏の国の学者が主要なIRジャーナルに掲載される際や、英語で主に行われているこの分野における主要な議論と発展を追いかける際に直面する課題があります。もう1つの要因は、多くの途上国におけるIRの学術界と政府との間の密接なつながりであり(これは西洋の特徴でもありますが)、これは理論の仕事を犠牲にして政策指向の研究を促進します。また、グローバル・サウスの多くのIR研究者は、西洋の理論を無批判に受け入れる傾向があり、その結果、西洋の理論家に挑戦する自信がなくなります。このような状況では、理論としてやりとりされるものは、ほとんどが西洋の理論的概念やモデルを現地の文脈に適用したものであり、現地の実践からIR理論の本体へと向けた土着の考え方や洞察の注入ではありません。

主流の教科書や主要な教育機関の教育と訓練プログラムで頻繁に提示されているような国際関係論の学問分野は、名目上は1919年にイギリスで始まったと言われています。それは、最初に国際政治と名づけられた学部と教授陣がウェールズのアベリストウィスで設立されたときでした。しかし、それは実際には第二次世界大戦後にアメリカで発展しました。これらの国が第二次世界大戦前後の世界の大国であったことは偶然ではありません。伝統的な見解によると、IRはウェストファリア条約(1648年)から始まります。それは欧州が主権国民国家を発展させたときでした。これもまた、ヨーロッパの植民地主義のために世界の他の国々へと拡大したヨーロッパ諸国家のシステムを通じた「西洋」の台頭とほぼ一致していました。

非西洋諸国は、1945年以降の脱植民時代に独立した際には、ヨーロッパの考え方、制度、実践を継承し、採用しました。第二次世界大戦後、いくつかのヨーロッパの考え方はその重要性を残していましたが、米国はこれに独自の考え方やアプローチを加えました。1945年以前のヨーロッパは、国際システムの安定性は大国間のおおよその同等性によって最もよく保証されるという考え方に基づいて、権力システムのバランスをとることを通じて国際関係を管理していました。覇権的になる(他を支配する)という単一の強国によるいかなる試みも、システム内の他の強国の同盟によって打ち破られるべきです。一方、米国は、国際連合(UN)や国際通貨基金(IMF)などの多国間機関を通じて国際秩序を管理しようとしました。これらの機関は理論上はすべての国の参加に開放されていましたが、その目的と議題は米国とその同盟国の利益と選好に大きく影響されていました。

西洋の考え方や実践によって形作られたIRの分野は、「残されたもの」にはほとんど注意を払いませんでした。伝統的な文献は、非西洋諸国を、それ自体で国際秩序への積極的な貢献者となるものではなく、「規範受容者」または「受動的な対象者」 — 西洋の考え方や制度の受領者 — とみなしました。この伝統的な見解に対して、グローバルなIRは代替的な物語を提供します。学問分野としてのIRは西洋で発明されたかもしれませんが、IRの内容は西洋支配の時代の始まりとなった1648年のウェストファリア条約から始まったわけではありません。インド、中国、イスラム教など他の古くからの文明は、さまざまな国際システムや世界秩序を先だって開発してきました。この理由から、彼らの貢献はIRの研究のより中心となるべきです。IRは、ギリシャの都市国家システムや、ウェストファリア条約の後のヨーロッパのようなアナーキーな国際システムだけでなく、ヨーロッパ植民地主義の出現前にアジアや中東で行き渡っていた階層的なシステムも研究するべきです。

グローバルなIRはまた、国際システムは政治的・戦略的相互作用だけでなく、文化的および文明的相互作用に関しても研究されるべきだと主張しています。伝統的なIRによってヨーロッパの考え方や実践へとしばしば跡付けられるような、経済的相互依存、力の均衡、安全保障の集団的管理といったいわゆる近代的な概念の多くは、実際にはヨーロッパの内にも外にも複数の起源を持っています。このように幅広い視野を持ってみると、IRは、非西洋の文明や国家の歴史、文化、経済システム、相互作用、貢献にさらに多くのスペースを提供します。IRは、歴史の異なる段階では、あるものは他のものより強力であるかもしれないものの、すべての文明と国家との相互作用と相互学習の産物として最もよく理解されます。

概して、グローバルなIRの考え方は、6つの主要な次元を軸にしています(Acharya 2014とAcharya 2016を参照)。

第1に、グローバルなIRは、普遍主義や普遍性の新しい理解を求めます。今日のIRにおける普遍主義の支配的な意味は、ヨーロッパの啓蒙思想の影響を強く受けています。ロバート・コックス(Robert Cox)は、「啓蒙思想の意味において、普遍とはすべての時間と空間において真実であることを意味する」と述べています(Cox 2002, 53)。彼の普遍主義の概念は、すべての人類に適用されるヨーロッパからもたらされた一組の考え方という意味において、「個別主義的な普遍主義」と呼べるかもしれません。この普遍主義の概念は暗い側面を持っていました。それは多様性の抑制とヨーロッパの帝国主義の正当化であり、欧州の考え方、制度、実践は他者のものよりも優れており、それゆえ強制力か占領によって他の社会に課されなければならないという信念に動機付けられていました。個別主義的な普遍主義の代わりとして、多元的な普遍主義があります。これは、国家間の多様性を認識し、それを尊重しながら、それらの間に共通点を見つけることを模索しています。それはIRのことを、複数のグローバルな基盤を持つ学問分野であると考えています。

第2に、グローバルなIRは、IRが西洋の歴史ではなく世界の歴史に、そして西洋社会と非西洋社会の両方の考え方、制度、知的視点と実践に、より確かに基づくことを求めます。「残されたものを取り込む」とは、いくつかの調整や拡張の後で既存のIR理論を再検証するための試験場として非西洋の世界を単に使用することを意味するものではありません。グローバルなIRは、2方向のプロセスでなければなりません。グローバルなIRの理論と理論家たちにとって重要な課題は、非西洋の文脈からの概念とアプローチを独自の言葉で開発し、それらを局所的に適用するだけでなく、より大きいグローバルなキャンバスを含む他の文脈に適用することです。

第3に、グローバルなIRは、私たちが既に熟知している理論、方法、科学的主張を含む既存のIRの知識に取って代わるものではなく、それらを包含するものです。私は、非西洋の世界を扱う際には、IR理論が一枚岩であったり不変であったりすることはほとんどないということを十分に認識しています。いくつかの理論、特にポスト植民地主義とフェミニズムは、西洋の外側の出来事、問題、主体、相互作用を認識する努力の最前線に立っており、それらからIRの研究を豊かにする理論的な洞察を引き出しています。リアリズムは、非西洋の世界からの洞察力を引き出すに際してリベラリズムに先んじています。例えば、リアリストたちは、マキャヴェッリやホッブズの先駆者として、インドのカウティリヤ(Kautilya)や中国の法家の思想家たち、例えば韓非子(Han Feizi)の考えを認識しています。リアリズムはまた、古典的な形態よりも非西洋の世界により適切になるようにリアリズムを変化させた新しい異種を、その理論的なファミリーに加えました。構成主義は、文化とアイデンティティーに重点を置いているため、非西洋の世界の研究のための空間を開く際に特に重要です。リアリズムとリベラリズムは、力や富などの国際関係の物質的な決定要因に特権を与えています。これらは開発途上世界ではしばしば不足しています。しかし、考え方や規範はそうではなく、それらはしばしば開発途上国が国際関係に貢献するための主なメカニズムとなっています。リベラリズムは、経済的相互依存、多国間機関、民主主義といった3つの主要な平和への道筋を特定し、規定しているので、この意味でも有用です。開発途上国がこれらに向かう傾向がますます増加しているのを世界は目撃しています。冷戦終結以来、グローバルな経済的相互依存が成長しています。世界の重要な地域である東アジアでは、地域的な経済の相互依存関係が拡大しています。サイバー空間や気候変動などの比較的新しい分野を含む多国間機関が急増しています。程度の差こそあれ、開発途上世界、特にラテンアメリカや、インドネシアやミャンマーのような東アジアの一部では、民主化が定着しています。これらの発展は、非西洋の世界の国際政治を理解するためにリベラリズムがより適切なものとなる可能性があります。

同時に、グローバルなIRは、リアリズム、リベラリズム、構成主義という主流理論をそのまま放置することはありません。代わりに、グローバルなIRは、それらが前提を再考し、調査の範囲を広げるよう促します。リアリズムにとっては、国家の利益と権力配分によって引き起こされる紛争を超えて物事を見て、国家と文明を衝突させるのではなく互いに受け入れ、学ぶような文化、思想、規範を含むその他の作用の源を認めることが課題です。リベラルにとっては、多国間主義と地域主義、およびそれらの制度的形態を調査する出発点としてのアメリカの覇権というものを超えて考えるという似たような挑戦があります。リベラリズムはまた、様々な局所的な文脈に存在する協力的な行動の大きな多様性を認識する必要もあります。なぜなら、どのような単一の統合モデルや相互作用のモデルも、その全てまたは大部分を説明することができないためです。構成主義にとって、考え方や規範の創造と普及における異なる形式の作用を評価することは、依然として大きな課題です。

第4に、グローバルなIRは地域を中心に展開しています。今日の地域主義は、国家中心であることは少なくなり、ますます広がっている主体や問題を取り上げています。地域主義は時には普遍主義と対照されるものと見なされますが、この2つは補完的になりえます。欧州連合(EU)、東南アジア諸国連合(ASEAN)、アフリカ連合(AU)などの集団は、平和維持、人道的活動、紛争管理における国連の役割を実際に補っています。地域の研究は、地域が経済的、政治的、文化的な空間をどのように自己組織化するかについてだけではなく、グローバルな秩序を形成するためにそれらが互いにどのように関連しているかについても言及しています。加えて、地域に焦点を当てることは、学問的なアプローチ(しばしばグローバルな範囲を持つ)と領域(または地域的)研究との間の密接な統合を築き上げることの中心です。

第5に、真にグローバルなIRは、文化的例外主義と偏見主義に基づくことはできません。例外主義は、ある社会集団の特性を均質で、全体として独特で、他者のものよりも優れていると表現する傾向です。例外主義に関する主張は、「アジアの価値観」や「アジアの人権」や「アジアの民主主義」などの概念で明らかなように、支配しているエリートの政治的な議題や目的に頻繁に関連しています。これらは、1990年代にリー・クアン・ユー(Lee Kuan Yew)のシンガポール、マハティール・モハマド(Mahathir Mohamad)のマレーシア、鄧小平(Deng Xiaoping)の中国などから生じたものであることから、通常は権威主義的な統治の多様性に関連しています。同様に、IRにおける例外主義は、多くの場合、弱者に対する大国の支配を正当化します。日本は、第二次世界大戦で敗北する前に、独特の汎アジア文化とアイデンティティーを口実にして、アジアに広がる帝国を確立しようとしました。今日では、中国の台頭により、アジアにおける国際システムが、歴史的な朝貢制度などの中国(儒教)的な価値観と宗主国の制度によって支配される可能性が高まっています。

最後に、グローバルなIRは作用の幅広い概念と複数の形態を取ります。それほど遠くない昔には、国際関係の作用は、主として「文明の基準」の言葉で見られていました。その中では、決定的な要素とは、国家が主権を守り、戦争を行い、条約を交渉し、遵守を徹底し、力のバランスを管理する能力でした。ヨーロッパの植民地主義大国によるこの利己的で、歴史に無関心で、厚かましい人種差別的な定式は、多くの初期の非西洋文明には最も洗練された国政の形態すらも存在していたという事実を無視していました。主流のIR理論は、いわゆる第三世界またはグローバル・サウスのことを国々が行うゲームの周縁とみなしていましたが、批判的理論のいくつかは実際にはこの推定された疎外化によってうまくやっていました。それらは、南を除外することについて主流の理論を正当に批判しましたが、南における作用の代替的形態の探究はほとんど行っていませんでした。物質的な力のグローバル格差は消えないでしょうが、私たちは軍事力と富を超えて、国際関係における作用の幅広い見解を採用する必要があります。作用は、物質的であるとともに、観念的でもあります。作用は強者の特権ではありませんし、弱者の武器として現れることもあります。作用は、グローバルな国境を越えた空間や地域レベル、地方レベルで行使することができます。作用は複数の形態を取ることができます。作用とは、グローバルな秩序に挑戦したり、支援や強化したりするために、地域レベルで新しい規則や制度を構築することを意味します。

例えば、第二次世界大戦前の中国の国家主義者である孫文(Sun Yat-sen)は、世界銀行などの戦後の機関を支えるようになった国際開発の概念の父親です。インドのジャワハルラル・ネルー(Jawaharlal Nehru)は、初めて核実験の禁止を提案した人物でした。ラテンアメリカ諸国は、世界人権宣言がニューヨークの国連で起草される数か月前に人権宣言を採択しました。また、アジア諸国は、市民権や政治的権利、経済的、社会的、文化的権利に関する国連の諸条約の制定において重要な役割を果たしました。

作用とは、安全保障、開発、正義への新たな経路を概念化して実装することを意味します。1960年代、アフリカ諸国は、後の2000年にアフリカ連合に置き換えられることになるアフリカ統一機構の枠組みの中で、植民地後の境界を維持するための公式・非公式の規則を作成しました。アフリカ連合とともに、ネルソン・マンデラ(Nelson Mandela)などのアフリカの政治指導者たちや、スーダン人のフランシス・デン(Francis Deng)、アルジェリア人のモハメド・サヌーン(Mohamed Sahnoun)、コフィ・アナン(Kofi Annan)国連事務総長などの外交官たちが、「保護する責任」 (R2P)規範の創設に当たって重要な役割を果たしました。インドの経済学者アマルティア・セン(Amartya Sen)とパキスタンの経済学者マブーブル・ハック(Mahbub ul Haq)は、国内総生産(GDP)による国家経済力と成長率に焦点を当てた正統派の西洋開発モデルに正面から挑戦しました。彼らは、初等教育と健康を通して個人の能力を高めることに焦点を当てた、人間開発の代替的で広範な概念を提示しました。明らかなように、作用のこれらの行為の一部は、特定の地域や、南自身のためだけでなく、グローバルな統治全体にとっても重要です。作用のこの幅広い枠組みを用いて、グローバルなIRは、南の声と作用、グローバルな秩序に関する南の視点、そして南北関係の変化するダイナミクスに中心的な場所を与えます。

いま、グローバルなIRの基盤を提示し終わったところで、ここで「理論とは常に誰かのためのものであり、何らかの目的のためのものである」(Cox 1981, 129)と警告したロバート・コックスを思い出すことが重要です。グローバルなIRは、誰のためのものであり、何の目的のためのものでしょうか?グローバルなIRは、IRの既存の理論を拒否するものではなく、それに適合しようとしているため、世界の種々の概念を収集することによって新しい内容を埋め込んではいるものの、IRの基本構造を維持する結果に終わる可能性があるという批判があります。言い換えれば、グローバルなIRは、従来のIR理論と概念をグローバル化させるだけになる可能性があります。開発途上世界のさらに弱い国を犠牲にして、より強く、より豊かな非西洋諸国に過度に集中するリスクもあります。グローバルなIRのもう1つの課題は、すべての国民、文明、そして問題領域を、それらの間の文化的、政治的、経済的な違いを隠すことなく、1つの枠組みの下でどのように研究するかです。これを試みることはまた、IRを広すぎるものにし、その分析的な価値を低下させ、理論構築を困難にするリスクを伴います。これらのリスクは些細なものではなく、これらに焦点を当て続けることは、研究者たちが新しいグローバルな視点を明確に必要とする1つの学問分野を積極的に進めることの助けとなります。

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